暁がきらめく場所
最強の証明 最終話
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 燃え盛る炎を前に。
 粛々とそれは行われ、ついに二人以外にたつ者は皆無となる。
「なんだかんだいいながら、歯ごたえのねぇ」
 鼻で笑って、カチェイは歯の部分がぼろぼろになった大剣を、まとう布地の端でぬぐいとってから鞘に収める。背後に位置していた彼の親友は、唇に笑みを含んだ状態で、細剣の血のりを払った。
「随分、刃こぼれをさせてしまったな」
「仕方ねぇだろ、そんなん。大量に人を切れば、どんな名刀でも刃こぼれは起こす」
「仕方ない、ね。刃がこぼれたら、棍棒かわりにすればいい大剣使い様には、分からないことか」
「なんだ、そのあきれたため息は」
「あれ、珍しく察しがいいね」
 ちらりと目線をくれてから、彼はふるっと首をふる。
 かすかなうめき声をあげている最強の証明の者たちの目は、恐怖に震えて固まっていた。両足が無事なものは逃げ出しているが、カチェイの指示にしたがって周囲の包囲を行ったエイヴェル騎士団によって捕獲されているはずなので問題はない。
「殺せッ!!」
 低く、うめくような声があがった。
「そんなことをしてやっている暇はないね」
 冷たく言い放つと、アトゥールは目を細める。戦場を限定し、部外者が巻き込まれぬようにと、彼自身が放った炎はまだ勢いを増している。風向きを考えて放たれた火は、まだ天幕を燃やしていないものの、あまりにも近かった。
「ところでな、あの火はどうするつもりなんだよ」
「風向きがそろそろ変わって、天幕を焼くね」
「……あっさりと答えてる場合か?」
「私に約束をしたろ? 死なせはしないと。カチェイ、入り口近くに巨大な古木が岩を支えているようだったのを見ただろう?」
「あれを?」
「両断してきてくれ。ただし、こちらに押し寄せてくる水に流されないように」
「なるほど。手がこんでるこって。で、なんでお前がやらない?」
「カチェイが約束したんだろう?」
 だからやらせてやるんだよ、と暗に言ってのけて、アトゥールは天幕の方向に身体を向ける。「素直じゃねぇの」とカチェイは笑って、きびすを返して駆け出した。
 しばし、待つ。
 直後、轟音と共に濁流が流れ込んできた。


 うだるような熱さと、周囲が燃えていく音と、風向きが逆とはいえ流れ込んでくる煙にむせながら、メイランは混乱していた。
 とにかく息が苦しい。煙がどれほど危険であるのかは、薬師であるメイランには良く分かる。最初はすぐに逃げ出そうとしたのだが、それをとめたのはリーレンの小さな手だった。引き剥がそうとするも出来ず、逆に煙は入り込んでくる。
 幸運にも外の風の流れは逆であったらしく、天幕自身が燃えることはなかった。
 身体を低くし、煙から逃れようと必死になる。
 幸運だったのは、なみなみと水の入った水筒と水桶を、フィズが彼女に渡していったことだった。寝具として渡されていた毛布に水をかけ、メイランはリーレンを抱えたままもぐりこんだ。布地に水を浸し、口に当ててなるべく煙を吸うのを防ぐ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 きれぎれにリーレンに声をかける。こくんとうなずく子供の身体は震えていて、メイランは愛しさが強まってさらに守るようにかきだいた。
 炎が全てを舐める音に重なって、時折、物騒な音が響いてくる。
 戦場に薬師として連れ出されたメイランには、それが争いの音だということは容易に想像できていた。フィズは大丈夫なのだろうかと、心配が頭を掠める。
 どれほどの時間が過ぎたのか。
 苦しさと辛さに泣きたくなって、それでも子供を守りたくて、意識を保とうと必死になっていたメイランの体を。
 唐突に、水が、さらっていった。
「――!?」
 ぎょっと目を見張る。同時に、腕に抱かれていたリーレンも顔を上げた。
 地面にふかぶかと根ざした天幕は、なんとか水に負けずに保たれている。二人は毛布を跳ね上げて立ち上がり、くるぶしの高さまできたせせらぎに目を見張った。
『よかった! 大丈夫!?』
 明るい声が外から響いて、濡れて重くなった入り口の布地を持ち上げる人物がある。メイランとリーレンが勢いよく声の方向を見ると、明るい笑顔のフィズがそこにはいた。
 出て行ったときと同じく、高い位置でまとめられた薄茶色の髪が揺れている。頬やら額は煤でよごれているあたりは、わざとやってるんだ!とリーレンが思ったところで、懐かしいもう一つの顔を見つめて目を見張った。
 笑いを必死にこらえながら、手を振っているカチェイがいる。
「……っ!!」
 公子、と声を上げかけて、リーレンは喋れないことにしていたのを思い出して言葉を飲み込む。ごっくん、と空気の塊を飲み込んでしまって、喉の違和感に目を白黒させた。
 慌ててリーレンの背をさすろうとして、初めてメイランもカチェイに気づいた。それと同時に、視界全てを多いつくす陰惨たる光景が飛び込んできて息を飲む。
 まじまじと凝視しようとした瞬間、メイランは抱きしめられていた。肩口に丁度額が押し付けられるようにされ、伝わってくる温もりに息を落とす。
『何も見ないでいい。知らないでいい。メイランはなにも悪くないから』
 メイランにとっての、母国の言葉が柔らかく耳朶に響く。
 異国の地で聞く母国の言葉は、どんな子守唄よりも優しく、そして温かい。
 メイランを捕らえた同胞が、血の匂に満ちていたことに彼女は気づいていた。戦利品として蓄えられていた物資の質に息を飲み、ただ事ではないことをしているとも、気づいていたのだ。
 それでも。同じ国の、同じ民族が、無残にも転がされている現実が悲しかった。
 彼等はまだ殺されてはいなかったが、ここで死んでいたほうがマシだと思える現実が待つに違いない。……エイヴェル王国軍に引き渡されるのだろうから。
 王国軍が、どれほど帝国を憎んでいるかは、公開処刑寸前まで追いやられた彼女は痛いほどにしっている。
 メイランの震えを癒すように、首筋をとらえたほうではない手が、そっと背をさすっている。けれど彼女がフィズだと思っている男自身が、陰惨な光景を作り出した当事者でもあることには、流石に気づいてはいなかった。
 気遣わしげにメイランを見上げた後、リーレンはそっとカチェイの側に走る。隣にたどり着いた瞬間、ひょいと小脇に抱えられて目をむいた。
「こ、公子!?」
「お前も見るんじゃねぇよ。目、つぶっとけ」
「……あ」
「いつかは現実を直視することもある。だがまだいい。ほら、手を開いて目に当てる」
「は、はい!」
 まだ小さい手を広げて懸命に目を覆った子供を、すこし優しい眼差しで見つめてから、カチェイは大きく歩き出す。途中で振り向いてアトゥールを促すと、彼の親友は迷わずにメイランを抱き上げてみせた。
 異国の娘はしっかりとアトゥールに抱きついて、顔を鎖骨のあたりにうずめるようにして、現実から逃れようとしている。
 見つめたほうがよい現実もあれば。
 見つめないでもよい現実もあるのだと、二人は思うのだった。
 

 暗殺者たちはその後、公開処刑されている。
 二人が”最強の証明”に属するものたちをあえて殺さず、エイヴェル王国に引き渡したのは、王国民の憎しみの感情の沈静化を図るためだった。
 憎しみをぶつける相手がなかったからこそ、帝国の民全てが憎悪の対象になっていたのだから、的確な相手を与えれば静まるはずだった。
 実際、公開処刑が行われた後、多くの帝国民が解放されることとなる。帝国がそれなりの金額を払えば、国に送り返す措置も行っていただろうが、自国民を見捨てた皇帝はそれをしなかった。
 実際のところは、革命の火がくすぶりはじめ、出来なくなっていたのかもしれないが。
 メイランは無事に、本物のフィズの持つ船に乗って、帝国へと帰っていった。


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「それで、お二人が最強だと知れ渡ることになったんですね」
「うん。でも、本当になにも覚えていないのか?」
 稽古する手を止めて、アティーファがひどく不思議そうに首を傾げた。
 リーレンは沈黙をしてから「実は……」と頼りなげな声を出す。
「ん?」
「ずっと夢だと思い込んでいたことがあるんです。それがどうも、似てる気がします」
「夢だと思っていた??」
「ええ、優しそうな女性を見送ったあと、お二人に首根っこをつかまれるんです。で、そりゃあもう、思い出すのも恐ろしいほどに怒られるんです。……そういう夢だと思っていたんですが」
 すうっと、リーレンは目を細めた。
 確かあの夢の中でも、子供の頃のリーレンは砦を飛び出して逃げたのだ。そこで捕まってしまい、優しい女性に出会い、そして二人の公子に救われた。
「なんで砦を一人で飛び出したんだ、とか。アティーファ様をおいていったのは何故だ、とか。冷たくされたのなら、なぜそれが不当なことであると反論しなかったのかとか。……もしものことがあったら、どうするつもりだった!とか。もう、そりゃあ凄い勢いで怒られたんですよ」
「リーレン、それ、今でも夢だったと思っている?」
「違いますよね」
「あの頃のリーレンは、誰かに高圧的に出られると、本気で怯えてしまっていたからな。夢だって思い込まないと、耐えられなかったも知れないな。でもリーレンがひどく怯えるってこと、二人とも知ってたはずなのにな」
 アティーファはリーレンの顔を、下から覗き込む。
「知ってたのに、怒らずにいられなかったんだ。リーレンが怯えることよりも、リーレンの身になにかあるほうが大変だと思って」
 そういって、エイデガル皇国の姫君は柔らかく笑った。


 彼が恋する少女の言葉が、胸の中に染みとおっていく。
 そのままゆっくりと身体を傾け、昼寝を決め込んでしまった公子たちを見やった。
 あのときは、ただただ恐怖しか感じなかった。
 けれど思い出してみて、今なら分かる。
 あの叱責には、掛け値なしの愛情が込められていたことを。
「そうですね」
 ささやいて、笑っているアティーファと同じように、リーレンも笑った。
 ――幸せそうに。


 
[完]

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