暁がきらめく場所
最強の証明 5
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「なにがあっても?」
 リーレンにはめったに見せることのない、そこの知れない凄みを瞳に浮かべて、アトゥールが言い切る。言葉を頭が理解するよりも先に、身体が戦慄に震えたものの、黒髪の魔力者はうなずいた。
「はい。……め、メイランさんに抱きついて、頑張って寝てます!!」
 大真面目にうなずいた弟分の身体を、アトゥールはそっと離して座らせてやる。
「任せた。と、私はそろそろメイランを呼び戻してくる。料理も出来上がった頃合いだしね。彼等が欲しがるものは、別にも持ってきているし」
 まったく樽にしておいてよかったよ、と小さく言葉を落として、アトゥールは立ち上がる。肩からかける大きな鞄を手に、まばたきを二度、深呼吸を一度。
 最後に深く瞼を下ろし。
「あ」
 開いたときはもう、別人になっていた。
 同じ姿、同じ顔、同じ格好。けれど――決定的に、違う。
 雰囲気だけで、表情だけで、動きだけで、こうも別人になれるものなのかと、リーレンは御伽噺でも見ているような心持ちで、彼が出て行くのを見守った。
 外でなにか騒ぎが聞こえる。
 言葉が分からないのだから、詳しくは分からない。けれど平穏ではないことは分かる。大丈夫なんだろうかと、心配で出て行きそうになるのを必死に我慢して、リーレンは待った。
 外の声は次第に別の雰囲気になっていく。
 なにかを見て喜んでいる――いや、歓喜しているような、雰囲気。
 どれほど立ったのか、突然に天幕が開いて、メイランが戻ってきた。
「び、びっくり」
 あくまでごく自然な仕草で、彼女はリーレンをぎゅっと抱きしめた。
「フィズ、なんで、さけ? あれ、くに、さけ」
 なんで持っているんだろう?とメイランは首をかしげる。
「あ。さけ、つまみ」
 子供の背を抱きしめていた手を離し、メイランはポンッと手を打った。そのまま天幕を出ようとするので、慌ててリーレンは彼女にしがみつく。
「ん?」
 メイランは驚くこともなく、ただやんわりと尋ねてくる。ふわりと微笑まれて、兄はしっていても姉を知らないリーレンは、なぜだか心から暖かな気持ちになってしまって、さらにしがみついた。
 全身がぬくもりに包まれる。本当に眠気が襲ってきて、リーレンは小さくあくびをした。
「ずっと、ねてない? つかれ、でた。いっしょ、ねる」
 ぽんぽんとあやすように背を叩かれる。
 そのまま天幕の端においてあった、粗末な寝台に横になった。リーレンは必死にメイランにしがみつき、メイランも故郷においてきた弟妹を思い出して子供を抱きしめる。
 メイランにとっては母国の歌で、リーレンにとっては異国の歌を、彼女は歌いだした。歌詞は分からずとも、その穏やかな旋律はゆるやかに眠りへと誘ってくれる。



 子守唄は、どの国でも同じなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、アトゥールは目を細める。 
 風向きも、時間も、全てが計算通り。
 赤の旋風の一つである最強の証明の面々は、久方ぶりに出会った母国の酒に唇をしめらせて、なつかしの記憶にひたっている。
 飲まぬのは、ここが敵地だからだろう。
 生き延びるために村を襲い、生きる目的を作るためにエイヴェルの兵を襲う。ついにエイヴェル王国の名の知れた騎士を討ったのだ、大陸には敵しかいないのだと認識しているのは間違いなかった。
『帰りたい』
 そんな声がアトゥールの耳に届く。
 帰りたいのは当然だろう、彼等は帝国皇帝の戯れの被害者であり、ここは異国であり――彼等の神に見捨てられた場所なのだから。
「けれど単なる被害者でいるには」
 アトゥールは呟く。
 彼等には理解できぬ、かつて建国時代に使用していた、古いエイデガルの言葉で。
「殺しすぎた」



 突然の爆発音。
 静寂が一瞬横たわったものの、暗殺者たちはすぐに気を取り直して迅速な行動を見せた。爆発は彼等が捕らえた人物と物資をおいた天幕の方角で、駆けよろうとすると時を同じくして、地面の上を突然に炎が走る。
「油か!?」
 無言を通していた暗殺者の一人が、流石に声を上げる。
 炎の勢いは凄まじく、瞬きをする間に暗殺者たちと天幕とは両断されてしまった。
「火を――っ!」
 消せ、と叫びかけた、男の口が開いたまま固まる。
 断末魔の悲鳴が、唐突に響いてきたのだ。誰もが声の方角に身体を向ける。
「何者……だ?」
 大気を震わす、凄まじい気迫が彼等に向けられていた。
 消火活動も、爆発の原因を探すのも忘れ、気おされたかのように全員が棒立ちになる。一人だけ悠然と、腰をかけたまま酒の香りを楽しみ続けていた男が、立ち上がった。
「シュアン様」
 傍らに控える男が、かすれた声で呼びかける。
 最強の証明の首領であり、最強と目された騎士を倒した男。
 彼は周囲の人間に動くなと手で制したのち、大またで三歩ばかり歩いた。ふと足を止め、振り向いて油断なく光る炯炯としたまなざしを、シュアンから見ればフィズであるアトゥールに向ける。
 薄茶の髪と陶器のような肌に炎の色を映した様は、壮絶なまでに美しかった。足が震えて立てなくなったのか、座り込んだままの状態で近くの男にすがりついてメイランの名を叫んでいる。
 ――特に、問題はない。
 静かに断じ、彼は再び前を向いた。
 シュアンの瞳に炎が燃えている。戸惑いでも、恐れでもなく、彼は期待にうち震えているのだ。
『貴方が殺した騎士は、大陸最強の男だったんだ』
 シュアンは己が先日に倒した騎士が、大陸最強と敬われていたことを、フィズに知らされて初めて知った。
「強さこそが、我らの存在の証明。全てだ」
 国王陛下の騎士を殺したことで、エイヴェルの国民感情が最悪のものになっていることも知った。
 少人数で移動し、流浪を続ける物資補充の為に村を襲い、辺境警備を全滅させる。――こんなことが、長く続けられるものではないことも知っている。いつかは屍を異郷にさらすのだ。
「最強であらねばならん」
 悪名であろうとかまわなかった。
 捨て置いて撤退していった帝国にまで、自分たちの名がとどろくのであれば。――皇帝によって戯れで暗殺者とされた自分たちが、最強であるのだと知れ渡るのならば、問題はない!
 どくん、と。心臓が高くなった。
 尋常ではない気迫が、殺気が、圧力となったかのように周囲を押し包んでいる。
「シュアン殿」
 足音を忍ばせたまま、男が彼によりそった。帝国下にあった道場にて、隠密の行動に重きをおく流派の長だった男だ。
「こちらに歩いてきているのは、まだ若い男が一人です。警戒していた槍術使いは、一刀で行動不能にされております」
「一刀?」
「両手の親指のみを」
「指だけ、か」
 思案するように声を落とした瞬間、再び威圧感が襲い掛かってきた。
「面白い。ここまで呼び寄せろ、他の者は消火活動を」
「委細、承知」
 姿を消す隠密者の動きをとらえながら、シュアンは腰の片刃の剣に手をかけた。ごうごうと燃える炎の柱は、沈静化するどころか勢いを増し、背を温めるほどになってきている。
 苦労してとらえた魔力者の子供も、母国の女も失うのか。そんなことを考えた瞬間、無造作に歩んでくる足音を耳がとらえた。
 張り詰めた緊張感が、硬質な刃とかしたかのように、シュアンの肌を刺していく。
 鋼色の髪が、炎に照らされて輝いていた。陽性を感じさせる切れ長の眼差しが、なにやら面白げにじっとシュアンを見つめてくる。口元には大胆にも、わずかな笑みが含まれていた。
 背は高く、体格はがっしりとしている。それにふさわしく、獲物は身長にも匹敵するのではと思わせる、大剣だった。
「大剣使いか」
 シュアンの言葉に男は唇の端をゆがめるように笑って、大剣を身体と平行になるように垂直に立てた。柄の部分に右手を起き、戦闘態勢をとることもなく「気にいらねぇ?」と戯言のように呟いてみせる。
「いや、あまり戦ったことのない獲物だ。……楽しめるだろう」
 そのまま、左足を地面にこするのかと思わせるほどにシュアンは腰を落とした。
 男――カチェイは、ふぅんと目を細めてみせる。

 
 彼の親友であるアトゥールの指示に、寸分も狂いはなかった。
 指定の時間に爆発音が響き、炎があがった。『リーレンと帝国の女を同時に救うならば、首領を倒し混戦に持ち込むのに、五分以上かけるな』とも、彼は連絡をよこしいたのだ。
 相対する男の構えをとらえながら、カチェイは大剣を返す瞬間を見定める。
 間合いが広い大剣と、間合いの狭い短剣とでは、戦い方がまったく異なってくる。
 懐に入り込んでしまえば、短剣使いの有利は高まる。間合いを取るために引くしかないのだが、機敏に動くには大剣は邪魔なものとなりかねない。
 ――普通の人間には、だが。
 カチェイは大剣に手をかけたまま、敵の動きをただ待っている。さて相手はじれて動くか、動かないか。
『彼等はね、本当の意味での実戦にはなれていない』
 たった一人の襲撃を見て、続く部隊を懸念しようともしないあたり、それは確かに正しいのだろう。彼等は暗躍し、己の技を存分に発揮できる場所でしか、戦ったことがない。
「こねぇのか?」
 くいと首をかしげて、カチェイは一つ笑ってみせた。
 瞬間。
 男が動いた。折り曲げた右ひざをばねにし、凄まじい勢いで切り込んでくる。
 カチェイはただ、目を細めただけだった。
 右頬に、つっ、と赤い線が入る。
「技の披露でも?」
 微動だにせず、からからと笑う。
 男はカチェイの動きを誘うためだけに、大剣の間合いからぎりぎり外れるところまで踏み込み、短刀と同時に隠し持っていた小さなナイフを投じたのだ。――わざと狙いをはずして。
「赤の旋風が十番隊、最強の証明のシュアンだ」
 動じることなくナイフの軌道を冷静に判断したカチェイに目を見張り、シュアンは名乗ると同時に飛びすさった。
 それでもカチェイは動かない。
「そりゃ丁寧にどうも」
 あざけるように答えて、立てた大剣に寄りかかる。
 一瞬、ひどく不快げな表情をシュアンはしてみせた。カチェイはさらにあざけりの色を深め「俺が名乗らんのが不満かよ」と肩をすくめ、同時にいきなり歩き出す。
 無造作な歩き方だった。まるでただ、街中を散歩しているだけのような様子だ。
 首領の戦いを見守っていた男たちが殺気立つ。
 それを正確に見定めて、いきなりカチェイは大剣を片手に駆け込んだ。
 シュアンが虚をつかれた顔になる。けれど流石は最強である騎士を討った男らしく、横っ飛びに回避し、振り切ったことで開いたカチェイの脇下を狙って打ち込んでくる。
 ニヤ、とカチェイは笑った。
 大剣を無理に引くことなく、逆に打ち込んでくる相手に身体ごとぶつかっていく。二の腕を広げてさらに脇下をさらすと同時に、打ち込んでいたシュアンの腕を抱え込む。鈍い音と共に腕の肉が抉られたが、致命傷には程遠かった。
「もっと早けりゃ、いい手だったんだけどな」
 腕をとられたシュアンが目を見張る。
 抱えた腕をおもむろに放し、相手がたたらを踏んだところでカチェイは肘で相手の鼻面を勢いよく打ちつけた。同時に大剣を引き戻し、迷いもなく刃物を倒れたシュアンに打ち込む。
 大剣は切るというより、叩き潰しているというほうが近い。
 ――骨が潰される独特の音が響いた。
 シュアンはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
 腕が断ち切られていた。利き手である右手は根元から、左手は親指と人差し指の先が、無残な切断面をさらしている!!
「悲鳴を上げねぇのは、ま、認めるよ」
 ぶんっ、とうなりをあげて血のりを払い、カチェイは凶悪な表情であごをしゃくる。
「さあて、お前等はどうするよ? 一人一人でくるか?」
 おそろしく静かな、間が広がった。
 シュアンが最強であることを、この場にいる者たちは全員が知っていたのだろう。この男が子供のようにあしらわれるなど、想像だにしていなかったに違いない。
「ん?」
 優しいと取れるような笑みを、カチェイが浮かべた。それに誘われたかのように、近くの者たちがいきなりそれぞれの獲物を手に打ち込んでくる。
 ――彼らはね、礼儀を守るから多対一をしなかったけれど。理由はそれだけじゃないよ。
 アトゥールの言葉を思い出す。カチェイは笑みを唇に張り付かせたまま、地面に刃先をすらせたまま駆け出した。投げ込まれた矢をよけ、つきこまれてくる槍の柄を叩きおり、最後に切り込んでくる剣を弾くと同時に体当たりを入れる。
 ――多数での切り込みを経験した人間が、少ない。
「互いの獲物の間合いも、どこに立てばいいものかも分からんで」
 歌うようにカチェイが低く語ると共に、血煙が吹き上がる。
 腕を、足を、断たれて人々が転がされていく。
 あまりのことに、我を忘れてカチェイに飛び掛ろうとした人々をとどめる声があがった。即座に、シュアンに継ぐ地位にある者たちが走りこんでくる。
「お前等は、知ってるわけだ」
 どうすれば同士うちせずに戦えるのか、それを知っている者特有の間合いの取り方だった。額に浮かんできた汗をぬぐい、カチェイは大剣を操る手の感覚が、ほんのわずかだが鈍りだしていることを悟って目を細める。
 ――そろそろ。
 一人で相手にするにはきついか、と思った瞬間。
 場違いめいた声が上がった。
「ああ、ごめんっ。間違えた」
 中性的で、高く響き渡る声。
 カチェイは笑い、心持ち声の方向に背を向けた。「戻れ」だとか「邪魔をするな!」などといった声が上がり、それに笑い声が答える。
「そうだね。もう、”フィズ”は邪魔だろうから、退場願おうか」
 ばさりと髪がとかれる音と共に、鞘走りのかすかな音が響く。
 カチェイが傾けた背に、ふわりと合わされた馴染んだ気配。
 背中合わせにたった二人に、重傷のまま仲間が倒されていくのを見守っていたシュアンが、息を呑んだ。
「貴様らは……」
「最強と敬されていた騎士を殺したんだ。そろそろ、礼をつくすか」
 カチェイが視線をシュアンにくれる。シュアンが知っている”フィズ”とは別人となったアトゥールも、剣呑に微笑んで見せた。
「エイデガルの五公国が一つ、アデル公太子カチェイ・ピリア・アデル」
「同じく五公国が一つ、ティオス公太子アトゥール・カルディ・ティオス」
 二人、ぴたりと息を合わせて名乗った。
 最強の証明に属するものたちにとって、悪夢だったろう。
 カチェイの大剣が空気をうならせると共に、暗殺者達の体の一部がつぶされていく。ならばとアトゥールに向かっていけば、あたかも舞うようなあざやかな剣先に翻弄されて、気付けば貫かれるか断たれるかしていた。
 カチェイの剣はあくまで重く、アトゥールの剣はおそろしいほどに早い。
 そして何よりも恐ろしいのは、二人が振るう剣は、戦闘不能にさせる為だけのもので、命を奪うものではなかったのだ。
 倒されたものはうめいて、まだ立っている仲間が翻弄される様を見ていた。
 ――真の”最強”である者の振る舞いを。

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竹原湊 湖底廃園
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