暁がきらめく場所
風鈴

 りん、と軽やかな音が響いた。
 戦場の一角にはられた陣の中で、ふさわしくないその可憐な音に、鮮血を浴びたかのような髪を持つ男は眼差しを上げる。
 近く戦場となるだろう付近の地形を、脳裏に寸分の違いなく再現できるまで集めた情報の分析をいったんとりやめて、彼は眉を寄せた。
「なんの酔狂だ?」
 低く声を落とせば、くつくつとのどの奥で笑う女の声が響く。
「かわいいでしょ?」
「お前の口からかわいいなどという言葉がきけるとはな」
 明日の戦では予測不能な事態が起きるやもしれぬなと続けて、青年は腕を組む。
 座る背後から近づいてきた女は、彼の左肩に左肘をつき、右手を前に伸ばす。
 自然、彼の右背後の死角から白い手が伸びた形になった。
 りん、とまた軽やかな音。
 女の気まぐれにはなれているらしく、男は眇めて至近距離のそれを見やる。
「土鈴か」
「風鈴よ」
「風鈴?」
 あきれたように首を傾けると、自然と背後から伸びる女の二の腕に頬が触れた。
 それを嫌悪するでも、歓迎するでもなく、女はごく自然に姿勢を傾けて男の頭に顎を乗せる。
 とがった部分を押し付けられて、男は少々嫌そうな顔をした。
 彼は”鮮血の軍師”と仇名されて恐れられている男だ。
 礼節を広めた功績を持つ国とだけ知られていた小国のエイデガルが、群雄が割拠する時代に覇軍を起こし、あまつさえ快進撃を見せている原因の一人でもある。
 鮮血の軍師の前では、一枚岩を誇るどのような組織でさえ、猜疑し嫌悪し滅ぼしあう存在になりはてるのだ。例外は味方であるエイデガルのみ(それもいつまでのことか)で、他はすべて壊滅の憂き目にさらされている。
 女は男の不機嫌な顔にも、まったく動じていなかった。
 こうも恐ろしい男を軍師に迎え、使いこなし、あまつさえこうして男の側にいるのを好み、そばで笑うたった一人の人間、それがこの女。――男が燃やし尽くすような憎悪を向けると同時に、愛をささげる相手でもある、主君たる人間だ。
 けぶるような金の髪をゆらせて、女はさらに笑いを深める。
「ガルテ、こんなかわいらしいものだというのに、私の手にあるだけで嫌悪するのはやめてくれない?」
 真紅の髪に頬を寄せる彼女の姿は、まるで血の中で微笑むかのような凄惨さだ。
「嫌悪などするわけないだろう。お前が手に持つだけで、土くれが変じただけの物が、そこまでの意味をもつとでも思うのか」
「素直じゃないわ、わたしが触れるだけで」
 風鈴と彼女がよぶ、涼しげな音を放つそれを持たぬ、彼の左肩の上につけていた左肘をはずし、そっと頬をなでる。
「あなたは自分自身さえも嫌悪するくせに」
「自意識過剰もほどほどにしろ」
「いいのよ、わたしはそれくらいで。私は特別であらねばならぬ存在なのだから」
「前から言ってるがな、お前の両親もお前の兄姉たちも狂ってる。――お前のなにが特別だという」
「特別でしょう。それに、あなたにとっても。あなたの国を滅ぼしたのはわたしなのだし」
「正確に言えば、お前の兄姉が率いる四閃獣が、だろう」
 冷静に訂正される。
 女は目を細め「命じたのはわたしよ」と答えた。
 また、りん、と涼しげな音が響いた。
「それで、何をしにきた」
「暑いだろうと思って」
「暑い?」
「ええ、まったく嫌な国よ。わたしたちの陣地の周囲に炎を操る魔力者を配し、炎で囲み、こちらが暑さでやられるようにと仕向けてきてどれくらいたったかしら。道具として使われるから、魔力者たちは限界を訴えることも出来ず、使い果たして消し炭になったのも見たわよ」
「どこで見た」
「陣地を抜ければすぐに見れるわよ、見に行く?」
「誰に頼んだ」
「兄さま」
 にっこりと笑って、女は目を細めた。
「魔力者相手にお前の自慢の兄姉の武芸も通用はせんはずだがな」
「私達が殺されなくて残念だったわね、道具にされてしまった魔力者たちは、命令以外のことはしないのよ」
 つい、と女は身体を離した。
 触れていた部分の熱がとけて、うだるような暑さのなかでも少しの涼を感じる。
 りいん、と、また音。
「で?」
 ようやく男が振り向く。
 あでやかな軍装の女は、手にしていた風鈴を振って見せた。
「あまりに暑くて、私のことを心配した者が作ってくれたのよ。せめて音で涼しさを感じられればってね。風が吹けば揺れてなる。だから土鈴ではなくて、風鈴」
「なるほど」
「ねえ」
「なんだ」
「少しは涼しくなった?」
 風のかわりにまた手を動かして、風鈴に音をうませる。
 男は唇の端を持ち上げた。
「さあな、はっきりしているのは一つだ」
「なに」
「明日、血の雨がふる。その雨が、涼をもたらすだろうさ」
「そう」
 女の笑い方が変わった。
 覇気を、そのまま笑みにしたような、そんな笑い方。
 白い手を翻して、風鈴をほおる。
 男はそれを受け止めた。
 憎しみながら、それでも愛する女からの、それは多分贈り物。

「明日の策を楽しみにしているわ」

 金の髪の残像を残して、女は去った。
 






[終]


竹原湊 湖底廃園
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