暁がきらめく場所
最強の証明 4
前項/目次/ 次項


 天幕が張られている。
 大人が並んで三人は眠ることの出来る布の家の中で、入り口から最も離れた位置にうずくまり、黒髪の子供は膝を抱えていた。
 小さな身体に震えが走りそうになるたびに、子供は膝を抱える手の力を強める。体はひどく熱っぽく、だるく苦しかったが、身体を必死に支えていた。
 同じような目にあったことがある。
 閉じ込められて、生活を管理されて、魔力を引き出されて、強い意識を奪われていた。当事にうけた辛い記憶が、まるで再現のように蘇って、身体に震えを走らせようとしている。
 黒髪黒眼の子供の名前は、リーレン・ファナスという。
 エイデガル皇国が国策として保護している魔力者で、皇族の保護下にある子供だった。
「負けない」
 自分にだけ聞こえる小さな声で、呟く。
 ティオス公国の国境を守る砦から、飛び出したのは昨日のこと。呼び止めようとする幼い女児の声を背に受けながら、闇雲に走ってしまったのだ。
 背後にする砦の細部が、まだ分かる距離だったと覚えている。
 突然に目の前が真っ暗になり、驚いて転んだ身体を救い上げられ、運ばれたのは。
 ――つかまったんだ!
 悟った瞬間から、リーレンは口をきくことをやめた。
 脅かされても、首筋に刃物が走っても、ひたすらに声を飲み込んで耐えている。
 ――あまりに恐ろしい目に会うとね、人は己を守ろうとして色んな症状を出すことがあるよ。例えば声が出なくなったり……記憶を消してしまったりね。
 リーレンの成長を静かに見守る立場を取っているティオス公子アトゥールが、そういったのを思い出したのだ。
 声が出せないのならば、尋問をされることもなくなる。元々読み書きが出来るとは思われていないのも、 幸運だった。
 だから必死にリーレンは声を飲み込み、うずくまって耐えている。彼に優しくしてくれた皇公族の人々に、迷惑だけはかけたくない一心だった。
 天幕の外で、突然、大きな人の声が響いた。
 あまりのことに驚いて、リーレンはびくりと身体を震わせる。
 連れ去られてから今まで、こんなにも大きな声を聞いたことがなかったのだ。彼等はいつだって、互いの耳に顔を寄せて、ひそやかに声を交わすようにしていた。
 しかも聞こえきたのは、女の声だった。
 女なんていなかった、そう思ったところで、突然天幕の入り口にかけられた布地が持ち上げられる。さあっと光が差し込んできて、まぶしさに魔力者の子供は眉を寄せた。逆光の中、人影が押しやられるように中に入ってくる。
 リーレンが聞いた声の持ち主らしき女は、また何かを続けて叫んでみせた。けれど特に反応がないことに苛立ったのか舌打ちをする。物思うように腕を組んだところで、眼をまん丸にして座っているリーレンに気づいて、ぱちりとまばたく。
 いきなり、女は人懐っこく笑った。あまりのことに驚いたリーレンの側ににじり寄ると、子供の隣にぺたんと座り込む。
「まりょくしゃ? しゃべれない、ほんと?」
 たどたどしい喋り方だった。唇の動かし方もぎこちなく、じぃっと見つめてしまう。女が促すように首をかしげたので、リーレンは慌ててうなずいた。
「かわい、そう。こわい、あった。わたし、メイラン」
 口がきけないことにしているのだから、リーレンは返事をするわけにもいかずに、またうなずく。メイランはえくぼを浮き立たせて笑うと、優しい手つきで黒髪の子供の頭をなでた。
「わたし、おとうと、いもうと、たくさん。……かえりたい、わたし」
 愛しそうに、せつなそうに、メイランはリーレンを抱きしめる。
「あなた、きょだい、は。いる?」
 真っ黒な眼差しに問いかけられて、リーレンは首を振ろうとして静止する。アデル・ティオス両公子のことが思い出されて、悩んだ末にうなずいた。
「わたし、たたかい、きらい。でも、ここきて、おいて、かれたよ」
 悲しそうに、メイランは首をふる。リーレンは続きを待って、彼女の目をじっと見つめた。
「かえす、できる。いわれて、ふね、のった。でも、いきなり、ここの、きて」
 つかまったの?と、リーレンは声を出す代わりに、首をかしげる。
「かえす、いう、ひと。いっしょ。いま、そと。しんぱい」
 切なそうに眉を寄せ、メイランは天幕の入り口に視線を移す。つられてリーレンも目をやると同時に、勢いよく入り口が開いて人が突き飛ばされて転がり込んできた。
「フィズ!!」
 メイランが大声を上げる。
 リーレンは目を丸くする。
 フィズと呼ばれた人間は「いたた」と呟いてから、面倒そうな動きで上体を起こした。腕をすりむいたのか、粗野な仕草でなめ取ってみせる。
 一言で言えば、美しい人物だった。
 金に程近い長い髪を高い位置で結い上げて背に流している。瞳の色は青緑、透き通るような白い肌に、花びらを含んだかのような唇が笑みを作っている。動きやすさを重視した服を着て、肩に大きな鞄をかけていた。
 早くも涙で顔をくしゃくしゃにしてしまったメイランを見て、あけすけに笑ってみせる。ぱんぱんと、彼女の肩をその人は叩いた。
『ああ、心配かけたな。メイラン。泣かなくっても大丈夫だよ、なんとかするから』
 リーレンには分からぬ異国の言葉をつづる声は少し高く、抑揚には乱暴さがある。丁寧な喋り方はしてないと思わせる人物の顔を、リーレンはまじまじと見つめた。
 女性にも見え、男性にも見える。
 薄茶の髪と、青緑色の眼差しは、なぜか懐かしさを……。
「!?」
 メイランがフィズと呼ぶ人物は、ぎょっと目を見張ったリーレンに、そっと微笑んで見せた。雰囲気ががらりと変わって、確信する。
「……!!!」
 自らに課した喋れない設定を貫き通し、リーレンは心の中だけで絶叫した。
 男装の女性にも、女性のように整った顔立ちの男性にも見える、中性的な雰囲気の人物は、間違いなくティオス公家の公太子、アトゥール・カルディ・ティオスだったのだ。
 外でメイランの名を呼ぶ声が響く。目に見えて嫌そうな表情になった彼女の肩を叩くと、アトゥールは『機嫌を損なわないほうがいいから』と囁いた。
 少女のように頷いてメイランは天幕の外に出ていく。それをしっかりと見届けると、リーレンは彼の側ににじりよった。
 耳に唇を近づけ、小さな声で尋ねる。
「あの、なんでここに?」
「私とカチェイがエイデガルを離れた理由は知っているだろう?」
「はい、エイヴェル王から救援依頼が来て……暗殺集団をどうにかしてくれって、話ですよね」
「そう。リーレン、驚くなよ。ここにいる男達が、帝国の暗殺集団”赤の旋風”の一つ、最強の証明なんだよ」
 驚くなと言われた時点で、小さな手で自分の口を押さえていたリーレンが「ぐっ」と声を飲み込む。目を限界まで見開かせ「こ、ここ、ここが」と消え入りそうに呟いた。
 アトゥールは白い手袋をはずし、細い指でさらさらとリーレンの髪をすくようになでる。しばらくそうされて落ち着きを取り戻し、子供の魔力者は居ずまいをただした。
「あの、アトゥール様は、単身でどうにかするおつもりなんですか?」
「まさか。ここには一騎当千の人間が、十五人もいるしね。体力自慢で力馬鹿じゃないのだから、一人で相手にするなんて、想像したくもないよ」
 高くゆいあげられた髪が、首を振る動きにあわせて揺れる。アトゥールはうっとうしげな表情になり「フィズも変な髪型を好むものだよ」と肩をすくめた。
「あ……フィズ、さまって、実際にいらっしゃるかたなんですか」
「そりゃあね。帝国の人間を送り返す人物が実在していなければ、こうも簡単にこちらが張った罠に乗ってはこないよ」
「でも……」
 口にしかけて、リーレンは言いよどむ。なにかピンときたものがあったのか、アトゥールは珍しくも不穏な笑みを浮かべてみせた。
「なにがいいたい、リーレン?」
「いや、あの、実在してる方だとしたら、いくらなんでもアトゥール様がなりすますなんて無理なんじゃないかって。だって、その」
「世の中に、私のような人間が二人もいてたまるかってことかな」
「い、いえ! そ、そそ、そういうわけじゃっ」
「どういうわけなのだか。リーレン、フィズは男装の麗人でね」
「――へ?」
「男だと思ってるのが半分、女だと思ってるのが半分だよ。どうやら女性はフィズを男と思い、男性はフィズを女だと思うみたいだね。カチェイは違ったけど」
「あ、なるほど。納得です」
 腑に落ちてリーレンは満面の笑顔になる。アトゥールは頭痛でも覚えたように、額を抑えて溜息を落とした。
「子供は時に残酷だね。さて、と。まだ時間がある。リーレン、外で騒ぎが起きたら絶対にここから出てはいけないからね。……出来れば、メイランもだ」
「え?」
「メイランを死なせたくないよね。あれは優しいよ?」
「はい。とっても優しい人だと思います」
「エイヴェルと交渉したんだよ。解決する変わりに、帝国の捕虜を一人くれってね。どうせなら、本当に助けてやりたい」
 エイヴェルとフェアナ。エイデガル皇国に隣接するこの双子国は、建国からこのかた、両国が協力しあって平和を守り続けている。独特の文化をも育むこの双子国は、他国の人間を無意識に排除しようとするところがあった。
「赤の旋風がエイヴェル王の騎士を殺したことによって、国民感情は最悪のところまでいっている。捕虜は解放されずに次々と処刑されていると聞くしね。戦闘員も、非戦闘員もだよ」
「――! じゃあ、メイランさんは殺される所だったんですか?」
「公開処刑寸前と言うところだね。メイランは薬師でね、こちらとは違った治療方法をもっている。捕虜となった辺りで、流行病がおきてね。治療させてくれって懇願して、許されたことがあったらしいよ。だからかな、刑場の周りでは命乞いをする者たちが沢山いた」
 刑場を取り巻く群衆。
 帝国に殺された家族を持つ民は、石を持って放り、刑の執行を待っている。
 メイランに救われた家族を持つ民は、せめて彼女は救ってやってくれと懇願をしている。
 混乱による喧噪が刑場の周りを囲み、メイランに目隠しがなされ、無惨にも引き出されて罪人はただただ震えるしかない。
 あまりに無慈悲な光景が想像できてしまって、リーレンは震えてアトゥールにしがみついた。弟にするように、少年の背をそっとさすってやる。
「双子国ではね、罪人の売買が許されている」
「罪人の、売買?」
「法外な金が必要となるけどね。殺しても特にはならぬけど、莫大な金が入ってくれば特だろう? もちろんそれは国が受領するのではなく、その罪人の被害にあった者に配られるよ」
「……もしかして、それを、アトゥール様が?」
「エイヴェルの民には、ティオスの貿易商であり、双子国での商売も許されている、フィズだと思ったろうね。薄ものを頭からかぶっていたからね、遠目では私とフィズの違いは分からなかっただろうよ。髪の色も、目の色も、実際同じだしね」
 息を一つ、落とす。「結構な騒ぎになったよ」と、なぜか自嘲するように呟いた。
 とてつもなく幻想的な光景だったのだろうと、リーレンは思う。
 光に薄ものを反射させて、華奢な人物が刑場へと飛び込んでくる。艶やかに風に流れる薄茶の髪と、唯一あらわになっていただろう白い手が罪人を示し、おそろしい額を笑みともに飲んでしまった光景を。
「あ、でも……刑場の人には、ばれるんじゃ」
「ばれたってかまわないよ、いったろう? 最初にエイヴェルと交渉したって。全ては茶番なんだよ。赤の旋風に、私たちのことを印象付けねばならなかったからね。彼等も探しているんだよ、極秘に帝国の人を送り返している貿易商の存在をね。あの刑場で本物だったのは……メイランが感じた恐怖だけだよ」
 少し、声が低くなる。
 騒ぎになったことを、自嘲めいた声で呟いた理由に初めて気づいて、リーレンはやわらかく抱きとめてもらった彼の腕の中で、顔をあげた。
「アトゥール様は、悪くないです」
「え?」
「だって、使い捨てるつもりはないんですよね。……赤の旋風の討伐を命じられたのもあるけど、僕のこともこうやって助けに来てくれました」
「そりゃあ、リーレンを見捨てるわけが」
「だから、メイランさんのことも見捨てないんですよね!」
 信頼しきった表情で、子供は笑う。
 さすがに呆気に取られた顔になって、アトゥールは少し照れたように、目を細めた。
「ありがとう」
「な、なんで、お礼なんて」
「いいんだ、言わせて欲しかっただけだから。とにかく、リーレンはここにいる。出来ればメイランをとどめておく。なにがあってもだよ」

前項/目次/ 次項
s
竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.