暁がきらめく場所 -建国戦争-
夕暮れの赤
目次


 やけに鈍く酷く重みを感じさせる音が目の前でして、燃えるような赤さを宿す髪をした青年が眼を上げた。瞳に飛び込んできた、濁りきった白さの中に残る、黒い二つのものに気づいて、彼は眉を僅かに寄せる。
「食べ物を置く卓に、そんなもんを置くのは非常識だ」
 やけに冷たい、ぶっきらぼうな印象を与える声を赤い髪の青年が放つ。にごりのある二つの黒いものを持つ物を、卓の上に置いた人物が、面白くない答えと呆れた声を出した。
「ガルテ。他に感想はないの?」
「ない。そんなもの、前線にいけばごろごろしてる。今更誰がありがたがるよ」
 声をかけてきた人物を見ようともしない。濁りきった白いものを持つ物を――それは首だけになった人の顔に残された目であったが――を脇にどけて、つい、とガルテと名前を呼んだ者は、彼の頬に手を伸ばした。
「レリシュ。戯れるな」
「感想を言えって、私は言っているの」
「俺はお前の部下じゃない。お前の民でもない。そんな気まぐれに付き合う必要はない」
 まだ、彼は下を向いてる。
 苛立ったらしく、死体の首を持ってきた娘――エイデガル国王であるレリシュは自らが任じた軍師の首に爪を立てた。
 がりっと音。ガルテが不機嫌そうに、眉をしかめる。
「私、気に入らないのよ。あの首が」
「我侭女。一体何が気に入らない。それはザノスヴィアが差し向けてきた魔力者の屍だろ。味方の首ではない」
「そうよ。でもね、気に入らないのよ。見てよ。この何の感情も宿してない顔。死ぬのよ? 殺されるのよ。なのにどうして、ひとっつも感情が見えないの。寝首を掻かれたわけじゃないのよ」
「寝首を掻かれたわけじゃないって、なんで分かる」
 根拠はどこにあるか述べて見せろと言ってのけて、ガルテはレリシュの体を押しのけて立ち上がる。ガルテは、槍の名手として知られている者らしく、ほどよく筋肉のついた四肢をしている。それに長身とがあいまって、若々しい精悍さを雰囲気として持っていた。
 この男は、近隣諸国に泣く子も黙らせるほどに恐れられている。
 槍術の高さではない。軍を指揮する、将としてでもない。
 策を弄し、罠を張り、一枚岩だった敵国の団結心をずたずたに引き裂き、離間させ、労せずして勝利を勝ち取ってしまう実績が、彼を”鮮血の軍師”と呼ばしめ恐れさせているのだ。
 ガルテ・フォーン・セルベリア。
 各国に向けて宣戦布告をして見せたエイデガル王国が、信じられぬことに国の兵力を空にした状態で、最初に狙ったセルベリアという国の王太子だった男だ。
「私には軍師が必要だったのよ。それだけ」
 生国を空にしてみせた理由を、レリシュは返り血に全身を染めながら、嘯いたことがある。占領した場所を拠点してしまえばいいと、乱暴に考えやがったんだろ、と言い切ったのはガルテだ。
 ガルテは諸国に放った密偵が持ち帰ってきた報告書をしまうと、ようやくレリシュが固執している魔力者の首に目を落とした。
 死んでいるのだから当たり前だが、およそ生気というものがない。本来ならば、死に顔というのは色々な顔をしている。恐怖にゆがむもの、妙に悟った顔をしているもの、痛みに叫びだしそうな顔をしているものもある。
 だが、目の前の顔には、そういった生きていた頃の名残は一つもなかった。
「ザノスヴィアは、魔力者を操るっていうわね」
 漣のような金色の髪をあでやかに揺らせて、レリシュが腕を組む。翠色の瞳は生気と覇気に富んでいて、若年ながらも覇者としての迫力を露にしていた。
「間違いないな。魔力者を操る術を解明しないと、俺たちに勝機はない」
「あなた、必勝の軍師なんでしょう。そんなことを言うなんて、鮮血の軍師の異名がなくわよ」
「俺がつけたんじゃない。勝手につけられたんだ、周りにな。お前だって、お前の兄姉たちだって、鬼だって呼ばれてるだろ」
「覇煌鬼。分かりやすいわね、姫を鬼にしただけじゃないのよ。そんな程度のことしか考えられないから、ザノスヴィアにいいようにやられてるのよ」
 レリシュはなにが可笑しいのか、笑い出す。
「ところで、俺はまだ聞いてないぞ。これが寝首をかかれたのではない、と言い切る根拠は」
「エイヴェルが献上してきたのよ。魔力解放をさせる前に切り落としたってね。それで切り落とした顔に嫌なものを感じて、塩漬けにして送りつけてきたのよ」
 レリシュの言葉に、思い出したとばかりにガルテは手を打った。
「そうだ。エイヴェルに言っておけ。戦功を証明するために、いちいち敵の鼻だの耳だのを切り落として、送りつけてくるのはやめろとな。保管する場所もなければ、処理にも困る」
「武人らしい、稚気だと思うけど?」
「稚気だと思うなら、今日からエイヴェルの所にいけ」
「嫌よ。エイヴェルのところには、フェアナがいるのよ。あの二人をみてると、ついばらしたくなるわ。でも本人が気付くまでは黙っていたほうが面白いって言うのよね」
 エイヴェル・レスタスは、元はヴィッツレスト王国の大将軍の地位にいた人物だ。武人であり、かつて最強で最悪と恐れられていた残虐王ハロルドの収めるヴェルヴィ王国の騎馬の突撃を防いでみせたこともある、剛将だ。一方フェアナ・ルーチェスは、元セルリアス王国という国の宰相位を勤めていた人物であり、かなりの政治手腕を持つ者だった。この時代に女性であることは不利でしかないとして、常に男装をしている。フェアナが女だと気付いている者が多いのだが、よりによって親友のエイヴェルが気付いていないらしかった。
 エイヴェルは馬鹿ではない。だが、一度信頼すると疑うことを知らぬのだ。
 この二人は、群雄割拠の時代に相応しく、主であった王を裏切り、国をのっとることに成功している。その後エイヴェルとフェアナはエイデガル王国と同盟を結び、現在にいたっていた。
「で、これが寝首をかかれたんじゃないことは理解した。それで俺に何を言いたい」
「気に入らないっていってるでしょ。ガルテ、魔力者を解放する方法を考えなさい」
「なんだと?」
 鋭さい顔立ちに、怒気を含めてガルテがレリシュを睨む。覇王として名高い女は、居丈高な表情で唇をゆがめて笑った。
「分からない? 魔力者解放の手段を考えろっていったのよ」
「操られる魔力者が不憫か?」
「そうね。不憫かってきかれたら不憫だって応えるわ。でもね、そういう問題じゃないのよ。私の気持ちが許せないって思うのよ。他人に意のままに操られ、人形と化した生命になんて、存在の意味を見出せないわ。そんな、存在の意味のないものがごろごろしてるのは、気持ちよくないの」
「それはお前の勝手だ。第一、気持ちよくないだけなら、殺すだけでいい」
「殺すんじゃ面白くないわ。私、見てみたいのよ。意思を取り戻した魔力者っていうのをね」
 紅を引いた唇を、ついと持ち上げてレリシュが笑う。
 それは真に美しい微笑だったが、他人の血をすすった跡の唇の赤さのように見えて、ガルテは不愉快な心持ちになる。
「それは命令か? セルベリアの存続の代わりに、お前の軍師になった俺に対する」
「そうね。命令よ」
 二人、静かに睨み合う。窓から差し込んでくる日差しの色は赤だ。外の日が暮れ始めているからなのだが、それがまるで二人が浴びてきた血のりを再現させているような錯覚を、二人に与える。
 先に、ふっとガルテが肩を竦めた。少し考えるような仕草になり、くすりと笑う。
「命令なら仕方ない」
 呟くと、そのまま彼は足早に部屋を去った。


 暮れ行く空の下で、軍が戻ってくる。
 一旦縮小した戦場から撤退してくる部隊たちだ。それを率いているのが、自分の兄と姉たちであることを知っているレリシュは、ガルテが立ち去っていった扉のあたりを睨みながら、外に耳を澄ます。
「――魔力者たちを解放したら、保護する術を考えなくちゃ駄目ね」
 歌うように囁くと、レリシュもまた部屋を後にした。


[終]
竹原湊 湖底廃園
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