暁がきらめく場所
最強の証明 2
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 六年前に、他大陸にて覇を唱えた帝国がエイデガル皇国へと大船団にて攻め込んできたことがある。かなり熾烈な戦いが繰り広げられたものの、戦いそのものはエイデガル皇国が短期決戦で勝利を治めて終わっている。
 攻め手である帝国の撤退は鮮やかなものだった。追撃する隙を作らぬ整然とした有様に、エイデガル皇国の若き軍師レキス公国の公太子は「帝国を滅ぼすのが目的なら、本国で革命でもおこさせますが」と皇王フォイスにうそぶいたといわれている。
 けれど鮮やかすぎる撤退は、けして小さくはない悲劇を生み出していた。
 エイデガル皇国内へと先んじて上陸していた先遣部隊の殆どが、置き去りにされてしまったのだ。その殆どは皇国および近隣であるエイヴェルおよびフェアナ両国に投降したが、中には逃亡者となった部隊も存在する。
 赤の旋風は姿を眩ませた部隊の一つであり、おそるべき暗殺集団だった。
 頭目の名前も、属する面々の顔ぶれさえも、最初は知られていなかった。
 ただ静かに、辺境の村が、町が、警備隊が、全滅させられていったのだ。
 特に甚大な被害をこうむったのは、守りの固いエイデガル皇国ではなく、双子国の一つエイヴェルだった。エイヴェルの国王は激怒し、当時世界最強と目されていた騎士を司とする近衛兵に討伐命令を下す。
 もう大丈夫だと、人々は安堵した。
 それほどまでに信頼されたこの騎士が、死体に変わった日までは。
 
 
 丈の長いマントで口元をきっちりと隠し、青年はゆっくりと歩いていた。
 背の部分が大きくいびつな形に盛り上がっている。男は、彼の背丈以上に大きな剣を背負っていたのだ。
 一歩、一歩、地を進む足取りには、怒りがあった。
 彼の耳元で、先程から凄まじい羽音が響いている。マントを抑える厚い皮の手袋におおわれた手の上に、羽音をたてて飛ぶ無数の虫の姿があった。
 エイヴェルの辺境にある村の一つ。最強の剣士だと敬された男が、殺された村だった。
 青年は急ぎ足で進む。彼と同じように、全身を防備した男達の元へと進んだ所で「火を」と低く言った。言葉をうけて、油を大量にしみこませた藁に火がくべられる。
 エイヴェル王国では、無念の死を遂げた者は、墓におさめずに火葬し、風化するのを待つ。
 村そのものが命ごと無念の消失を迎えたのだ。――相応しい埋葬は、村ごと焼き払うしかなかった。
 青年は、ふっと振り向いて目を細める。
 軽く首を振り、細い道をかけだした。つないでおいた彼の愛馬に飛び乗って、惨劇のあった村を後にする。高らかに駆ける騎馬を不審がる者はおらず、逆に騎士と思わしき人々が立ち止まって頭を下げていた。
 かなりの距離を走った後、青年はおもむろにマントを脱ぎ捨てる。巨大な鳥の羽音に似た音を響かせて、朱色をしたマントは風にひるがえって遠くの草むらへと落ちていった。
「ものはいいんだ、拾った奴が使えるだろ。あの臭いが消せればの話だけどな」
 風に鋼色をした髪がはためく。
 青年はエイデガルの誇る五公国の一つ、アデル公国の公太子カチェイ・ピリア・アデルだった。彼は馬を急がせて道を進む。次第に細かった道が広がり、往来する人々の姿が増え出したところで、石の砦が目に入ってきた。
 エイヴェル王国の国境の要。本来カチェイが立ち入る場所ではないのだが、迷わずに馬を進める。跳ね橋になっている門まで進むと、すぐさま騎士の一人が気付いてカチェイの為に道を開いた。
 入り口で馬をたくしたところで、なじんだ気配にカチェイは振り向く。足首までをおおう長衣をまとった青年が、すこし困惑した表情で立っていた。
「どうしたよ、変な顔してんな」
 遠慮なしのカチェイの言葉を受けて、長衣の青年――ティオス公国のアトゥール・カルディ・ティオスは肩をすくめてみせた。
「エイヴェル王国は豪胆だなって、また思うことが起きてね」
 なんだよそれ、と首を傾げたカチェイを誘って、アトゥールは貴賓室へと歩き出す。迷わずにアデル公子も従って、共に肩を並べた。
 石で作られた床が、二人の靴音を反響させている。忍んで歩けないように、高く音が響くように作られていることは明白だった。
「最強の騎士殿を失ったのが、よほどこたえたみたいでね」
「まあ、そうだろうなぁ。なにせ試合が行われるたびに、エイヴェルの国王もいつも来ていたからな。友人だったって話も聞くしな」
「ちょっと違うね。二人は乳兄弟だったんだよ」
「はあん。そういやあ、エイヴェルの乳兄弟ってのは重要だったっけか。ん? そういやぁ、ガルテ公国もそうだったか」
 後継者となるべき子供には、信頼の厚い部下の夫妻をもり役としてつける。そうやって育てられた後継者ともり役の子供は、乳兄弟の絆で結ばれるのだ。
 その乳兄弟でもある最強の騎士が殺害された。
 赤の旋風の捕縛計画を打ち出した王国をちょう弄する為だったのか、姿を見せぬ暗殺集団である彼らは騎士達を殺し、ないだ首とそいだ耳や鼻を王城の庭へと放り込んだのだ。
 エイヴェル王はあまりの怒りと悲しみに倒れ、今は病床についたままだった。
 いつもならば、建国当時より行動を共にしてきた隣国のフェアナがエイヴェル王国の援助に入る。だがフェアナ王国でも国境警備の部隊長が殺される事件が相次ぎ、打つ手を失っているところだった。
「しかしなぁ。まさか俺らのところに援助依頼がくるとは思ってなかったな」
「豪胆と取るか、エイデガルが近隣諸国の併合はしないとお人良しにも思っているのか。……拡大政策が取れぬと知っているのか」
「単に併合なんぞありえんと思ってんだろ」
「そう思いたいんだけどな。それだとすると、ちょっといきすぎてるんだよ。工イヴェル王の援助依頼」
「んん? またなんかあったのか?」
 首を傾げながら、カチェイは与えられた部屋の扉をあける。他人に待機されるのを好まぬ二人の部屋は、静かなものだった。
「頭が痛くなるようなことがね」
 他の部屋にいる侍女に声をかけ、紅茶の入ったトレイを受け取りながらアトゥールは溜息をつく。
 カチェイは少々乱暴な動きでソファに腰掛けた。
「しっかし、なんつーか、慣れん部屋だな」
 カチェイのぼやきに、青緑色をした瞳をアトゥールはわずかに細めて笑う。それから流れるような仕草で、紅茶を親友にと渡した。
「前線にあるまじき豪華さであるのは否めないかな。建国以来、戦らしき戦をしてこなかったエイヴェルは豊かだよ」
「戦争にかかる金と、こうむる被害は尋常じゃないしな。しかしなぁ、エイデガルも豊かだろ?」
「エイデガルでは前線の砦に貴賓室を作らず、エイヴェルは作る。何を重視するかは国民性なのではないかな」
 なにがおかしいのか、くつくつとアトゥールは笑い出す。カチェイが怪訝そうな顔をしたので、二十歳とはいえまだまだ幼さの残る少女のような顔だちをした公子は、手を振った。
「どんな理由があろうとも、見栄っ張りなところがあるこの国が、問題丸投げで助けを求めてきた。よほど切羽詰っているわけだよ」
「瀬戸際だろ。なにせこの砦が警戒する相手であるティオス公国に、話をもちこんだんだからな」
「しかも、だよ」
 アトゥールは滑るように歩き出し、奥の窓にかけられた緞帳をめくった。
 銀色と飴色が、陽射しを受けてつややかにきらめいている。
「……げ」
 カチェイは蛙が潰されたような声を上げた。アトゥールは薄い肩をすくめてみせて、「切羽詰りすぎだよね」と声を重ねる。
 大船団にて攻めあがってきた帝国相手に、直接の戦術を献じたのはティオス公子アトゥールだった。帝国本国を対象に謀略の限りをつくしてみせたのが、このガルテ公国公太子セイラス・ルン・ガルテだ。
 ガルテ公国は建国戦争時代に、鮮血の軍師として恐れられた男を始祖とする。最前線に血濡れの状態で銀槍を手にして現れた時には、全ての策をこうじおえていたと伝わっている。
 ガルテのために、幾人もの主従の絆がたたれ、幾人もが無実の咎で殺されていったのか、分からぬほどだった。
 セイラスは、この始祖である鮮血の軍師に良く似ている。
 攻めあがってきた帝国も今では力を失い、併合した国々がいっせいに蜂起しているとの話だった。
 セイラスがガルテの再来と呼ばれるのは、当然のことだ。彼の隣で飴色の髪を風に流しながら笑っていた女が、持ち上げられた緞帳の先にアトゥールを見つけて目を開く。
 豊かな飴色の巻き毛をふわりと揺らせ、セイラスの乳兄弟でもあるシャンティは、大輪の花のような笑顔を作ってみせた。
「ねえ、ラス! 性別を間違えて生まれてきてしまった、美人の公子さまがいらっしゃるわよ」
 女の声はどこまでも華やいでいたが、内容には華やかさの欠片もない。
 部屋の中でシャンティの発言を聞き取ったカチェイは、緞帳を支えている親友をちらりと見やる。彼の手に力が込められたのを見て取って、ため息をついた。
 大急ぎでソファから立ち上がる。親友の隣まで進むと、不穏な空気が漂っていたが、それを無視してアトゥールの肩をつかんで後ろに引っ込めた。
「まあ! 今度は、在野の剣士として生まれてきたほうが幸せだった公子のご登場ね」
「……おい、ガルテの再来殿。今日の奥方は機嫌が悪くないか?」
 セイラスの妻のシャンティは、奔放な発言をすることの多い女ではある。とはいえ、突然に暴言をつきつける人間でもなかったはずと、カチェイは首をかしげる。
「少し俺が怒らせたようだよ」
「少し! 少しですって!? ラス、ひどい、少しなワケないでしょう!」
 猫の目のような眼差しを夫に向けて、妻は唇をとがらせた。
「私のことをおいていってしまうだなんて。信じられないわ」
「ごめんごめん、俺の大事な奥方さま。エイヴェル王に要求を突きつけるのは簡単だったのだけれどね、病床に共に行くのは気がひけたんだ」
「そんなの理由になんてならないわ。分かった、どうせ可愛い女の薬師さんがいたんでしょう! ラスの女好きーー!」
 ぐっと拳を握り締める。
「第一、私はまだ怒ってるんだから! ルシャをつれてきちゃいけないだなんて」
「シャティ、俺だってルシャをおいてくるのは辛かったよ。でもルシャはまだ生まれたばかり、首も座っていない。連れ出すリスクは、われわれの心痛よりも重いな」
「でもでも!」
 子供のようにシャンティは腕を振り出す。
 置いてけぼりにされたので、カチェイは「やれやれ」とため息をついて、窓枠に腕をのばして身体を斜めにする。背後に押しやられたはずのアトゥールも戻ってきて「普通は妻ごとおいてくるよ」とぼそりと口にした。
「ところでアトゥール、作戦のほうはどのように?」
 ごまかすように突然に妻を抱きしめると、セイラスはちらりと上目使いでアトゥールを見やった。
「村を一つおとりに使う以外の方法なら、立てたけどね」
「はん、つまらないな」
「セイラスが喜ぶ作戦なんて、私に立てられるわけがない。立てようとも思わないけどね」
 青緑色の眼差しを細めてみせる。
 エイデガル皇国が他国に誇る知恵者の二人は、タイプがまったく異なっている。両名共に乱世でも平時でもいかんなく才能を発揮させはするが、乱世向きであるのがセイラスであり、平時向きであるのがアトゥールだった。
 残す結果も、被る被害も、解決に要する日数も殆ど同じ。――けれどセイラスを相手にした者達は、必ず後に瓦解し自ら破滅していく。
 これほどまでに恐ろしい人物も、少なかった。
「相変わらず、甘いなティオス公子」
「砂糖菓子よりも甘いわ」
 夫妻に続けざまに指摘されたものの、気にする様子もなくアトゥールはただ冷笑を返す。
 二人の仲が悪いわけではない。むしろ同程度の才能を保有するもの同士、互いが互いに興味を持ち、好意を持ってもいた。
 けれど二人は知っている。歩みよりなど不可能な、相容れないものを互いに持っていることを。
 アトゥールは窓枠にひらりと手をつくと、そのまま庭へと躍り出た。長衣と薄茶の髪が空に溶け込むように流れ、一枚の絵のような華麗さでたたずんで見せる。
「策はもう講じてある。赤の旋風は二日後には壊滅し、エイヴェル王国に引き渡して終わっているよ。……だから今回は引け、ガルテ公子」
「二日後に終わっていなかったら?」
 突然に腕を引かれて体勢を崩した所で、セイラスのはりのある声がアトゥールの首筋にかかった。耳たぶに唇が触れるほどの近さで、ティオス公子は嫌悪感に総毛だつ。
「――私は手を引こう」
 まるで抜刀の間合いを計るかのように、アトゥールは身を翻す。
 喉をならすようにセイラスは笑い、黙って成り行きを見つめていた妻を誘った。
「シャティ、エイヴェル国内を二人で遊ぶとしよう。三日後から忙しくなりそうだし」
「あら、ラス。私を誘うなら、私を楽しませる策を講じてもらわないと困るよ?」
「それはもう、御心のままに」
 ガルテの若き夫妻は艶やかに笑いあうと、そのままきびすを返す。歩きさると見せかけて、セイラスは突然に足を止めた。
「赤の旋風がな、こちらの大陸にのみ存在する魔力者に興味を持ったぞ」
「……え?」
「おいてけぼりにされて怒った高貴な少女と、少女につねに寄り添う魔力者が、ここのすぐ側にあるティオス公国の砦までやってきたらしい」
 振り向いて、セイラスはせせら笑うような表情をした。
「手違いがあったのか、魔力者の少年は冷たい仕打ちをうけてしまってな。砦を飛び出してエイヴェルに入ったところで、連れ去られたとか。……さて、誰の話だか」
「よくある話よね」
 くすくすとシャンティがかわいらしく笑う。今度こそ二人は立ち去っていった。
「まさか……リーレンか?」
 傍観者に徹していたカチェイも、流石に黙したままではいられなくなって、声を上げる。ガルテ公国の夫妻が完全に見えなくなったところで、彼は視線を親友へと移した。
 アトゥールはなぜか、立ち尽くしたまま動こうとしない。
 しばらく放置してみたが、やはり動こうとしないので、カチェイも窓枠を飛び越えて中庭に降り立った。
「おーい、アトゥール。どうした?」
 親友の肩に手を置いて揺さぶると、ようやくアトゥールはのろのろと振り向いた。
 困惑しきったというよりも、珍しく途方にくれた顔をしている。
「いや……どうしようかと思って」
「どうするもなにも、お前が打ったって策のままに動くだけだろ」
 なに言ってんだと笑おうとして、カチェイはふと停止した。親友が低く声をおとす。
「まだ立ててない」
「……は?」
「策なんて、立ててないんだよね」
「なんだとー!?」
 声を低めた努力もむなしく、カチェイは思わず大声を張り上げた。
 

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