暁がきらめく場所 -建国戦争-
はるかなる蒼空
目次


 燃え盛る炎の熱さを、風に揺れる金色の髪が感じていた。
 目前に広がるのは、いつしか数を増やしていった彼女の采配を待つ軍。
 弓、槍、剣、投石、騎馬、戦車、各部隊。
 靡く兵士の髪の色は様々だ。それが多くの民族を巻き込んでの戦いに発展したことを、如実に証明している。
「勝ってみせる。それだけが、私がおまえ達に与えられる唯一のこと」
 呟くように、娘は薄紅色の唇を開く。
 右手に刀を持ち、左手は風に靡く金色の髪を押さえる。華奢な鎧を覆うように流れる白い外套が揺れる様子は、どこまでも優雅だった。
「この一戦が最後の戦いになる。我々は、負けるわけにはいかない」
 この決戦に持ち込むまでに、どれほどの苦難を乗り越えてきたことか。
「撃つべき敵はザノスヴィア! 彼の国に巣食う狂信者をうち滅ぼし、手先となった魔力者を救う。―― その術は我が手にある!」
 手を振り上げる。応えて喚声を上げる人々。
 寄り添うように佇む、真紅の髪の青年が眦を釣り上げた。
「言葉が多すぎる。どこにその術があるという」
「――相変わらず批判好きね」
 手短に、投げつけられた舌鋒を切り替えして、娘はちらりと背後を見やった。
 エイデガルの民の特長を何一つ持たない青年。真紅の髪に同色の瞳が、彼の苛烈な魂を表に現しているかのようだ。
「私は勝つわ。勝たなくては、私の存在の意味が無い。私は覇煌姫。――エイデガルに勝利をもたらし、戦乱を収めるのが我が使命」
「その方法を考えさせられる、俺の立場にもなってみろ」
 ぶっきらぼうに投げつけられた言葉に、娘は咽喉で笑う。
「馬鹿じゃないの、貴方。軍師っていうのはね、私の軍を勝利に導く為に存在しているのよ。その為に、私は貴方が望む国王の役割を果たしているんじゃない」
 貴方だってと娘は呟く。
 薄紅色の唇が、一瞬赤い血を含んだような錯覚を青年は感じた。
「――果たしてみせなさいよ。軍師としての役割を」
 言い捨てて、娘は軽やかに外套を翻した。
 
 

 天から与えられて生まれてくる役割は、確かに存在するものだろう。
 けれど、それに気付く者は何人いただろうか?
 与えられた環境の中で、小さな幸せを見出し、役割に気づかないまま一生を終える者の方が多いのではないだろうか?
 けれど―― 役割を完全に悟り、実行に移した人々がいた。
 肥沃な大地を保持し、常に他国からの侵略に脅えて暮らして居た礼節を重んじる一族。
 名を、エイデガル王国という。



「姉さま、姉さまっ!」
 声を荒げて、少女が走る。
 滝のように流れる金色の髪が、走る少女の足にあわせて何度も揺れた。高い天井と、石畳の床の為に、彼女の足音が篭って響いていく。
 自分が立てた音が、反響することが怖い。
 走っても、走っても、誰かが後を付けている。そんな風に思える。
 大きな翠色の眼差しに、ふっくらと涙が浮かぶ。あどけない仕種で涙を拭うと、さらに足を早めた。
「姉さま!」
「……? どうしたの、レリシュ?」
 勢いよく開けた扉の奥から、ふんわりとした声が響いた。
 少女と良く似た影が起き上がり、布の音と共に歩いてくる。
「アデル姉さまぁ」
 最後の力を振り絞り、歩いてくる影に飛びつくと、少女は目を細める。
 途端にわんわんと泣き出した妹に、アデルはきょとんと瞬きをすると、妹の背を撫でた。夜に目が覚めて寂しくなったのだと、なんとなく察知する。
「ミレナはどうしたの? レリシュが一人で目が覚めたら可哀相だから、今日はミレナが一緒ではなかった?」
 ふるふると首を振る妹に、姉は溜息を落とした。
「もう、またミレナは眠れないって抜け出したのね。こんな妹を一人残すなんて、最低だわ」
 ひどく大人びた口調で呟いてから、姉は妹の両手を握る。
「じゃあ、今からは私と一緒に寝ましょう? レリシュ」
「うん!」
 にっこりと、泣き顔を忘れたように笑顔になった妹に、姉は微笑む。
「アデル姉さま、だあいすき」
「私も好きよ、レリシュ」
「ねえねえ、アデル姉さま。また夢をみたの」
「夢?」
 必死にベッドによじ登る妹を手伝ってやりながら、やんわりと、アデルは尋ねる。
「赤い髪とね、目をしたこわーいお兄ちゃんがいたのよ。すっごく意地悪なことばっかり言うの。でね、目の前にはすっごく沢山の人がいたの」
「そうなの? その赤い髪と目をした人に、レリシュはいじめられたの?」
「ううん」
 金髪を揺らせて、勢いよく否定する。
「私ね、おっきかったよ。それでね、全部言い返してたよ。アデル姉さまが、レキス兄さまを叱ってるときみたいに、格好良かったよ!」
「私がレキスを叱っている時みたいに?」
 そんな目で見られているのかしらと複雑な表情でアデルは笑う。妹は姉の困惑など気付かないようで、それでねと勢いこんで姉の髪を掴んだ。
 レリシュの金髪とは異なる、白銀色の髪を。
「戦ってるの。遠い、遠い国と戦っていたの」
「……そう。それはもしかして、ザノスヴィアではなかった?」
「あれぇ? どうしてアデル姉さま、しってるの?」
「それはね、レリシュ」
「それは?」
「私もその夢を時々見るからよ」
 微笑んで、もう寝なさいと妹を抱きしめる腕に力を込めた。
 


 視界を埋め尽くすように並ぶ軍。
 細剣を握り締め、何かを覚悟する大人の姿をした自分。
 隣に佇んでいるのは双子の弟、レキス。
 背後には、長い髪を三つ編にして流した妹ミレナと、背丈より大きな剣を握る弟ティオス。
 ――そこで、自分達は決断を下す。
 なにを?と疑問を抱いた瞬間に、決まって視界を塗り潰すのは真紅の色彩だ。
 そこで夢は終わる。



「アデル姉さま? どうしたの?」
 髪を引っ張られて、我に返る。
 不安そうな妹の顔に、慌ててアデルは微笑んでみせた。六歳違いの妹を、不必要に脅えさせたくはない。
「なんでもないの。ちょっと考え事。あえていうなら、ちょっと咽喉が渇いたかなって」
「咽喉。あー、私も乾いた。でも、この時間に水貰いにいくのは、ちょっと怖いね」
「そうね。怖いね」
「じゃあ、兄様に感謝してくれるかな?」
 唐突に声が響いて、驚いてベッドからレリシュが体を起こした。
 いつ来たのか、扉に人影がある。手にするトレイには、瀟洒なグラスと、果物の乗った皿。アデルと良く似た顔立ちの、長兄レキス。
「わー、レキス兄さま! うん、感謝する、する!!」
 ひょっこりとベッドを降りて、抱っこをせがんで兄に抱き着く。
「おっと! アデル、悪いけどトレイ持ってくれ!」
「仕方ないわね。もう。――ねぇ、レキス? これ二人分よね?」
「その通り。二人の姫君の分、問題ないだろ? なぁ、レリシュ」
 可愛くて仕方ない、というように両手で抱っこした妹の額に口付けを送るレキスに、アデルは悪戯っぽい笑みを向けた。
「でも、この部屋にレリシュがいるっていう保証はなかったわよね? 駄目。咽喉が渇いたって事が聞こえたからって言っても無駄。だって、言い出してから持ってくるまでの時間が短すぎ!」
「げぇ――」
「夜一人で寝るのが怖いの、そろそろ卒業したら? 私たち、もう十二歳よ」
 にやりと笑う双子の姉に、レキスは困って吐息をはく。どうやら夜一人で寝ること恐くなった彼は、機嫌取りの為に飲み物と果物を手に、双子の姉の部屋まで逃げてきたのが真実だったようだ。
「俺、どうも苦手なんだよなぁ。あの広い部屋に一人で寝るのって」
「だからって、姉弟とはいえ、男と女なのよ。その部屋に、くる?」
「先にティオスんトコいったら、いなかったんだよ」
「またぁ? ミレナも抜け出したっていうから、またティオスと一緒ね。まったく、真ん中は真ん中同士、仲いいわね」
 トレイをテーブルに置きながら、下の弟妹を酷評するアデルの様子に、くすくすとレリシュが笑い出す。
「なぁに、レリシュ」
「アデル姉さま、かっこいいー!」
「そう? ありがとう」
「今日は、アデル姉さまと、レキス兄さまと、一緒に寝るの!」
「おお、兄思いだな、レリシュ」
 どうやら追い返されずに済むことを悟って、ニヤリとレキスは笑う。悪戯のように両手に巻き付けた手の力をこめて、レリシュは笑った。



 空には星がある。当たり前の、夜の光景だ。
「妹は可愛いのよ。すっごく。もう殴りたいくらいに可愛いの」
「殴るなよ、ミレナ」
「殴ってないわよ。殴りたいくらい、っていうだけよ」
「じゃあ何が不満なんだよ。ミレナ。ったく、オレは気持ちよく寝てたってのに。お前、今日レリシュと一緒に寝てやる日だろぉ?」
「そうよ。でもね、可愛ければ可愛いほどに、腹が立ってくるのよ! どうしてあんなに可愛いのよ! おかげで私が可愛がられないじゃない!」
「あのなぁ」
 王宮の片隅に佇む大木の上と下。
 ミレナとティオスの兄妹が、ひそやかに話しをする。
「レリシュが生まれる前は、お前が末っ子だったのくらいしってるさ。末っ子の特権で、甘やかされてたもの知ってるさ。だからって、嫉妬すんなよ」
「そうよ! 嫉妬してるの! 悔しいの! 悪い!?」
「でもな、レリシュが生まれたのに罪はねぇだろ?」
「そうなのよ! だから腹がたつんじゃない! どうして私、あの子が悪くないって知ってるのに、素直に可愛がれないの? どうして私、あの部屋にレリシュを置いこれちゃうわけなのよ!」
 癇癪を起こして叫ぶ妹に、兄はやれやれと首を振る。
「ったく――しゃーないねぇ、俺の妹は」
 唐突に岩の上に登り、手を思い切り良く伸ばして、木の上に座る妹の足を掴んだ。
「え!?」
「うりゃ!」
 思い切り強く引かれて、ミレナの小さな体は前にバランスを崩した。か細い悲鳴をあげた妹の体を、年齢のわりに怪力な兄が抱き取って、笑う。
「お前は俺の妹なの。レリシュが生まれたって、それは変わんないだろ? 一体いつ俺が、可愛がり度を減らしたよ。こんなにも可愛がってるってのに」
「お、おに、ティオスお兄ちゃん!!」
「俺は怪力だから、大丈夫だっての。ったく、いいか? 良く聞けよ? 俺だってな、覚えてねぇけど末っ子だったころがあったんだ。あの姉貴と、兄貴の愛情たっぷり貰ってた、んだろうさ。威張りくさる相手はいないわな。俺だけが弟だ。で、お前が生まれた。そりゃあもう、大歓迎さ。兄と姉には甘えといて、お前には威張れる。こんなん、上と下と両方いる奴の特権だぞ?」
「そうなんだけど!」
「いいお姉ちゃんであろうだんて、思う必要ねぇってば。いい姉なら、姉貴がやってくれる。いい兄なら、兄貴がやってくれるだろうさ。いいか、良く聞けよ、ミレナ。母さんがレリシュを生んだ直後に、国同士の都合で生国に帰らなきゃならなくなった。そのせいで、レリシュは母さんを知らない。姉貴と兄貴は不憫がって、レリシュを手放しで甘やかす。でもそれでいいのかよ?」
「――よくないと思う」
「そうだ。あのな、兄弟ってのは、生まれて最初に手に入れるライバルだ。味方であって敵でもある。こんちくしょう、いつか絶対ぶんなぐってやる!っていう意志を手に、生きてくもんだ」
「それって、ティオスお兄ちゃんが、レキスお兄ちゃんに思ってることじゃない」
「いい子ちゃんぶんなよ、ミレナ。お前が姉貴に怒られて、あかんべぇをしてる事ぐらい、俺は知ってるぞ」
 ずばりと指摘されて、ミレナは顔を思い切りしかめる。勝ち誇った顔を兄ティオスは浮かべた。
「うう」
「そんなもんだ。遠慮を知らずにぶつかって、傷付け合って、初めて必要以上に人を傷付けちゃいけねぇことを人はしる。全ての始まりは家族からだ。だから、俺らは、遠慮なくレリシュに接してれば良い。嫌な兄、姉で結構だ」
「でも私だって、レリシュが可愛いのよ」
「俺だって可愛いさ。でも、可愛いがんのと、人形のように可愛がるのとは意味がちがうっての。了解?」
「うん」
「じゃ、しゃーないから、今日は俺がお前と一緒に寝てやる。どうせお前だって怖いことがあったんだろ。でもレリシュはもうグーグー寝てるしさ。だから飛び出してきたってのもあるんだろ?」
「ティオスお兄ちゃんの意地悪ー!」
「意地悪で結構。次にレリシュと一緒に寝てやるときに、怖くなったら俺を呼んどけ。行ってやるから」
「妹馬鹿!」
「兄貴が妹可愛がって何が悪いってな。それに……」
「うん」
「あらゆる意味でレリシュは特別だからな。やっぱ可哀相だ。俺らの妹でいる間は、特別って事は意識しないでおこうや」
「……ティオスお兄ちゃん。特別って、辛い?」
「さあ。俺は、特別になったこと、ないしなぁ」
 


 特別な子供。
 生まれ落ちた瞬間に、誰もが”特別”を悟った。
 ――それは一つの未来。
 戦場にて、軍を引き連れる金色の女性が居る。
 彼女を支える四人の兄姉も居た。
 ――与えられた、未来。
 

 これより14年後。
 レリシュは父王から位を譲り受け、即位する。
 建国戦争の――始まりだった。

[終]
竹原湊 湖底廃園
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