暁がきらめく場所
永久
目次



 不思議な風が吹いて、アティーファはふっと目を覚ました。
 闇が帳のように降りている。けれど、差し込む月明かりがあった。
「窓?」
 なにかの気配。
 しっかりと閉ざしたはずの窓が開いている。差し込むのは月光と、舞い込むのは清廉な外気。
「誰が……」
 ベッドから身を起こすと、アティーファは天蓋から降りるレースの奥から室内の様子をうかがった。
 ファナス争乱と呼ばれた戦いから一年以上が過ぎ、誕生日を重ねて以降は、夜は室内に誰も控えさせていない。人がいないのが本当のはずだ。
 レース越しでは詳しい様子は見て取れず、アティーファはベッドから足を降ろした。伸ばした手がレースを分けた瞬間、何者かに腕を捕まれる。
「――っ!?」
 驚いて目を丸くした時には、アティーファは誰かの腕の中にいた。
「ティフィ」
 耳朶を声が打つ。
 熱を宿した声。こんなにも激しい思いを込めて名を呼んでくる主を、アティーファはたった一人だけ知っている。
「エア」
 緊張を解いてアティーファが答えると、突然の来訪者は彼女の体を少し離した。互いの瞳が真正面からぶつかり合う。
「久しぶりだね、ティフィ」
 声の主こそが、ファナス争乱を引き起こした張本人エアルローダ・レシリスだった。
 少年の口上に、アティーファは少し拗ねた顔をした。
「ほんとに久しぶりだ。エアのことを獣魂が受け入れたから、皇都に入れるって私の誕生日の時に言ったのに。それから全然こないから」
「心配をした?」
「エアはすぐに、永遠はないって言い出すだろう」
「故意に僕が途切れさせたりしないよ。永遠を破壊するのは、君が永遠を望まなくなった時だけさ」
 底冷えする声を、耳に吐息がかかるほどの近さでエアルローダは囁く。
 アティーファは動じず、近づけられた顔に嫌悪することもなく、両手を伸ばして日に日に背が高くなっていく少年の頬を包み込んだ。
「永遠はここに」
「まだ?」
「そう。ずっと」
 まっすぐなアティーファの言葉と瞳の光に、エアルローダはようやく子供のように笑った。
「あれから、捜し物をしに出かけたんだ」
「捜し物?」
「今日に間に合わなければ意味がないね。少し急いだ」
 言われて、アティーファはまじまじとエアルローダを見やる。暗がりの中ゆえに気付かなかったが、いつも小綺麗にしている彼にしては珍しく、衣服のあちこちに綻びがあった。
「まるでロキシィおじさまみたいだ」
「あんなのと一緒にしないでほしいな」
「エアルローダはロキシィおじさまが嫌い?」
「アティーファ以外の人間なんて、僕が人だと認識する必要も感じない」
 どことなく怖い発言だが、アティーファは気にする様子もない。かわりに悪戯っぽく、少年の耳元に唇を寄せるために背伸びをした。
「私の父上のことは?」
「――君をこの世に生み出させたのだから、認識ぐらいはしておこうか」
「なら、カチェイとアトゥールとリーレンのことも認識してほしいな。あとリィスとマルチナも」
「何故?」
「だって、エアの異母妹たちだから」
 屈託なく言われて、少しばかりエアルローダは考えこんだ。
「そうなるか」
「気付かなかった?」
「アティーファ以外は、興味も意味もないから」
 くすぐったそうに身を震わせてると、アティーファは寒さにも震えそうだと気付いて、両手で彼女自身の体を抱きしめようとした。
 エアルローダが制止する。
「エア?」
「アティーファにはこれを」
 足下に置いてあった荷物から、白い紙に丁寧に包まれていたものを広げる。
「服?」
 ザノスヴィアの双子の姫君であるリィスとマルチナが着ていたものによく似ていた。肩に羽織らされると、それが背丈よりも長いことにアティーファは目を丸くする。
「これは?」
「あの村では、地下に石の室を作るんだよ。そこに大切なものを入れておく風習がある。これは打掛っていうんだ」
「打掛?」
「そうやって羽織ってきるんだ。マントみたいに」
「でも、なんでこれを私に?」
「君の母上であるリルカおばさまが、僕の母上の為に織った打掛だから」
「母上が!?」
 大きく瞳を見開かせて、アティーファは改めて繊細な模様を描きだす布地に手を滑らせた。しっとりとした優しい手触りに、母のぬくもりを見つけだしてアティーファは胸が痛くなる。
「母上が織った……打掛」
「ティフィが着てよ。これだけ残ったのは、もとよりそういう巡り合わせだったんだろうさ」
「……ありがとう、エア」
「ティフィの為ならば、あの村が残したもう一つの物さえも渡してしまいそうになる」
「もう一つのものって?」
「これだよ」
「綺麗な手鏡。これはザノスヴィアの漆? これは鈴、かな?」
「手鏡はライレル伯母様の持ち物。鈴は、僕らの母上が、双子の兄姉に贈った出産祝いの品だよ」
「リーレンのお母さん宛。エア、今更なんだけど、私たちってみんな従兄弟なんだね」
「血縁に興味はないけれど、まあそういうことだ」
「なんだか不思議な感じだ。これはリーレンにあげてもいい?」
「ティフィあげた物だから、どうしようと勝手さ」
「ありがとう、エア。探してくれたんだろう?」
 上目遣いに見つめると、エアルローダはくすりと笑った。
「ティフィのためにね」
「知ってる。でもリーレンがすごく喜ぶことも知っているのに、探してくれた。それが嬉しいんだ」
 手を伸ばして、そっと目隠しをしながらエアルローダが囁く。
「ティフィ、目を閉じて」
「もう見えなくしてる」
「僕がいいと言うまで、目は開けない」
「これじゃあ、私は歩けないよ」
 くすくすと笑う少女から手を離し、少年はおもむろに彼女の膝の後ろと背に手を回して、抱き上げた。
「わっ!!」
「ほら、歩けなくても問題ない」
「忘れてたけど、やっぱりエアも男なんだな。私だったら、こんなに簡単に誰かを抱え上げるだなんて出来ない」
 拗ねているような響きがあったので、エアルローダはおかしくなる。
「出来なくていいよ、ティフィ」
「でも――あっ!?」
「気付いた?」
「空間を越えた?」
「賢いね、君はやっぱり」
 腕に少女を抱えたまま、エアルローダは歩き出した。体が揺れるので、アティーファは慌てて少年の背に手を回す。
「……なにか静かな音がしない?」
「雪の舞う音」
「雪?」
「見てごらんよ、ティフィ」
 囁かれて、アティーファは翠色の瞳を開く。
 真白に染められた世界よりも、アティーファは最初にエアルローダの瞳を探した。一瞬位置がつかめずに戸惑った表情が、エアルローダには愛しい。
「ティフィ、ほら」
 すっと前方を指さす。
 雄大な斜面が視界いっぱいに広がっていた。すべてが真白であり、銀であり、樹氷であり、月明かりに照らし出された光の大地でもある。
「すごい……」
 アティーファが息をのむ。
「大陸でもっとも高い山。決して溶けることのない氷雪に閉じられた山だよ」
「雪しかない。なにもかもが、ただただ雪……」
「エイデガル皇国でもっとも北に位置するティオスよりも、さらに北だからね」
 エアルローダの腕に抱かれたまま、周囲を見渡すアティーファの頬に、ひとひらの雪が落ちた。
「少ししか雪が私にふれないのは、エアが空間を閉じているから?」
「閉じていなかったら、すぐに凍えてしまうよ」
「そんなに寒いの!?」
「眠ったまま、永遠に目覚めぬことになるほどに」
「すごいんだ、雪って」
 溜息にも似た吐息を付く。
「でもエア、どうして今日に意味があったんだ?」
「重大な意味がね。もう少し待っていれば分かるよ。もう、月も沈む」
 エアルローダの呟きに、アティーファは周囲を見渡していた瞳を少年に戻した。
「ティフィ?」
「エアは寂しい?」
「何故そんなことを聞くんだろう」
「そんな感じだったから。エア、私がいるよ」
「知ってる」
 少年の背に回した腕に力を込めて、アティーファは自ら顔を近づけた。エアルローダは唇がふれそうな距離で笑う。けれどすぐに顔を離し、遙か彼方を見やった。
「ティフィ、見て」
「――え? ……あ、太陽っ!」
 高く、峻険にそびえ立つ氷の大地から遙か遠く、太陽がしずしずと登り始めていた。
「……綺麗。雪から上る光なんて、初めてみた」
「僕らはね、太陽が昇ることを神聖視してたんだ。神の存在などなにも信じなかった、魔力者たちがさ」
「どうして、太陽を?」
「なにがあっても、上ってくるからさ。沈んでも、沈んでも、太陽はやがて登ってくる。エイデガルでは、今日が新しい年の始まりなんだろう?」
「うん。新しい皇紀が始まる」
「だから今日に意味があった」
「新しくなるから?」
「沈んでは登るように、終わってまた始まる。ティフィ、新しい皇紀の祝いに新しい侍女を雇うと良いよ」
「侍女? エミナがいるし、人数が足りないときにはエミナが面接して決めてるけど」
 不思議そうに首を傾ぐアティーファを、ただ黙ってエアルローダは見つめている。
 太陽は円の形を雄大に見せつけ、氷雪の山が目も開けられぬほどに激しくきらめいた。
「あっ!」
 眩しさに声を上げる。少年は顔を太陽に向けて、静謐な表情で何事かを呟いた。
「今、なにを?」
「教えない」
「ひどいな。ねえ、エア。侍女って誰を雇えばいいの?」
「僕」
「――えっ!?」
 翠色の瞳を丸く見開く少年は表情を変えず、素早くに唇を寄せて囁いた。
「少年魔力者エアルローダ・レシリスが皇都に永住するわけにはいかない。でも女の魔力者なら誰もしらない」
「じゃあ、エアっ!」
「永遠が続くのなら。僕はティフィの側に」
「続くよ。――だから、これからずっと一緒だ」
 ふわりと目を細めてアティーファは笑う。
 それは少女らしい華やぎを宿す笑顔で、エアルローダにはアティーファが喜んでいることを強く知った。
 ――永遠は、どこにあるのか? 
 アティーファが信じる永遠に、エアルローダはすがることは出来ない。人は変革する存在であり、変わらず続く物などあり得ないと考えている。
 それでも、エアルローダはアティーファに賭けた。
「君が永遠を壊すとき、僕は君を殺すよ」
 冷たい言葉には、いつも含まれている不安が影を落としている。だから、アティーファは目を見つめたまま、答えた。
「いいよ。でも、エアが私を殺す事なんて起きないよ。だって、永遠は続くのだから」
 太陽が昇っていく。
 二人の前で、静かに、雄大に。
 少年が顔を寄せたので、少女は瞳を閉ざした。
 



 寒中見舞い企画、恋人部門で一位の二人でした。
 なんだかすっごい甘くなってしまって、書きながら私は砂をどばーーっと。エアルローダがアティーファといて、大人しくしてるわけがなかった!と改めて思っています。
 微風から何ヶ月か経過しているあたりですね。リーレンはロキシィに連れ回されて、アトゥールとカチェイは公国で忙しい日々を送っている頃です。
 エアの女装は、今後当たり前のこととなってしまうのだろうかと、書きながらちょっと思ってしまいました。
 投票してくださった方に捧げます。
 読んでくださってありがとうございました。以下は頂いたコメントです。
是非とも一番いい光景をみせるためにエアルローダに頑張って欲しいのです。 (2002/12/15(日) 01:43)
この二人が大好きだからv (2002/12/15(日) 10:15)
見てみたい〜 (2002/12/16(月) 10:33)
この二人が大好きです☆ ぜひ幸せになってほしいです。 (2002/12/22(日) 23:42)
あわてふためくリーレンが目に浮かぶようです。 (2002/12/30(月) 00:42)
竹原湊 湖底廃園
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