暁がきらめく場所
気づいたこと

 強く吹き込んでくる風に黒に近い蒼褪めた髪を遊ばせて、窓辺に腰を据えて以降ぴくりともしなかった少年が唐突に首を横に傾げた。
「……エア?」
 少年の後ろ姿と、その先に広がる壮大な空と湖の青と碧の両方を視界に収めたまま書類と格闘していた少女が驚いて名前を呼ぶ。
 名前を呼ばれたのなら、とにかく名前を返すというのが二人の間での決まりごと。だからすぐに少年は振り向いた。
「なに、ティフィ?」
「どっちかっていうと、私がどうした?って聞きたいところなんだけどな」
 悪戯っぽく言いながら、アティーファは手にしていた書類と羽根ペンを机に置き、立ち上がってエアルローダが腰を下ろす窓枠へと進む。
 ひときわ強い風が入ってきた。
 亜麻色の髪がふわりと揺れて、アティーファは広がった髪を手で押さえる。
 それはまるで風と少女がたわむれているような光景で、だからエアルローダは形の良い眉をきゅっとひそめた。
「なんか、今、腹が立ったな」
「それはどうして?」
「あれ、分からない?」
「分かりたくないっていう気持ちがあるかも」
 笑いながらエアルローダの前に立つ。
 当たり前のように少年は手を伸ばして、少女の手を握った。
「ティフィの手は僕に差し伸べるためだけに存在すればいいって思わない?」
「そんなの無理だよね」
「まあ、そうだね。物理的にも精神的にも不可能だってことは知ってる。無理に束縛しようとか監禁しようだとかも思ってないんだけど」
 二人の髪に、風がまたふわりと触れてくる。
 優しく、どこまでも癒すかのように穏やかに。──けれど。
「似てるんだよね、風は。アレに」
「アレって……エア、ごくごく普通に吹いている風とアトゥールを重ねるのは強引すぎないか?」
「皇国に吹く風が、風鳥の意思を濃く宿しているのは事実だろ? 君を護る水竜と同じく、恋するように風鳥は主にべったりだ。……重ねるよ」
 少年はため息をついて首を左右に振る。
 これは本気で嫌がっているとアティーファは気づいてしまって、取られていない方の手でアウケルン湖を指さした。
「エアの理論が正しいなら、皇国を流れる水は水竜の意思を宿すってことにならない? だとしたら、エアは水に私を感じるのか? 飛び込みに行くなら止めないよ」
「……水竜はただの水竜でティフィじゃない、よって今からアウケルン湖で泳ぐつもりはない。というわけでやられた。ティフィはやっぱりアレと長年を一緒に過ごしてきただけあって、やんわりなのに強引だ。説得能力高いよね」
 過ごしてきた時間による影響か、と。エアルローダはごちた。
 ファナス争乱と呼ばれることとなった惨劇を招いたのは、エアルローダの母親がエイデガル皇王フォイスから愛されたのは自分だと認識したことに端を発する。
 普通であれば、あり得ない誤認。
 けれど生まれつき視力がなく、双子の姉妹であるリルカの五感を共有して世界と繋がっていたことで強烈な思い込みが起きてしまったのだ。
 だからエアルローダは母親の呪詛を子守歌にして、近しい血という縁を頼りに、アティーファの成長する光景をずっとずっと見て育ってきた。
 けれどそれはエアルローダだけだ。
 アティーファはエアルローダを知らず、彼女の父親と、兄代わりの二人の公子と、従兄弟であった純血の魔力者と、長い時間を穏やかに過ごしてきている。
「エア」
 昏い思考に沈みだした少年の意識を、アティーファの声が引き上げる。
「ティフィ?」
「エアと過ごしていなかった刻よりも、エアと過ごしていく刻を重ねていけばいいんだ。約束しただろ、永遠は私の中にあるって」
 ふわりとアティーファは微笑んで(それはエアルローダの思い込みでなければ、自分にだけ向けられる感情に彩られた綺麗なものだ)そっと頬に触れてくる。
 頬に触れてくる手に、手を重ねてエアルローダは目を細めた。
「それで、話を戻すけど。エアはなにを考えて、驚いていたの?」
「いや……ちょっと色んなものを失敬してきて調べていたんだけどさ」
 少年の視線が、床に無造作に並べられた資料へと向けられる。
 積み上げられた資料の光景は、よくアトゥールがやっていたなとアティーファは思ったけれども、口には出さずにただじっと少年を見つめた。 
「ねえティフィ、エイデガルの皇族って短命一族なわけ?」
「──え?」
 飛び出した問いに、アティーファはぽかんとした。


 いやだってと前置きがされて続いた言葉を頭の中で勢いよく巡らせながら、アティーファは自室である塔の階段を疾風のように駆け下りていた。
 歴代のエイデガル皇王たちはみな若くして皇王位についている。それだけならば別に不思議なことではないが、皇王が退位しての即位ではなく、皇王が崩御しての即位だったことが分かってしまった。
「父上が即位したのは二十二歳の時、お祖母さまは四十九歳だった」
 現在のフォイスは四十一歳だ、だとしたらあと八年しか残りがない。
「なんでみんなして五十才を迎える前に亡くなってしまっている? 平均寿命はもっとぜんぜん長いのに。エアに他の公族のことも調べてってお願いしてきたけど、そっちも同じだったとしたら」
 背筋を冷たいものが走ってアティーファは駆け下りる足をとめ、支えを求めて壁に右手を付けた。
「カチェイは三十歳で、アトゥールが二十八歳。もし公族たちも平均寿命五十歳の法則があるとしたら、あと二十年ばかりしかないってこと?」
 そんなのは嫌だとアティーファは心の底から思った。
 深呼吸をしてから螺旋を描く石階段を通常の三倍のスピードで駆け下り、一階にたどりついたところで目が回っていることを自覚し、足取りも少々たどたどしくなってしまった。
「アティーファ?」
 ぽかんとしているのが良く分かる久しぶりに聞く声に、アティーファは勢いよく振り向いて脚がもつれた。壁にぶつかるところで、力強い手に掴まれて支えられる。
「リーレン! お帰り、いつ戻ったんだ?」
「ついさっきです、戻ったというよりも一時立ち寄りなんですけれどね」
「一時立ち寄り?」
 首を傾げてアティーファは、幼馴染であり従兄弟であった黒髪の魔力者を見上げる。
 二年前にアティーファの側にずっとあった兄代わりの二人の公子は生国へと去り、側から離れることはないと思っていたリーレンは父王フォイスの親友であるロキシィ・セラ・ミレナの他国放浪につき合わされるようになったのだ。
 フォイスからの依頼だという言葉を盾にされ、ロキシィに好き放題に連れまわされた結果、ザノスヴィア王国に存在していた魔力者の村に王太后やマルチナと共に訪れるという経験まで重ねている。最終的な目標はリィスアーダとマルチナの魂を分離することだとわかったのだが、まだ準備が必要だというのがリーレンがロキシィから聞いている内容だった。
 皇城を留守にしている期間が長いためか、戻ってくるたびにリーレンが大きくなっているような気がアティーファは毎回して、こっそりと驚いている。
「そうなんです、ロキシィ公王が物凄く珍しい酒を見つけたと突然に興奮されまして。『こいつは自慢しまくって、目の前で飲んで、その後に「飲ませて下さい」とフォイスにねだらせる作戦を敢行するべきってもんだろ!!』とおっしゃって」
 ロキシィのセリフの部分でリーレンは声色を変え、それからがっくりと「真似してしまいました」と肩を落とした。
「リーレン、イヤかもしれないけど、今のロキシィおじ様にそっくりだよ」
 鈴の音のような笑い声をアティーファが上げる。リーレンは心地よさそうに目を細め微笑んでから、ふとため息を落とした。
「──あの方の声しか聞けずに終わる一日を想像してみてください、アティーファ」
「それは。随分と濃い一日になるな、なにもハプニングが起きなくても」
「かなりです。あの方、性格と同じで声も騒々しいんですよ。……今更になりますが、アティーファと公子たちの声をずっと聞いて過ごして来た日々は贅沢の極みでした」
「そうだな、あまり深く考えたことはなかったけれど、カチェイの声は低くて落ち着いているし、アトゥールの声はすごく柔らかかった。今だから言うけど、アトゥールに怒られているのに聞こえてくる声が心地よくて寝ちゃったことが何度もあるよ」
「私もです。告白ついでに白状しますが、寝ると頭を撫でてくださるので、それも嬉しくて寝たふりをするときもありました」
「うんうん、それも分かるな。カチェイだと、がしっ!わしわしっ!てやってくるから、寝てても起きるんだけど。アトゥールは柔らかく撫でてくれるからさらに寝てしまう」
 二人、幼い頃を思って穏やかに笑う。
「カチェイ様とアトゥール様に会いたいです。アティーファは会えているんですか?」
「もう少ししたら会えるよ。アトゥールの即位式があるから。そこまでロキシィおじ様を足止めしてと父上にお願いしてみるよ」
「ありがとうございます。それにしても即位ですか……アトゥールさま、ついに公王位につく決心をされたんですね」
「いや不可抗力かな。つい最近、ティオス公王が崩御されたんだ。それでアトゥールが……ああ!!」
 いきなりアティーファが大きな声を上げたので、リーレンは目を丸くした。
「アトゥールの父親なんだから、そんなに年じゃなかったはず。エアに調べて貰う間でもない、やっぱり公族たちも短命ってことになるのか?」
「あの、アティーファ? どうしたんですか?」
「そこでどさくさに紛れて、肩に手をかけようとしないでくれるかな従兄弟殿」
 ごく自然に入り込んできた低められた声に、リーレンの眉がぴくりと上がる。ちらりと視線を塔へと続く階段へと向ければ、侍女の制服をまとった細身の影が本を片手に立っているのが見て取れた。
 ファナス争乱の首謀者でレキス公国を瓦解せしめた張本人であるというのに、よりによってアティーファと永遠を約束してしまったエアルローダ・レシリスが堂々と塔の入口に出て来た現実にリーレンは頭が痛くなる。
「いくら首謀者が少年魔力者であって少女魔力者ではないと公式発表してるからといって、堂々と出てくるってどういうつもりなんだよ?」
「大丈夫だリーレン。だって今のエアを見て男の子だって思える人間なんていないって」
 よりによって皇女が敵に回ってしまって、リーレンは眉を情けなさそうにハの字にしたが、ここで引っ込むわけにはいかなかった。
「絶対なんてあり得ませんよ、アティーファ。だってそいつは歴然とした男なんですから、見抜く人は見抜きます。それに二年前とは違うんです、背も伸びてるし食事も十分だから体格も良くなっていますし。人間の鑑定眼を甘く見ないで下さい!」
「そんなもの信じてるんだ従兄弟殿は。人間なんて見たいものしか見ないよ」
 必死のリーレンの主張と、適当にいなすエアルローダの主張とを聞いて、アティーファは父王の癖を真似たのか「ふむ」と言って腕を組んだ。
「なあリーレン。アトゥールが女装したら男だって見抜く自信はある?」
「え?」
「私は絶対に見抜けないな、だって相変わらず一番綺麗だし」
「……アティーファ、それ、アトゥール様に会われる時に言わないで下さいね」
「大丈夫、そのあたりはちゃんと弁えているから。それで、どう?」
 悪戯心がなせるのか、きらきらと星でも煌めかせるような少女の瞳にリーレンは頬が熱くなるのを感じながら「……無理、かもです」と無念の声を上げる。
「ほら、だから大丈夫」
 安心させる為かリーレンの肩に手をおいて、アティーファはすっと視線をスライドさせた。
「エア、どうだった?」傍らに皇女が問う。
「公族たちのほうも調べ終えたよ。先代のレキス公王が例外中の例外で、他はほとんど長くて六十歳、平均で五十歳を迎えるころに崩御してたよ」
「──なんで今まで気づかなかったんだろう。ええっと、エアは寿命を延ばす方法とかないか調べてみて。リーレンは私と一緒に父上のところに!」
 拳を握りしめて、アティーファは亜麻色の髪をふわりと揺らせて踵を返す。
「ティフィのお願いは聞くけど、なんだってソレと一緒に。まあ、仕方ないから許すしかないか」
「君に許してもらう必要なんてありませんから!」
 所有権をいちいち主張する発言に反応をして、リーレンは早足から駆け足に切り替わっているアティーファの後を追った。
 侍女の格好をしたエアルローダは二人を見送り「ファナスの一族は確実に短命だけどな」と呟いて、魔力でもって空間を越えようとして静止する。
「あんなに焦るってことは、ティフィは僕が短命ってのも嫌ってことになるのか──?」
 あれ?とばかりに首を傾げ、延々と螺旋を描く石階段を見上げ、少年はため息をついた。
「仕方ないか」と言って、大人しく階段を登り始める。
 アティーファに言われるまでもなく、寿命を延ばすためにやっておきたいことなどの本を調べ始めて「健康の為に階段を登ろう!」という記述をみつけてしまっていたのだ。

 靴音を高く響かせて駆ける皇女と側近の黒髪の魔力者の姿に、皇城で働く人々は目を丸くしていた。それは久しぶりだと微笑ましく思う気持ちからであったり、ファナス争乱後の凛とした皇女しか知らぬ者の驚きであったりと様々だ。
 波紋のように広がる人々のざわめきを感じながら、アティーファはリーレンに声を向ける。
「リーレン、父上があと九年で本当に死んでしまうんだろうか。どこか悪いところがあるように思える?」
「いえ、その、フォイスさまのお身体の調子が悪いとか考えたこともありません。皇公族の皆さまは健康な方が多いですし」
「うん。父上はどうみても健康そのものだよ。やっぱり信じられない。だってお腹も出てないし、動きも機敏だし、父上はかっこいいままなんだから」
 アティーファの口から飛び出す素直な発言にリーレンの胸は温かくなる。
 駆け足で大人になろうとしている為か減っていた、アティーファが大切に思う人々のことをどう思い、どんな風に大好きかを口にしては照れさせていた頃に戻ったような気がしてしまったのだ。
 二人はすでに皇王の執務のためのエリアに入り、高貴なる侵入者に人々が慌て始める。
「大丈夫、この時間に来客の予定はないから!」
 少々強引に言い切って皇王の間へと続く扉を開けてしまう少女に合わせて、リーレンも警護する近衛兵に頭を下げて一気に通過する。
 あとは真っ直ぐに進むだけだ。
「健康そのものの父上の足元をすくうもの……。あ!!」
「アティーファ?」
「リーレン、一時帰国となった理由が異国で見つけたお酒にあるって言ったよね?」
「ええ、間違いありません」
「それだ!」
 敵を見定めた時のように、アティーファの翠の瞳が凛と輝いた。
「アトゥールから聞いたことがある。確かフェアナの何代か前の王が、二十代前半でばたばたと三人も崩御して代替わりしたことがあるって。その後を継いだ王が、陰謀説とか暗殺説とかを切り捨てて『祖父も父も兄も大酒飲みだった。酒に違いない。だから酒は一滴も飲まないことにした!!』と言って」
 意味深に言葉を切った所で、アティーファは駆ける足を止めた。
「お酒を断って、どうなったんですか?」
「うん、なんと七十五歳まで生きたんだって」
 空間を区切る重厚な扉に手を添え、少し前から聞こえてくる音に眉を寄せてアティーファは力を込めた。
「確証はないけど、でも! 可能性はある、父上!!」
 バンッ!!と効果音を付け加えてもよさげな勢いで扉を開けた。
「ふむ、随分と派手な登場をしたなアティーファ。どうした?」
 いきなりの愛娘の登場に驚きもせず、執務室の机に向かっていた皇王フォイスが声をかける。対照的に「うおっと!」と声を上げたのは、敷き詰められた絨毯の上に胡坐をかき、酒瓶と酒樽を並べて手酌する金褐色の髪の男の方だ。
 リーレンを連れまわして世界を放浪する、エイデガルと五公国きっての変わり者ミレナ公王ロキシィ。
「駆けて頭突きをしてくるシュフランと同じような登場の仕方だな、おい。まだまだ二人ともガキだねぇ」
「ロキシィおじ様のニヤニヤ発言、シュフランに伝えておきますね」
「伝言すんだったら、土産を楽しみにしてろって付け加えてくれや」
 土産の言葉に嫌そうにする皇女に笑みかけ、エイデガルの皇王と皇女の目の前で酒をあおる。
 粗野に見えないのが不思議な男に追撃はせず、アティーファは視線を執務室の絨毯に林のごとく並べられた酒の数を把握し始めた。
 その行動を正しく理解し、しばらく時間が掛かると判断したリーレンが居住まいを正す。
「フォイス様、お久しぶりです。一時帰還いたしました」
「よく戻った、元気そうでなによりだよ。それにしてもリーレン、ソレと行動を共にして随分経つというのに、欠片も染まらぬあたり流石だな」
「いえ、その、ロキシィ公王に染まるのはちょっと……」
「なんだそりゃ。しかしこの状況下でみせたこだわりがフォイスに帰還の挨拶をすることかよ。いまだに酒の一つも飲まねぇし、ほっんとに面白くねーな」
 小ぶりの酒瓶の一つを無造作につかみ、ソレをいきなりリーレンへと放る。神弓の腕前と名高い男が投げたそれは恐ろしい正確さで青年の頭に直撃するはずだったが、アティーファの手によって阻止される。
「──あん?」期待した音がしないのでロキシィは振り向いた。
 ティーポットからリーレン用の紅茶でも注ごうとしたフォイスも手を止め視線をあげる。
 エイデガル皇王とミレナ公王の視線を受け止め「禁止です」と、少女は断言した。
「なにを?」ロキシィが問う。
「お酒」
 手の中に収めた酒瓶を、アティーファは敵の首級でも取ったかのように天に突き上げる。
「お酒はこれから永遠に禁止!!」
「はあああああ!?」
 驚いても素直にソレを見せぬ皇公族とは思えぬ率直さで反応し「お前の娘が乱心してんぞ!」とロキシィは声を上げる。
「勝手に愛娘が乱心したことにしないでくれるか。不敬だぞ不敬」
「いやいや、不敬って言葉使いたいんだったらよ、俺がここに押しかけて酒盛り始めた時に言えや」
「視界と聴覚から遮断すれば問題がないのでね。それよりロキシィ、いいのか?」
「あん?」
 フォイスが流す視線の先で、アティーファのお願いを受けて魔力を行使したリーレンが酒を次々と溶けぬ氷の中に閉じこめていく。
 その中には勿論、ロキシィが見つけてフォイスに下さいとねだらせる予定だった珍しい酒も含まれていて「うおお!?!」と声を上げた。
「おい、なにしてやがる小僧っこ! だいたいなに魔力使ってやがる、いや使えてやがる!!」
「知らなかったのかロキシィ。私から娘に乗り換えた水竜が、アティーファの近くならリーレンとエアルロ―ダの普段使い程度は可能にしていることを」
「お前の命令で不可にしろよ! おい!」
「だからアティーファに乗り換え済みだと言っただろうが」
 目を剥くロキシィに視線すら向けずに相手をして、フォイスは作業完了した様子の愛娘とその側近に「理由は?」と問う。
 それでようやく説明もせずに強行したことを思い出したアティーファが「あっ」と声を上げて、改めて座り込むミレナ公王の前を素通りして父親の前に立った。
「エイデガルと五公族の王たちが、揃って短命である事実に気づいたんだ」
「──ん?」
 深刻に告げられた愛娘の言葉に、珍しくフォイスが驚いた様子を見せる。それを痛い指摘をしたからだと受け止めて、アティーファは翠の瞳を潤ませた。
「私は父上に早くに死んで欲しくない。そんなのは絶対に嫌だ」
「──。いやアティーファ、少し落ち着け」
 腰を浮かしかけたフォイスを「嫌だっ!」という悲痛な声が静止した。
「大好きな父上が、あと九年で死んじゃうかもしれないだなんて! 落ち着いてなんていられないっ。だから、寿命を短くする可能性があるものは徹底的に排除するって決めた!」
 使命感という焔を燃え上がらせ、アティーファは感情をあらわにする。
「リーレンと一緒に快速艇を飛ばしてアデルとティオス公国に行って来る!! カチェイとアトゥールにも長生きして貰わなくちゃいけないから! 行こう、リーレン!」
「はい!」
 息もぴったりに、年若い後継者である娘とその側近は飛び出していった。 
 氷漬けにされた酒瓶や酒樽を、もの悲し気に振ってみたりさすったり懐に入れて温めたりしていたロキシィは、静止した親友にため息をつく。
「なに感動して余韻に浸ってやがる」
「──いや、私の事を大好きと大声で言ったのは久方ぶりであったのでな。まあ幼児の頃まで遡らなければ言われたことのないロキシィには分からぬ感動であろうが」
「うっせえなあ。いちいち言葉に出されなけりゃ感動しねぇお前が浅いんだよ。シュフランは毎度毎度、俺の不在を飽きずに怒るぞ」
「あ、居たんだ。と言われるのも時間の問題だろうがな」
「──ちっ。しかしなんで教えてやらねぇ。平均寿命が短いんじゃなくて、平均真面目年数が短いだけだってよ」
 ごくごく一般の人々は不明だが、皇公族は真面目さをある一定容量分しか持って生まれてこないようで、寿命が尽きるまえに大抵は枯渇してしまうのだ。
 結果、後継者が国を背負える年齢になっていれば、自分は死んだことにしてくれと言い置いて姿をくらますのが皇公族の当たり前の習慣なのだからどうしようもない。
「あれの祖母、私の母親に限れば早くに死んだのは事実であろうよ」
 フォイスの言葉にロキシィが眉を寄せる。
 慈母王マリアーナと呼ばれたフォイスの母は、変わり者の多い皇公族の系譜においては異端者で、至って真面目で優しい変人の要素のない人物だった。ミレナ公太子ロキシィと共に行方不明になった息子を呼び戻す為に、偽りの危篤情報を各国に流した程度しかやったことがない。
 しかも危篤という情報を流したのだからと己を死去したことにし、フォイスは母国へと戻ってすぐに母親の葬儀を執り行って皇王位を継承している。
 そこまではただのよくある話だ。
 けれど事情を異ならせたのは、フォイスが連れてきた娘がファナスの一族であったこと、親から子へと血族に継がれていく“抗魔力”と“魔力”の双方を子供が確実に受け継ぐこと、赤子が二つを継承するのは死を意味すること、それを制御しうる水竜宝珠が紛失されたという現実だった。
 マリアーナは想定される未来に戦慄し、孫が無事に誕生出来るようにと心血を注ぐと共に現実をフォイスとリルカに伝えた。
 三人が出した結論は、生まれてくる子供の魔力を封じ抗魔力を残すことだった。
 リルカが我が子に宿る魔力の全てを封じ、フォイスは我が子にありったけの抗魔力を注ぎ込んで魔力中毒にならぬようにし、マリアーナはリルカの中で暴発する魔力を抗魔力でもって引き受ける。そして皇王即位式の際に公国に残る獣魂宝珠と公族を皇都に集めて抗魔力結界を強固にしておく事だった。
 結果は無事にアティーファは誕生し、フォイスは生き延びた。──それに尽きる。
「まだ言えねぇってのか。アティーファが生まれてくるために、祖母と母が犠牲になったことを。甘いねえ。ついでにあれか、生まれた瞬間から抗魔力に完全覚醒したせいで身体が弱いってことになってたヤツに追い討ちを掛けた形になったこともだんまりか?」
「本人にも伝えておらんしな。だが、気づいてはいるかもしれんな。生まれた時から調子は悪かったとはいえ、あれの母親を狂わせるほどに意識不明の重体状態が頻発するようになったのは、アティーファが生まれた時の大量の魔力がアトゥールに流れ込んだのが原因だとな」
「お前の唯一の計算ミスだったろ、あれは。まさかティオス公国にいる子供の抗魔力がもっとも高く、ゆえにヤツに魔力が集中する結果になるなんてよ」
「まあな。──思いの外、ロキシィの抗魔力が役に立たなかったことが痛かったのもあるな」
 同意しつつも、減らず口を付け加える。
「へいへいっと。しかしフォイス、本気で策を巡らせとけよ。路線が変更されないままだと、お前の愛娘は全面禁酒令なんぞ出して民から嫌われる皇王として名を残す羽目になるからな」
「名を残す前に、お前が反乱でも起こすのが先だろうがな」
「そいつは否定はしねぇなあ」
 魔力氷漬け酒瓶を放り投げてもてあそびながら、不穏な笑みをミレナ公王が浮かべる。
「やれやれ。まあ、たしかに過度には嗜まぬが楽しみではある。なんとかするさ」
「なんとかしろよ本当に、ミレナの反乱は嫌だろ?」
「ただでさえガルテ公太子の動きを封じるために、無茶と無理をするという趣味の継続を許しておるというのにな。そこにミレナ公国の反乱要素なんぞ加えたら、流石に倒れかねんだろうな」
 あっさりと深刻な未来の懸念をフォイスが口にする。
 エイデガルを、五公国を、そして他国を放浪してさまざまな情報を直に手に入れるミレナ公王は、珍しく理知的な色を眼差しに添える。
「そういやガルテ公王が公位をいまだに譲らないのは、ヤツが公王になにか言ってるからだって話を聞いたことがあるな。しかも最近じゃ、セイラスんとこのガキ二人が異様にヤツらに懐きだしてるらしいよなあ?」
「アトゥールは反乱を起こしたとしても、セイラスとシャンティにとっての面白い状態にはさせぬと示しておるのさ。会いたくもない仲のくせに、四六時中相手の事を考えている状態なわけだ」
「うげぇ。俺が言うのもなんだがよ、精神負荷がありすぎだな」
「だろうな」
「あっさりと、この人使いの鬼め」
「結果が出ておるからな。ガルテ公王が真面目を持続させて公王位を譲らぬだけでなく、ルシャとセイカが私に頼んで来たぞ。ティオスとアデル公国に父母抜きで一か月くらい滞在してみたいとな。勿論、叶えてやるつもりで思案中だ」
「離反策……て呼んでいいもんか? ひっつきたがりのセイラス夫妻には効果ありだろうがな、ひっくり返るだろあのバカ夫婦なら」
「そうなればかなりの見ものだな。全公王と後継者が見たがるであろうよ」
 笑いを含んではいるが、まったく目は笑っていないフォイスをロキシィは見やった。
「──あいつらが本気で頼れるのはお互いだけってのは死んでも変わらねぇぞ」
「周囲を信用するようになったと評判だがな?」
「演技力がやたらと上達してやがるからな。まあ抜かりはないんだろうが、奴らが堂々と集まれる機会は責任もって作ってやれよ」
「お前があれらを気にするとは珍しいことよな」
「シュフランが心配して泣くんでな。ところでよ、フォイス」
 曰くありげに言葉を切り、目を細める。
「あいつらの寿命を縮めるものがあるとしたら、そいつは酒やら暴食とかやらじゃねえって自覚は持ってんのか」
「当然だ」
 立ち上がり、フォイスは窓辺へと進んだ。快速艇が進み、川面に白い煙を残して消えていく。
「あれらに生きる為の場所を与えたのは私だからな、死ぬ場所も理由も与えるのは私であり、私が死んだ後はアティーファでしかないだろうよ」
 世界の全てが敵だと認識していた二人の子供を拾い上げた、それがフォイスの責任だ。
「ならいいか。ところでよ、アティーファから酒を守りきれると思うか?」
「そうさな。カチェイは野生の勘を発揮して、いまごろ死守したい酒だけを隠すか、飲みつくすでもしてるのではないか」
「ちっ、羨ましい。もう一人は、そもそも酒に失礼な存在だからな。酒を置いてもいないか」
 かつて酒の飲み比べをアトゥールに無理矢理にやらせて、敗北した過去を持つ放浪公王は舌打ちをする。
「──行くのか?」
「ああ、じゃあな」
 言って、ロキシィは部屋を後にした。
 一人残ったフォイスは、ただ静かに佇むだけだった。

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竹原湊 湖底廃園
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