第03話:隣国
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 招かれざる客。
 隣国ザノスヴィアからの使者は、幾度となく唇を舌で舐めながら時を待っていた。
 華美を嫌うエイデガル皇国の家風からか、謁見を行う部屋は重厚ではあるが派手ではない。唯一の華美な飾りは、玉座の背後にあるエイデガル皇国紋章「水竜」の緞帳だけだった。
「待たせたようだな使者殿。ザノスヴィア王、ノイル殿は息災でおられるか?」
 低音の快い声音と共に使者の前に姿を現わしたのは、フォイス・アーティ・エイデガルである。彼こそが最強の属国―― それぞれレキス、アデル、ティオス、ミレナ、ガルテの五公国を束ねるエイデガル皇国の現皇王であった。
 今年で三十九の齢を重ねたのだが、頑健な体格と少年のような眼差しの為か実際年齢よりも若く見える。早くに亡くした妻リルカの忘れ形見、アティーファを溺愛していることで有名だった。
 使者は癖なのか、唇を舌でまた舐める。その為か蛇のような印象があった。
「はい。おかげさまで。ザノスヴィア国王、ノイル陛下も毎冬送られる物資に感謝の意を評されていらっしゃいます」
「ザノスヴィアの面倒を一々無償でみるのを、いい加減やめたいという見解が近頃我が国で出ているのだがな」
「これはこれは。手厳しいお言葉ですな」
 単刀直入なフォイスの切り口に、内心の動揺を隠す為に微笑を浮かべて、使者は皇王に視線をやった。
「エイデガル皇王のお怒りはごもっともでありましょう。我が主君も、贈り物を頂いているだけの現状を憂いていらっしゃいます。されどエイデガルにあってザノスヴィアにないものはあれど、ザノスヴィアにあってエイデガルにないものは有りませんゆえ。ただ一つを除けば、ですが」
「ふん。それはいかなるものかな?」
 儀礼半分、興味半分といったフォイスの返答に使者はしたりと唇を歪めた。
「名工が魂を吹き込み、希なる宝珠を集めた宝物をも凌ぐ美は、神のみが作りうるもの。幸運にも、ザノスヴィアは神の僥倖に巡り合いました。紹介致しましょう、皇王」
 靴音高く使者は立ち上がり、同時に演出がかって開かれた扉に身体を向けた。偶然にも光が高窓から差し込み、扉を照らし出す。
 絶妙の光彩の中、それは麗しい人形が佇んでいた。
 瞳はそのまま黒曜石の色。腰で結ばれた髪は闇を宿し、青白くさえある肌は陶磁器のような滑らかさで、触れられることを待っているようだった。神殿の巫女が身に付けるような清楚な衣服も、何故か彼女の肉体の艶めかしさを隠さずに強調するのみだ。
 人形よりも人形めいた、紛れもない人間の娘が謁見の間を進んでくる。
「ザノスヴィア王国の一の姫。リィスアーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィア王女殿下にございます」
 どこか好色な響きのある声で、使者が晴れやかに告げた。
 その声が合図だったのかように、唐突に王女は美しい礼をする。
「お目にかかれて光栄に存じます。フォイス・アーティ・エイデガル皇王。お言葉を賜る幸運を、わたくしに与えて頂けたらとせつに願います」
 まるで性質の悪い精霊が、人形の唇を借りて喋っているような悪趣味さを感じて、フォイスは無意識に眉を寄せる。
 けれど、どこか卑猥な視線を向けてくる使者が、姫君の妖艶さについての感想と賛辞を求めていることに気付いて、フォイスは意識的に和やかな表情を作ってみせた。不快を表に出すのは愚かしいのだ。ごまかすように咳払いを一つし、改めて視線をザノスヴィアの生き人形に向ける。
「遠路遥々ようこそ。リィスアーダ姫。ザノスヴィアにかように美しい姫君がおられたとは初めて知ったが、我がエイデガルには視察にいらしたのかな?」
「いえ。視察ではございません」
「ではなんの為に?」
「わたくしと、婚儀をあげて頂くために」
 用意された台本を、ただ読み上げているように淡々としたリィスアーダの口調は、内容の重大さを緩和させたが、それでも充分フォイスを絶句させていた。剛毅で知られる皇王は大きく二度まばたきをし、ついで苦笑する。
「それは出来まいよ。使者殿、なにを姫君に吹き込んだのかは知らぬが、我が国に姫と釣り合う皇子はおらぬ。五公国の世継ぎの誰かにでも申し込んだほうがよいのでは?」
「いえ、五公国の公子方には失礼とは存じますが、姫は皇王陛下にこそ相応しいのです。世界を手にする者のみが、姫を手に入れる権利を持ちます」
「正気の沙汰とは思えんな」
 呆れているよりは、からかっている口調のフォイスに、使者は真剣に言葉を募る。
「正気でございます。実は世間では、皇王のご自慢のアティーファ皇女が、実は皇子殿下であると噂があることをご存知でしょうか? エイデガルには身体の弱い子供は、逆の性別として育てると丈夫に育つ言い伝えがあるとか。姫君を人前にお出しにならないのも、皇子と発表する際を考え、女装された姿を晒さぬ為の手段でありましょう?」
「下らぬ与太話に付き合うつもりはないのだがな」
 内心もう少し面白く脚色してあれば、作り話としては楽しかったろうがと評論しながら、軽くフォイスは返事をする。けれど使者は全くめげなかった。
「ならば、一目皇女の御尊顔を拝する機会を是非とも賜りたく存じます。そうでなければ、我が姫の面目が保ちませぬゆえ」
 強気な口調で断言し、使者は皇王を睨みつけた。
 当事者であるはずのリィスアーダは、意味なく穿たれた闇のように虚ろな瞳を、ただ空にさ迷わせていた。己のことが話題にされているのだ。もう少し興味を持っていてもよかろうがと、フォイスは思いながら使者を見やる。
「強要される筋合いがあるとは思えぬが?」
「勿論、当方にフォイス陛下に皇女殿下との拝謁を強要する権利はございません。けれど逆を言えば、そこまでかたくなに拒否する理由があるとも思えませんな。拝謁が許されぬならば、拝謁を拒否する理由をこちらが判断し、正式に発表させて頂きます。それとも、リィスアーダ姫の面目の為にフォイス皇王御自身が、このリィスアーダ姫との婚儀をご承知下さるので?」
 長い口上を見事に言い切ると、使者はにたりと笑った。
 ようするに、最初からフォイスの正妻の座にリィスアーダを付けろと言いたかっただけなのだろう。
 けれどフォイスに驚いた様子は一切なかった。
 平和時でも戦時でも。情報収集こそが、国を存続させる力になるという持論を持つフォイスは、実はザノスヴィア使者団が姫を伴って来ていることを知っていたのだ。ならば目的はエイデガル皇妃の座であろうと予測もしていた。
 リィスアーダが皇妃になれば、ザノスヴィアとエイデガルは強い血縁関係で結ばれることとなる。しかも現在エイデガルには皇子がいない。女子でも跡継ぎとして認められているこの国では特に問題ではないが、出来れば男子が皇位を継ぐほうがよいと考えた皇王も確かに過去にいる。
 ならばもし、リィスアーダがフォイスの息子を出産すれば、ザノスヴィア国王ノイルが外祖父として孫を操り、巨大国家を手に入れる可能性が出て来るのだ。
 当然、この程度のことはどの国の人間でも考える。
 事実正妻のリルカを失った後、星の数ほどの婚姻話が持ち上がったが、結局一つも成立しなかった。亡き妻を偲ぶフォイスは、他の女を妻にするつもりはないと断言していたのだ。
 過去の出来事を当然知っているだろうザノスヴィアが、どのように婚姻話を切り出すのかに、フォイスは意地の悪い興味を持っていた。
 そして蓋を開けてみれば、使者が方便として使ったのが、アティーファが皇子なのではないか、という少々お笑いじみた疑問である。まあ、確かに王国の姫君ともなれば、目撃者がおらずとも美しいと賛美はよせられ、疑わないのが礼儀というものだろう。
 誰が姫の美醜を確認させろと言えるだろうか?
 自分には聞けないなとまで考えて、フォイスは僅かに苦笑する。
 アティーファが公共の場に出てこない理由は、ひどく単純なものだ。なにせそういう場に出れば、兄と慕っている二人にまで、敬語と謙譲語で飾り立てられた、麗しすぎる他人行儀な態度を取られてしまう。何よりもこれが耐えられないらしい愛娘は、適当な理由をでっち上げては公共の場から遠ざかっていた。
 確かに事情が知らぬものが見れば、異常なことに思えて当然だろう。
 とりあえずアティーファを連れ出して来て、使者に対面させるのはたやすい。
 けれどそれでは面白くないなと考えていたフォイスは、ふと謁見の間の左端にある扉に視線をやった。何かあれば衛兵が飛び出してくる扉だが、今は誰も控えさせていない。にもかかわらず、小さな笑い声がしている。
 どうやら我が侭な自分の愛娘が、こちらを覗き見していると気付いてフォイスは苦笑した。
「アティーファ皇女、笑い事ではありません! 悔しくありませんか? よりによって、皇女を、男ではないかなどと!」
 父王の視線の先にある扉の奥で、くすくすと笑っている皇女に向かって一人真剣にリーレンは憤慨している。アティーファは真面目な自分の幼馴染みの肩に手を置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。
「だって笑えるじゃないか。よりによって、私が男じゃないかって疑うんだぞ? まあ世論通りの美女には程遠いけど、女だってのは変わらないのに」
「アティーファ皇女は、あの…その…」
「ん? どうした、リーレン?」
 無邪気に少年の目を覗き込み、あどけなくアティーファは首を傾げる。たったそれだけの彼女の仕種が彼には眩しくて、真っ赤になってどきまぎしてしまう。結局綺麗ですと誉めることさえ出来なかった。
 相変わらず何も言えないリーレンに苦笑して、アトゥールは彼に代わってアティーファの容姿を誉めた。それから気配を感じて振り向く。必死に皇女を探していたもう一人、侍女のエミナの手を引っ張って、カチェイが入って来たのだ。
「あ!! しまった、そういえば……っ」
 実はカチェイにエミナを連れて来てくれと頼んだのは彼女自身だったが、少し前にエミナの監視を破って外に抜け出したことをすっかり失念していたのだ。いかにも怒ってる侍女の様子に、アティーファは思わずリーレンの後ろに隠れる。
「皇女! どうしてそんなに意味もなく部屋から脱走するのが好きなのですか! その度に心配するこっちの身になって下さい!」
「ご…ごめんなさい」
 思わずしゅんと項垂れた皇女を見て、本当に困ったように童顔のエミナは溜息をつく。
「本当にもう。叱るとすぐに可愛らしくなってしまわれるんだから。おかげで私は、皇女を叱れなくなってしまう。罪な方ですね」
「私は…罪なのか?」
「ええ。私が存じているだけでも、皇女が罪な方の為に、最低で四人、お側から離れられなくなった人間を知っておりますわ」
「ええ? 誰のこと?」
「秘密です。ご自分で考えてくださいね」
 エミナはにっこりと笑って、皇女以外の三人に意味深な視線を送った。年長組はくすくす笑い、リーレンはまたもや赤くなってしまう。
「ところでなにか、私にご用がおありなのでは?」
「うん。そうなんだ、エミナ。悪いんだけど手伝って欲しい事があって」
 実のところその笑顔こそが罪作りなのだと気付くはずもなく、軽やかに笑いながら素早く一同を招いて、アティーファは小声で考えたことを口にした。
 一瞬遅れて、呆れたような面白がるような声が小さくあがる。
 耳を澄まし謁見室の隣接する部屋の様子を伺っていた父王フォイスは、何事があったのだろうかと僅かに首を傾いでいた。
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