暁がきらめく場所
旧聞
目次




 感傷に誘われて顔を上げれば、背後に人の気配がした。
「よお」
 続けての声。振り向くと、煤汚れた顔をさらした男が扉に背を預けて手を振っている。
「また変な顔をさらしているね。先に言っておくけれど、私は手伝わないからね」
「期待してねぇさ。なんだよ、こっちは粗方終わったのか?」
 すっきりとまとめられた荷物に、なにやら残念そうに息をつく。どうやら終わらぬ荷物整理に嫌気がさして、仲間を捜しに来たなとアトゥールは察しを付けた。
「本の整理が終わったところだからね。まあ、終わったと考えてもいいかもしれない。カチェイは開かずの場所から、山ほど思い出を誘う品が出てきて、仰天すると同時に中の確認に時間が経過したってところじゃないか?」
「ご明察。ちとなぁ、あれは無造作に捨てれんよ」
「手紙だろう?」
「良く分かるな」
「私のところにも大量にあるからね」
 積みあがったファイルのひとつを見やり、アトゥールは悪戯っぽい表情で親友を見上げた。カチェイは答えてニヤリと笑う。
「ごめんなさいの手紙だよな」
 二人はティオス公国・アデル公国の公太子であるが、昔からエイデガル皇都で生活していた。その間、エイデガル皇国の跡継ぎ娘であるアティーファの兄代わりであり、純血の魔力者であったリーレンの養育者でもあったのだ。
 年下の子供を弟妹のように見守れば、数え切れぬほどに”叱る場面”に出くわすことになる。
 アティーファはいつも叱られると、拗ねて反抗したものだった。そのくせ時間がたつと泣き出すのに、素直に謝れないのだ。
 結局最後は、リーレンを巻き込んで”ごめんなさい”と記した手紙を書き、二人の部屋の扉にそれぞれ挟んでいたものだった。
「――成長したものだよね」
 感慨に、アトゥールの声が低くなる。カチェイは腕を組むと、親友の部屋の窓辺へと歩を進めた。
 長閑さと平和を調和させた美しさを競うアウケルンの湖畔の都が、今はどこか雑然としている。
「昔と一緒じゃあないもんな」
 少し前まで、エイデガル皇国と五公国は大きな争乱に巻き込まれていた。――公式にはファナス争乱と呼ばれることとなった戦いの最終局面において、皇都と皇城は戦場となり、多くの建物が破壊されて現在に至っている。
 のみと鎚の音が高く響くのは、急速に都が復興しつつある証明のようなものだった。
「元通りになるのは早そうだね」
「見た目だけだろ、そんなんは。……争乱の種は消されずに温存された。今後なにが起きるかは俺にも分からん」
「珍しく難しい顔で言ってるね」
「たまにはな。そういうお前は、珍しく開き直った顔をしてるじゃないか」
「なるようにしかならないからね。私に出来ることといえば、”ガルテ争乱”だとか”瓦解戦争”だなんて後の世で呼ばれるかもしれない争いの種を、とにかく潰す事だろうし」
「出来るのか、お前に?」
 争いの種はファナス争乱を起こした張本人である”少年魔力者”をアティーファが殺さぬことを決意したことであり、公には死んだことにしたことであり、その事実に気づいた男が居ることでもある。
 エイデガル皇国が要する五公国には、二人の知恵者がいる。一人がアトゥールであり、もう一人がガルテ公国のセイラスという男だ。
 セイラスは建国戦争の際にエイデガルに勝利をもたらした”鮮血の軍師”ガルテの再来といわれる男で、ぶっそうな事柄に関する能力がやたらと高い。
 同じ知恵者であっても、なるべく血を流さぬ方向に、事を荒立てぬ方向に持っていくべく画策するアトゥールとは別のタイプの男だった。
 ――戦を起こそうとセイラスが考えれば、大変なことが起きるのは目に見えている。
 カチェイの問いに秘められた、重い意味に気づいてアトゥールは顔をあげた。息をとめ、感情を消した透明な眼差しを親友に向ける。
「私が一人ではないのなら。潰し切れぬでも、対抗はできると考えているよ」
「――一人ではないことを選択できるのかよ」
「全部は無理だろうね。けれど、カチェイのことは充てにしているよ」
「されとくか。――でな、アトゥール」
 突然、カチェイは子供のように笑った。
「なに?」
「俺らはあと少しで生国に戻るだろ。明日からはやっとけと渡さなくちゃならん事だとか、面倒な挨拶だのでバタバタするわけだよな」
「皇都で遊んでいたわけではないから、引き継ぎが多いのは当たり前だろうね」
「そうそう。俺らがこなしてた量におどろけってんだ」
「私たちがただ遊んでいると思ってる輩も多いらしいからね」
「まったく失礼なことだよな。結構真面目にやってたってのに。ま、それは置いとくとしてな。自由に時間が使えるのは今日くらいのもんだ。どうせならお前とゆっくり語り明かしたいと思ってさ」
「――なんだか含みのある言い方だね」
「語り明かすなら、飲み明かすをセットにしたいところだろ?」
「誰と誰が」
「アトゥールと、俺が」
 どことなく嫌そうな顔になったアトゥールの肩をたたいて、カチェイは「いいだろ」と強く粘る。
「いい酒も山のようにあることだしな」
「どこから盗ってきたんだよ」
「貰いもんさ。リーレンの奴が酒を嗜むようになったら一緒に飲むかと思ってたんだが、そんな機会がくる前に俺らは公国に帰るだろ。持って行くには数が多いし、人にやるのは勿体ない」
 しみじみと頷くカチェイを、アトゥールが胡散くさげに見やる。
「いったい何時からそんなケチになった? それとも、いい酒とやらに絡むとみんなそうなるものなのかな」
「そんなもんだろ。良い酒は自分で飲みたいもんさ。だからといって一人で飲むには好きじゃない、飲むためにどうでもいい相手を誘うのはもっとご免だ」
「それなら、飲まないという選択は?」
「ないな」
 笑顔で言い切られて、アトゥールは額を抑える。なにか口にしようとした瞬間、カチェイがぽんと手を打った。
「――それは却下だな」
「私はまだなにも言ってないんだけど」
「いや分かるぞ。前に俺に酒に付き合うって言っておきながら、二杯程度をのんで茶を濁したろ。あれでまた済ませようってなら大却下さ」
「一つ尋ねるけれど、私にまで大量に飲ませたい理由はどのあたりに?」
「大量に飲んでくれなけりゃ、あの量はけないだろ」
「本気で全部飲んでしまうつもりなのか!?」
「当たり前だ。まあ、ほかにも理由はあるけどな。それはあとで話すさ。ほら、行くぞ」
 親友の背後に回り込むと、背を押して歩き出す。アトゥールは眉をしかめたが、結局は溜息を付いただけで従った。
 カチェイとアトゥールの部屋は近い。
 同じ階にはそれぞれの執務室をかねた部屋やら、彼らに仕える騎士団員の控え室等も多くあるが、私室として使用する部屋は隣同士なのだ。
 開いたままになっていた扉の奥は、盛大に引き出しやら書棚がひっくり返された後だった。木箱に詰められた大量の荷物にアトゥールは目を丸くし、「整理をあきらめて全部持ち帰ることにしたろ?」と尋ねる。
「どれもこれも、いざ捨てるとなると踏ん切りがつかなくってな。そういえばフォイス陛下から聞いたか? このあたりの部屋はそのままにしておいてくれるってよ」
「こちらに来たときには、アティーファが長逗留を望むだろうからっておっしゃっていたね。とはいえ、汚いままにしておいてよいということではないよ」
「だよなぁ。ま、明日も頑張るさ」
 天井を仰ぐカチェイを見やった後、アトゥールは壁の傷に手をのばした。荒みきっていた少年時代から共に過ごしてきたカチェイとは、部屋の中で模擬刀片手に喧嘩になったこともあった。その当時の傷の一つが、今はひどく懐かしい。
 カチェイは天井を仰ぐのをやめて、同じく傷の一つを見やる。
「ここが誰か別の奴の部屋になるなんて絶対に嫌だ!!って、アティーファが駄々をこねたのも理由の一つだろ? 今回ばかりは、アティーファのわがままに正直に感謝するさ」
「変だよね。私たちときたら、故郷に帰るってのに、故郷を離れるような気持ちになっているんだからね。――部屋がなくなってしまったら、私たちは故国喪失者になったかもしれないよ」
「いえてるな。公国の民には内緒にしとくとしよう。机の上はあんな有様なんでな、寝台のとこでいいだろ?」 
 指さされた寝台の置かれた窓際の一角を見やる。おそらくは散乱するものを足で端によけて無理矢理作ったのだろう場所に、アトゥールは怒る前に笑い出した。
「なんだよ」
「いやさ、カチェイが最初にフォイス陛下に言われたのって、片づけの方法を覚えろってことだったのを思い出してね」
「そうだったか?」
 都合の悪いことは忘れたようだねとアトゥールは悪戯っぽく言って、カチェイが差し出したグラスを受け取る。
 同時に、目の前に並べられていくありとあらゆる種類の酒瓶に目を丸くした。
「カチェイ、いったい何本あるんだよ」
「ざっと二十本ってとこだな。他人にくれてやってもいいかと思うのは処分して、その数になった」
「……いったい何年貯めこんだんだか」
「時間をおいても大丈夫な奴だけ保管しておいたから大丈夫さ。一応、温度とかも気をつけていたし」
「酒に関してのみ繊細さを発揮するなんて知らなかったよ」
「人間、好きな事の為ならいくらでも繊細になるさ。ほら」
 手にしたグラスに注がれて、アトゥールは仕方なさそうに唇をつけた。けれどじっと見つめられている事に気づいて、眉を寄せる。
「カチェイ?」
「いや、今日ばっかりはごまかされないぞと思ってな」
「あのねえ……」
 溜息をつく。細い手でカチェイから瓶を奪い取ると、彼の隣においてあるグラスにそれを注いだ。
「私と飲み比べようだなんて思ったこと、明日になってから後悔しても知らないからね」
「おっ。本気で乗ったってことか?」
「乗ってやるよ。でもね、これだけは言っておくけど」
 顔を近づけて、青緑色の薄い瞳で親友の鋼色の瞳を睨みつける。女性のごとく整った顔に、今はどことなく好戦的な色が宿っていた。
「私は絶対に酔わないからね」
「だけどお前さ、限界まで飲んだ事はないだろ?」
 意味深に笑まれて、アトゥールは僅かに首を傾げる。それを動揺と見て取ったのか、カチェイは親友の腕を軽く取った。
「お前が絶対に酔わないのってさ、体質の部分あるだろうけど、誰かの前で無防備になってたまるか!!っていう気持ちの部分も強いだろ? でも今はそれもちょっと変わったわけだよな」
「まあ、そうだね」
「だろう。だったら、他の奴とではなく、俺とだったら酔いが回る可能性もあるってことさ」
 ニヤリと笑って、アトゥールの手にしたグラスに続けざまに酒を注いでしまう。「なんだか、あの手この手でより多く飲まそうとしてないか?」と口にするので、気にするなと肩をたたいた。
「そういえばさ、近衛兵団員だとか侍女たちだとかの間で、私が酔っぱらったらどうなるかで盛大な賭が起きてるんだって?」
「へえ」
「元締めがどっかの公子と皇女様だって聞いたけどねぇ」
「だ、誰だろうなぁ」
「カチェイ」
 低く名前を呼ぶと、カチェイがのけぞるよりも早くにアトゥールは短刀を鞘から滑らせた。青みがかった刀身をぴたりと喉元に吸い寄せて、彼はにこりと微笑みを浮かべる。
「君はいったいなにに賭けたのかな?」
「いやあ、案外泣き上戸になるとか?」
「なるわけないだろ! だいたい私が最後に泣いたのって……ん?」
「どうしたよ」
「いや、何時だったかと思ってね。よく考えると、泣いたって記憶が……」
「俺はつい最近あるぞ」
「最近? いつ……って、ああ、すまない」
 尋ねると同時に睨まれて、アトゥールは言葉を濁した。同じレベルで負けず嫌いで他人に弱みを見せたくない親友を涙を、流さずにはおれない状況に追いやったのは、他でもない彼自身だったのだから当然だ。
「ちなみに俺はアトゥールが泣いてたとこも記憶にあるな」
 酒の友にと用意しておいたチーズを口に運んで、考え込むアトゥールに声をかける。何やら憮然とした表情を浮かべたので、これは良いぞとカチェイはほくそ笑んだ。
「間違いない。しかも、これは素面で聞けるような話じゃないだろうな。というわけで、飲め飲め」
「カチェイ!! わっ」
 グラスに注がれる真紅の液体がこぼれそうになって、慌てて押しとどめる。それでもまだ注ぎ足そうとするので、仕方なしに彼はグラスを一気に干した。
「精神論の問題ではなくて、真実酒に強いってのは納得できるよなぁ」
 すでにカチェイが飲む量の三倍は多く飲ませることに成功しているというのに、アトゥールには僅かの変化も訪れていない。
 ――親友が、少し他人を頼ってみようかと考えれるようになったことを知って、カチェイは思ったのだ。
 他人を頼れるようになったのなら、絶対に酒に酔わなかったことも改善されているのではないかと。
 酒の力を借りて、他愛のないことを喋ったり笑ったり普段は口にしない本音をべらべら話したりすることが、カチェイは嫌いではなかった。
 だからこそ、彼にとっても完全に心を許せる唯一の相手である親友と、飲みつぶれるまで飲んでみたいと常々考えていたのだ。
「ほーら、飲んだ飲んだ」
「普通、良い酒ってのはこうやって一気に飲むものじゃないんじゃないのか?」
「安心しろ。大量にあるからな」
「そういう問題じゃないだろ。こんな飲み方されるだなんて、酒に失礼で、これを飲みたい誰かにも失礼だ」
「いいだろ。持ち主である俺がそれでいいって言ってんだから」
「変に強引な意見だね。ところでさ、まだ思い出せないんだけれど。私は本当にカチェイの前で泣いたのか?」
「ああ」
 あっさりと答えながらも、やはり酒をつぎ足す機会を虎視眈々とカチェイはねらっている。なにやら怒るのも馬鹿らしくなってしまって、アトゥールは素直にグラスを差し出した。
「この状態で、カチェイがつぶれたら、私は君がいかに酒に弱いかを言いふらすからね。脚色ありで」
「脚色……あり!?」
「あり」
 冷たい断言にカチェイは目をそらす。やはりアトゥールに飲ませる量は自分自身の十倍にしようかと考えたところで、ふと疑問を抱いた。
「なあアトゥール。俺らがこうやって酒を山ほど飲もうと考えたのって、初めてだよな?」
「そうだね」
「ならなんで、”絶対に自分は酔わないんだ”って自覚を得るに至ったんだ? 山ほどの酒を抱えて、一人で部屋で確認のために飲んでたってのはないよなぁ?」
「なんで飲酒量の限界に挑戦しなくちゃいけないんだよ、一人でわざわざ」
「そうだよな。アトゥール、誰と飲んでその事実に至ったんだ?」
 心底不思議そうに首を傾げる。
「聞きたいなら、カチェイも飲むんだね。さっきから私しか飲んでないよ」
「飲んだら話すか?」
「いいよ。別に隠すことでもないしね」
 カチェイが少なくグラスに酒を注ごうとしたので、アトゥールが軽く睨む。小姑みたいだぞと戯れ言を口にしながら、仕方なくカチェイは普通の量を注いで飲み干した。
「放浪公王と飲んだんだよ」
「そりゃまた一体どんな風の吹き回しで!?」
「他人を馬鹿にして、大人を馬鹿にしてばかりのガキは、痛い目にあったほうがいいだろうよとか言われてね」
「ちょっと待て。それ何歳の時だ」
「十八」
「あの馬鹿公王っ。あんまり若いのに飲ませると、死ぬこともあるって言われてるってのに」
「まあね。でも飲み負かせたし」
「負かせた! あれもウワバミっていわれてるほどなのにな」
「事の次第を知った皇王陛下もひきつった顔をしていらっしゃったしね。放浪公王と皇王陛下とじゃあ、たしか放浪公王のほうが強いって話だし。私は十八の時に、皇国内で敵なしになってしまったわけだよ」
「ちなみのその後、寝込んだか?」
「全然」
 からかいを宿す表情で、アトゥールは空にしたグラスをカチェイの前に差し出す。ぐぇ、と潰された蛙のような声をだして、カチェイは少々頭を抱えた。
「幾らなんでもそこまでの代物だったとは……」
「これから、相手を見極めてから挑むんだね」
「まだ負け戦って決まったわけじゃねぇぞ。だいたい今は」
「精神面での条件が違う、だろ? まあ確かに、カチェイが相手なら酔いつぶれてもいいけどね。もしそうなったら、今後相手限定でなら飲んでもいいかなと思うことにするよ」
「なんてこったい。この一戦に、今後の楽しい飲酒生活の将来までかかってるのかよ」
「カチェイは私以外とでも飲むだろう?」
「どうでもいい程度の酒ならなぁ」
 体をずらして、大量に並べた酒瓶を眺める。アトゥールは手を伸ばすと、異国からの酒の瓶を取って軽く振った。
「ここで勝ったとしても、一緒に飲む機会なんて減ってしまうだろ?」
「そうなんだよな。アトゥール、俺はちょっと想像が出来ないんだよな。隣にお前がいないなんてさ」
「……そうだね」
「俺も色々と考えないとならんだろうしな」
「相談する相手くらい、いるだろう?」
「アトゥールはいるのかよ」
「いない」
「だろ」
「ああ」
 声を細めて、二人互いの顔を見やる。
「俺らって、もしかして暗い?」
「知らなかった……」
 心底困った顔で同時に溜息をつく。
 腹を割って話す相手が少ないのはよいが、ごく普通に相談をもちかける相手もいないというのは、少しばかり問題があるのではないだろうか?
「むーん、楽をしてきたツケが回った気がするな」
 心の許せる親友がいて、兄として素直に慕ってくるアティーファとリーレンがいた。公子としての業務をこなす際には、主君に対する礼節を決して失わずに皇都に滞在を続けた騎士団員たちがいたのだ。
「あれだね、カチェイはとりあえずあの髭騎士と親交を深めるんだね」
「アトゥール、いつになったら名前を覚えるんだよ」
「何度きいても、つい”髭”って呼びたくなるんだよね」
「気持ちは分かる。金狼騎士団員の間でも、奴のあだ名は髭だ。俺も髭とつい呼んでしまう」
 アデル公国の誇る最大の兵力は、公王・公子が直接指揮する金狼騎士団である。この騎士団のうち、公子に従う直属部隊はカチェイと共に皇都にある。その皇都に在る金狼騎士団を束ねているのが、二人が髭と連呼している騎士なのだ。
「奴はまあ悪い奴じゃないんだけどな。いや、どっちかといえば気の合いそうな奴なんだよな」
「そう思うならがんばりなよ」
「ならお前はどうなんだよ。風鳥騎士団副団長とは上手くやってきてるんだろう?」
「ああ、ウィドね」
「そうそう。いかにも良いとこの坊ちゃんですって雰囲気の奴」
「ウィドは世襲制の風習がない公国では珍しいことに、父親と息子で風鳥騎士団長と副団長を務めているからね。そのせいなのかな、無意識に他人を格下に見る癖を持っている」
「そんな奴がよく耐えられるな。――お前みたいに、すべてを信頼して託してくれない主君を」
「ウィドは私の過去を知っているからね。哀れんでいるんだよ」
「可哀想だと? そりゃすごいな。俺だってお前を可哀想だと哀れんだ事なんてないってのに」
「カチェイが私を哀れんでいたら、私はカチェイを憎んだかもしれないね」
「ま、それもそうだな。もしお前が俺を哀れんでいたら、俺だってお前を目の敵にしたかもしれん」
「ウィドに対してそういう感情を持たないのは、私が特に期待してないからなんだと思うよ。だから、ひどいのはきっと私ほうなんだ」
「でも相談できる相手候補でもっとも近いのは、こいつらだよなぁ」
「そうだなね」
「酒、一本は残しとくかな」
「せめて三本は残しときなよ」
「勿体ないだろ」
「そう考える段階で、先は遠いよ」
「遠いか」
「私はもっと遠そうだけどね」
 なにやら険しい崖を見てしまったような気になる。とはいえ、最大の難問は心を開けるようになるか否かにあることを、二人とも理解していた。
「そうだ、さっきの話だけどさ」
「なんだよ」
「私がいつ泣いた?」
「へえ、まだ思い出してなかったのか」
「どうにもね。――私がカチェイの前で泣いたなんてさ。嘘は言わないだろうから信じるんだけど、どうも覚えが……」
「俺だけの前じゃないぞ」
 カチェイの言葉に、完全にアトゥールは硬直する。
「アティーファもいたな」
「……」
「そこで剣に手を忍ばせるなよ。証拠隠滅をはかろうとするな。あれは確かアティーファが十二歳の時だよ」
「十二歳の時?」
「流行病があったろ。結局は放浪公王が放浪してたに相応しい謎の知識を発揮して、治療方法をもたらした奴」
「そういえばあったね。でも、なぜかその辺りの記憶があやふやで……」
 首を傾げる。カチェイはグラスに酒を注ぎ足しながら「そりゃそうかもな」と頷いた。
「私があまり覚えていないのが、不思議なことではない?」
「ないな。なにせ最後の最後に移って、ぶっ倒れたのお前だし」
「そうだったか?」
「本格的に覚えてないな。まあ、七日間高熱でぶったおれてたんだから仕方ないか。俺がリーレンを隔離したんだよ」
「大変だったろう?」
「そりゃあもう。気が狂ったように泣き叫ぶしな。でもリーレンにまで移ったら大変だったから仕方ねぇし」
「隔離が基本だからね、流行病が発生すると」
「きれい事じゃないもんな。確かフェアナの使者が持ち込んだんだよあれは。――皇城内を席巻しただけで済んだのは幸運だったな」
 当時の混乱を思い出そうと、カチェイは考え込む。
「あの時は珍しいもんを山のように見たさ。取り乱したフォイス陛下とか、真面目な顔で医師かついで戻ってきたロキシィ公王とかさ。もう駄目かと思ったぎりぎりのところで、アティーファは助かった。――その時だよ、お前が俺らの前で泣いたの」
「……カチェイ、その時アティーファは?」
「起きてたぞ。でも、夢を見たと今でも思ってるみたいだな」
「そうなんだ」
「俺ららしくない姿を見たときは、夢だったと思う癖がアティーファにはあるみたいだからな」
「いい癖だね」
「全く兄としては都合がいい」
 だから覚えてるのは俺だけだから安心しろよと笑って、カチェイは親友の肩を強くたたく。
「俺が泣いたとこも、お前だって見たことあるだろ」
「――私の前で泣いた奴か?」
「そうそう、あれだ」
 苦く笑って、そのままカチェイは口を閉ざした。アトゥールもなにも言わず、ただ、二人静かに杯を重ねた。
 
 
 いつしか沈んでいた太陽が、再び白々とした光を取り戻す頃、アトゥールは寝台の手すりにすがって立ち上がっていた。
「なんで普通に立ち上がれないんだろうか」
 手すりを離すとそのまま壁に頭をぶつけそうになる。思考は完全にクリアだったが、体は素直に動いてくれない。
「うー、俺は、まだ飲めるぞ……」
 寝台につっぽしたカチェイが、なにやらうめき声をあげている。起きているのか、それとも寝言なのか、よくは分からないが彼の中ではまだ飲み比べは続いているらしかった。
 ふわりと視線を親友に向けようとして、そのまま足がもつれてアトゥールは床に座り込む。
「これはもう、勝ち負けの問題じゃない気がする。今日の予定どうするかな」
 意識ははっきりしている為に、自分が口にする言葉がどこかたどたどしっくなっていることが分かる。
「知らなかった。私も酔うだなんて……」
 手を持ち上げて、額にかかる髪をかき上げる。部屋に戻ろうにも足が動かないので、仕方なしに親友の隣に戻って、寝台に背を預けた。
 視界に入るのは、昨日部屋に来たときに気づいた、かつて喧嘩でつけた壁の傷。
 ――フォイスが最初にカチェイに言ったのだ。与えられた部屋を”自分の場所”だと思えと。そして部屋を片づける術を覚えろと。
 カチェイは幼い時分を、暗殺者の影におびえて過ごしてきていた。戸籍を持たぬ流民の娘であった母と二人で、定住する場所を持たず、自分たちの荷物を持つこともなく、着の身着のままで逃げ続けてきたという。
 だから、彼は最初”自分の物”を持つことに戸惑っていた。――常に側から離れない母以外の存在に、ひどく困っていたのだ。
「カチェイが泣いたのは、母君がエイデガルを出た時だったな……」
 アトゥールは今でも覚えている。
 誰に命じられたのでもなく、カチェイの母は彼の元を去ったのだ。――公族となる息子の側に、自分はあることは出来ないと言って。
 それをたった一通の手紙で知らされて、カチェイは泣いたのだ。拳を握りしめて、目がこぼれ出るのではないかと思えるほどに何かを睨みつけて。
「あの時、私は一体なんて言ったんだろう」
 よく覚えていなかった。
 思いだそうとするのに、どうも思考が上手く働いてくれない。しかもひどく体が重く感じられて、まっすぐに背を伸ばして座っていたはずの体が、崩れていった。
「味方はここにもいる。そう言ったよ」
 不意に、カチェイが口を開く。
 隣で崩れるように眠ってしまった親友を見下ろして、静かに。
「俺はあの時、お前が味方なんだって妙に素直に納得したんだ」
 少し笑って、カチェイは思い出す。
 少年時代の自分たちは、大人から見ればやたらと扱いにくい生意気なガキだったはずだ。妙にさめているくせに、すべては敵だと思いこんで激しくすべてを拒絶していた。
 けれどその激しさこそが、おそらくは自分たちをつなぎ合わせたのだろうとカチェイは思っている。
「嫌な過去でも、今につながってるなら、否定は出来ないもんだよな」
 苦笑と同時に、カチェイも目を閉じた。
 
 
 二人そろって限界に挑戦した無謀な戦いの結果、彼らに仕える忠実にて有能な金狼騎士団の髭の騎士と、風鳥騎士団のお坊ちゃんな騎士は、悪戦苦闘することになる。
 帰国を控えた二人の公子がこなすべき予定は分刻みで控えている。面会希望の客も山ほどいる。
 けれど。
「公子殿下は今日は体調不良ですので、休ませて頂きます!」
 二人が必死に取り繕う背後の部屋で、二人は寝台によりかかった状態のまま、今は眠っていた。
 


寒中見舞い企画で同率一位だった暁の二人です。
コメントを反映したものを!!と考えて書いていたら、こんな感じの思い出話に花が咲く話になってました。少しはダークな感じになってましたでしょうか。巻き込まれたのは、外伝にちょこちょこ出てきている髭騎士とウィドでした。
多分、カチェイはアトゥールに10倍相当の酒を飲ませることに成功していると思われます。
はてさてこの勝負、いったいどっちの勝ちだったと思いますか? 良かったら聞かせて下さいね。
のんでいるのは、ワインもあればウィスキーもあるし、異国からもってきた日本酒もあったかも……です。ロキシィがいると、変な流通手段が発達しそうなんですよね(笑)
酔っ払い&酔っ払い疑惑の二人組みに巻きこまれた他メンバーたちを織り込めなくって、ちょっと残念だった私でした。
企画、参加してくださってありがとうございました。そして読んでくださってありがとう!! 頂いたコメントは以下のとおりです。
あとはコレでしょう!(謎) (2002/12/14(土) 10:25)
せっかくまえふりがありますし?(笑) (2002/12/15(日) 02:10)
大騒ぎでジョッキでお酒をかっくらうカチェイと微笑を浮かべながらグラスで飲むアトゥールが想像出来ます〜。それも全然酔わねぇ、アトゥール(笑) (2002/12/15(日) 17:15)
何があってもコレです!(2002/12/16(月) 19:21)
いつになく、ちょっとダークなところを垣間見てみたいです〜 (2002/12/16(月) 19:23)
せっかくですし、子供っぽい掛け合いではなく大人の雰囲気でも醸しだして欲しいです……v (2002/12/16(月) 21:47)
そしゃもう、この2人でしょう! (2002/12/17(火) 23:44)
飲み比べでアトゥール圧勝(笑) (2002/12/17(火) 23:44)
どっちが強いのでしょうか。平和な時の話題はいつもあの二人のことでしょうか(笑) (2002/12/18(水) 06:20)
豪快に騒ぎ出すカチェイと酔ってないと言いつつなんか酔っ払ってるんじゃ・・・と言う感じのアトゥールとか(笑) (2002/12/20(金) 17:40)
大人の酒を飲んでみてほしい(…で、茶々が入ったりして失敗するとか/笑) (2002/12/21(土) 21:25)
2人で飲んでるところを皆が発見。皆そろって話に聞き耳立てるけど、2人ともそんなの既に気付いててわざと怖い話をするとか(笑) (2002/12/22(日) 19:37)
秘密(裏?)のページの方にあった妻候補の方々のお話とか聞きたいです。やっぱりワインですか? (2002/12/24(火) 19:26)
笑い話、愚痴、悩み事、国の現状・・・etc をこの2人の視点で会話で聞きたいですー。 (2002/12/25(水) 12:43)
これで日本酒だったら笑えますね〜(笑)やっぱりワインとかでしょうかね。 (2002/12/27(金) 18:17)
カチェイは酔っ払った状態でアトゥールは酔っ払い疑惑?状態で何かの騒ぎに巻き込まれた時の他のメンバーの反応が見たいです〜(笑) (2002/12/28(土) 17:31)
竹原湊 湖底廃園
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