第04話 会見
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 エイデガル皇国が誇る最強の属国である五公国は、いびつな円を描く巨大な国土の他国との国境沿いに、皇国の天領を挟み分散して存在している。その国境の一つザノスヴィア王国と隣接しているのが、レキス公国であった。
 ザノスヴィア王国の歴史はひどく長い。かの国の歴史書によれば、エイデガル皇国より二百年ばかり古いらしい。
 レキス公国とザノスヴィア王国とを隔てているのは、荒ぶる魂を抱く河エウリスである。
 古代の神、死者を誘う黒き羽根を持った者と同じ名を冠された河は、つねに激しく、流れも早く、貪欲な深さを保持していた。
 ひとたび河が氾濫すれば、何万人という人々が、運ばれてくる肥沃な土を代償に命を落とし、町は幾度も消滅する歴史が幾度となく繰り広げられてきたのである。
 豊かさと破滅を同時にもたらす河。それがエウリスなのだ。
 この河に巨大な堤を作り、同時に天才建築家の手によって石橋アポロスを完成させたのはエイデガル皇国であった。当然橋の所持者も運営権を保持するのもエイデガルであったが、突如ザノスヴィアがアポロスの所持権は当方にありと申し立ててきたのだ。
 理由としては、橋をかけたのはエイデガルであるが、エウリス河の周辺、ようするに堤と橋が存在する部分はザノスヴィアの領地だと申し立てた。
 当然最大の国力を誇るエイデガル皇国は、ザノスヴィア王国の申し立てを戯言と一蹴した。同時に兵を動かし、アポロスの両端を実力で押え込む。
 この動きを見て取って、急遽ザノスヴィアは抗議の対象を変え、アポロスを貸してやると言い出したのだ。毎年借用費として穀物、宝物、武具を献上しろとも主張を始める。
 実力を伴わぬ愚かな主張であるが、これにエイデガル皇国の力の肥大を恐れる諸外国が支持表明をしたことで、事態は急遽真実の波乱を含み始めた。
 橋の所有権を手放さねば、エイデガル皇国は全世界を敵にまわしかねないのだ。
 その当時エイデガル皇王の座に付いていたのはフォイスの母、慈母王マリアーナである。
 マリアーナはザノスヴィアの荒唐無稽な要求に怒りを覚え、強硬な態度で退け続けた。五公国、およびエイデガル皇国は完全武装をした上で、支持表明した国にエイデガルと一戦を構えたいか、という文書を送り付けるに到っている。
 結局エイデガル皇国と一戦を構えるだけの気骨有る国はなく、事態は何事もなく終結した。けれどその後、慈母王の名でも知られるとおり優しい気質の持ち主であったマリアーナは、隣国で越冬の度に多くの民が餓死や凍死しているという事実に心を痛め、結局援助という形で物資を送ることにしたのだ。
 けれど感謝するどころか物資を受取るのは当然の権利と考えているザノスヴィアの態度は、一応口では援助に対して礼を言う、と表明してはいるものの、傲慢でしかなかったのだ。
 ザノスヴィアの使者がエイデガル皇王を前にして不遜な態度にでるのも、援助を受けているのではなく当然の権利を行使していると思っているからだろう。
 フォイスは内心、この使者をどうしてやろうかと考えながら、僅かに姿勢を変えていた。
 ただアティーファに面会させてやるだけでは断じて楽しくない。それは先程から決まっているのだが、さて何をすれば楽しいのか、その案が上手く出てこないのだ。
 どうするかなと再度考えた時、入室を請う声が突如凛と室内に響いた。
 聞き慣れている声ではない。訝しげに一瞬眉をひそめたが、すぐにある事に思い至って入室を許可する。
 謁見中に何故他人をいれるのかと、不満を表に出す使者や、相変わらず何を考えているのか分からないリィスアーダが振り向く中、衛兵が恭しく扉を開いた。
「ようこそエイデガル皇国へ。ザノスヴィア王国一の姫、リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィア王女殿下。わたくしがエイデガル皇国にて第一皇位継承権を保持する、アティーファ・レシル・エイデガルと申します」
 低められた涼やかな声と、靴音が謁見の間に高らかに響き渡る。
 特別なことなど何一つしていない。にも関わらず、持って生まれた気品か他者を静かに圧する覇者の気のせいなのかは分からぬが、場の雰囲気が一変していた。
 フォイスを除いた一同全てが、現れたアティーファに目を奪われてしまっている。
 生き人形のようなリィスアーダでさえ、姿を見せたアティーファを思わず見つめていたのだ。
 エイデガル皇女アティーファが身にまとっているのは、彼女が普段好む短い裾の衣ではなかった。若草色の糸で刺繍された白銀色の軍服を凛と身につけている。肩からは、ゆっくりと鮮やかな空色のケープが揺れていた。麗しい亜麻色の髪はきっちりと上げられ、涼やかな双眸が場を見つめている。
 完全な男装だった。事実、リィスアーダが今まで出会ったことの有るどんな王子や貴族の子弟よりも、アティーファは美しく、凛々しかった。―― けれど。
「だ…男装の趣味をお持ちでいらっしゃるのか!?」
 落ち着きをなくした悲鳴を突如ザノスヴィアの使者があげる。
 その悲鳴こそを待っていたかのように、アティーファは父王に素早く目配せすると、小鳥のような機敏さでリィスアーダ姫の手を取る。
「ザノスヴィアに与えられた天の恩恵である姫君が、わたくしとの結婚を望まれているとは光栄の至り。しかもわたくしのことを、皇子であると申され、この話しを進めて下さるとは、さすがは英君と誉れ高いノイル公であらせられる。この婚儀、無論わたくしには異存はありませぬゆえ」
 一気に言い放つと、アティーファは可憐な笑顔を一同に投げかけ、リィスアーダの手を引いて駆け出した。
「え? ですが、貴方さまは…!」
 女性なのでは、と言おうとしたザノスヴィア王女の、男を喰らうような魅惑的な声音が僅かに響き、続いて衛兵が扉を閉める音が響く。
 背後では使者が女同士で結婚させる気はない、後継者たるものが同性愛者であるとなど恥ずかしくはないのかと叫ぶ抗議の声と、のらりくらりと、舌鋒をかわす父王の声を聞きながら、アティーファは声を出して笑いだしていた。
「皇女! アティーファ皇女殿下!」
 廊下の奥から響いた声にアティーファは振り向く。彼女と同じように笑いを堪え切れない表情で、侍女のエミナが大きく手を振っていた。
「エミナ? みんなは何処に?」
「皇女が誕生の際に作られた、蒼水庭園に。なにせ皇女の婚約者さまですもの。おかしな所に滞在して頂くわけには参りません」
「リーレンたちも? もう行ってるのか?」
「ええ。それより皇女、着替えましょう。わたしは皇女の凛々しいお姿も素晴らしいと思いますけれど、やっぱり皇女は、普段のお姿のほうがお似合いです」
「うん。ありがとう。とりあえずは庭園に行ってからにする。リィスアーダ姫、大丈夫?」
「マルチナと…」
「ん?」
「マルチナと呼んでください、私のことは」
 婉然と、ザノスヴィア王女はアティーファに言った。
 これを言われたのが男であったのなら、見つめてくる眼差しの妖しさと、艶めかしく濡れる深紅の唇とにあらぬ欲望を抱いたのであろうが、如何せん、相手はアティーファである。
 高貴な少女は不思議そうにマルチナと呼んで欲しいと言った王女を見つめた。リィスアーダ…いや、マルチナは、視線を受けて僅かに目を伏せる。
 些細な仕種一つ、全てに妖艶さが漂うのだから、これはもう一芸に長けているとしか言えなかった。
「マルチナ姫と?」
「呼び捨てで…」
「わかった。じゃあ、私のこともアティーファでいい。行こう、マルチナ」
 妖艶さとは正反対に位置する明るい笑顔を浮かべて、アティーファはマルチナを気遣うように速度を落として走り出す。
 謁見の間への入室は叶わず、外で控えさせられていたザノスヴィア使者団の残りの面々が麗しい貴公子に手を引かれて行く自国の姫君を見付けて、呑気な世間話を始めていた。
「なんだ。ノイル陛下の気でも狂われたのかと一瞬思ったが、本当にエイデガルの皇女は皇子だったんだな。しかも庭に連れ出すだなんて、意外に普通の少年心理じゃないか」
「ま、うちの姫様は機会があれば国を滅ぼす器だぞ。気に入らないわけがないさ」
 からからと笑いながら言う男を、一人暗い眼差しをして拳を握り締めていた男が睨みつける。
「なにが楽しいんだ! お前等、悔しくないのか? エイデガル皇国の世継ぎというだけで、あんな奴がリィスアーダ姫をその手に抱くんだぞ! 姫を一度でもいい、手に入れられるなら、国どころか命を失ってもかまわないと、数多くの男を破滅させ狂気にも落とした姫様が! あんな…あんな男に!」
 男の悲鳴じみた叫びが鎮まると、周囲から下卑た笑声がどっと湧き起こる。
「姫君を抱きたいのはお前だろうが」
「うるさい! 誰だって、あの目…あの目を見てしまったら理性なんて意味がなくなる!」
 ひどく場違いな絶叫に、エイデガル皇国の衛兵が使者団を睨みつける。
 流石に声を落とさせなくてはと思ったのか、叫んだ男の肩を落ち着かせてやるように軽く叩く。そうしてやりながら、別の男が走り去って行くアティーファ達をもう一度見送っていた。
「にしても随分と、綺麗な皇子様だな。あれはあれで、うちの姫とは違う意味の道ならぬ同性の恋に身を焦がす男が生まれそうだ…」
 締めくくって呟かれた声に、蒼水庭園にてアティーファをはらはらしながら待っていたリーレンが、くしゃみをしたかどうかは定かではなかった。
 謁見の間では、皇王フォイスと使者との間で緊迫した会見が続いている。
「とにかく、この屈辱をどう贖ってくださるのですかな? 我が姫は、各国からも是非にと望まれるほどの珠玉の姫。しかも現王妃の第一子である姫様なのですぞ! 皇太子にならばともかく、同性愛の気のある姫君に嫁がせるために参ったわけではございません!このままでは、あまりな屈辱。各国のいい笑い者にされ、お可哀相な姫様は、まともな婚姻が出来ぬようなってしまいます。フォイス皇王、どう責任を取られる所存ですか!」
 鼻息荒く言い切って、使者は皇王を不遜にも睨みつけた。
 使者にしてみれば計算違いも甚だしかったのだろう。皇女が他国の人間の前に姿を現さない事実から、おそらく重大な秘密があるのだろうと検討をつけ、皇女ではなく皇子なのではないかとはったりを掛けたのだ。リィスアーダ姫をエイデガル皇后の座になんとでも付けさせるために。
 にもかかわらず、あっさりとアティーファは姿を表してしまった。
 面白いように顔色の変わる使者を見ながら、随分と憶測で外交戦略をたてるものだとフォイスは内心馬鹿にしていた。けれど外見は顔色一つ変えずに、真摯そうな表情を作っている。
「さて。責任をと言われても、取らねばならぬ責任がない場合はどうすればよいであろうな」
「責任を取らねばならぬ事態ではない!?」
「いかにも。当方は後継者たる者は我が愛娘アティーファであると明言しておる。にも関わらず、いきなり娘を男だと決め付け、姫と結婚してくれと無礼な申し込みをし、アティーファの体面を傷つけた。その上娘を勝手に同性愛者と決め付けた無礼、どう対処する所存かな?」
「事実は事実でありましょう!」
「ならばエイデガル皇国は、愛娘アティーファに対しザノスヴィア王国が女同士であるにもかかわらず、婚姻を願ってきたと発表することにしよう。その上、リィスアーダ姫が笑い草にされるを懸念したアティーファが、男装までして体面を繕おうとした行為を同性愛者であると決め付けた、ともな」
 はっきりと言い切って、皇王は席を立った。
「そうそう。アティーファは他国を交えた公式の場に出たことがない、と使者殿は言っておったが、それは間違いだな。姫の誕生日には、親しい国の者を呼んで祭典を執り行っておる。娘が正真正銘の女であると知らぬのは、貴国だけではないかな!」
 静かな威圧を含む笑声を上げる皇王を見ながら、不当な要求を押し付けた挙げ句に侮辱も与えたと断言された使者は目を白黒させていた。
「あらぬ恥辱を受けたくないのならば、リィスアーダ姫は我が国に、行儀見習いに来たと発表するのだな。さすれば当方も発表を控える」
 一方的な決定を述べ、フォイスは謁見の間から颯爽と去った。しばらく呆然としていた使者は、リィスアーダを行儀見習いに出した事にしろという宣言に蒼白になる。
 行儀見習いに出すという事は、すなわちザノスヴィア王国はエイデガル皇国よりも格下であると公に認めたことになるからだ。
 使者は焦り、礼を逸したまま外に飛び出した。こうなったら、姫を連れて国に急遽戻るしかない。
 けれど使者を待っていたのは、ザノスヴィア王女は自分達が決して入ることのできない、エイデガル皇女の私室に連れて行かれたという、非情な現実だけであったのだ。

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