番外編2
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「お茶会をしましょう」
 いきなりのエリクルの言葉が、自分に向けられているとフィラーラは気付いていなかった。
「聞いてる?」と顔をのぞき込まれて初めて気付く。
「――僕に言ってる?」
「勿論よ」
 魅力的な笑みを唇に浮かべると、エリクルはフィラーラの腕を引く。困惑した眼差しを彼女に向けた後、ふいと向かいに座る男を見やった。
「フィア、行って来ていいぞ」
「あら、二人きりにしてくれるの?」
 フィラーラの手を掴んだまま、エリクルは片目を閉じて尋ねる。許可を求められた形になったので、朱金の翼の指導者であるユシェラ・レヴァンスは苦笑した。
「私が常にフィアを束縛しているでもあるまいし」
「でも、女の子ってちょっとは束縛してほしいって思うものよ」
 ねえ、と同意を求められてフィラーラは返答に困る。山のように集められた解析資料と睨めっこしていたもう一人、紺碧の炎の滝月惺が顔をあげた。
「エリクル、からかって遊ぶんじゃない。友人の性別が変わるだなんてこと、普通あり得ないんだからな。――混乱があって当然だ」
「惺、なんだか棘のある言い方ね」
「そうかな?」
「気付かないでやってるのか、わざとやってるのかが問題だわ」
 琥珀色に輝く瞳をきらめかせ、エリクルは”科学者としての顔”を見せる恋人の惺を睨む。睨まれた方は口論に展開させるつもりはないらしく、視線を資料に戻してしまった。
「ごめんね、フィラーラ。惺のことは私が後で泣くほどに反省させるから」
「別に、本当の……」
 ことだからと続けようとしたフィラーラの言葉を、エリクルは少女の唇に指先を触れさせることで止める。
「先回りして諦めるのはやめなさいよ」
「諦める?」
「理解されることを拒絶しているように見えるの。私がずっとそうだったわ。私の事なんて誰も理解しないでいいと思っていたの。――理解してくれようとした人を、結局死なせてしまったわ」
 泣き顔に近い表情で、エリクルはふっと目を細める。
 アレナという名前の娘がいた。早くに逝ってしまった恋人からの贈り物である指輪を首にかけ、血のつながっていないデアリードを実の弟のように守ってきた娘。
 ――エリアと名乗ったエリクルのことを、優しい眼差しで見守りながら、彼女に殺されて死んでいった娘の名前だ。
「理解されなくても良いと思うことも、拒絶になるわけ?」
「ええ。もしくは、他者の排除よ」
 黄金色の髪をゆるやかに流して、さあ行きましょうとエリクルは強くフィラーラの腕を引く。今度は素直に立ち上がって、少女は娘に従った。
 
 

 エリクルは勝手知ったる様子で、シャラシャーン要塞の居住区を進んでいく。フィラーラは意外そうに目をまたたかせ「そっか」と一人呟いた。
「なに?」
 耳ざとく聞きつけてエリクルが尋ねる。
「エリクルは紺碧の炎の指導者として、シャラシャーンに来たことがあるんだ」
「勿論よ。とはいっても、ロステムに直接会ったことがあるわけじゃないんだけどね。いつも代理の男が現れて、報告書を受け取るのよ」
「そういえばさ」
 軽くフィラーラが首を傾ぐ。
 エリクルはなに?と返事をしながらも、目的の部屋にたどり着いて扉を開いた。
「……わ」
「驚いた?」
「これ、スクリーン?」
 青と緑の庭園が、立体映像として映し出されている。
「そう。自分たちで核の冬を起こして自然を全部破壊したくせにね。結局好きなわけよ。だからこうやって、緑の空間があるように見せかけているわけ」
 座ってよ、とソファの一つを指さす。
「ロステムの趣味だったのかどうかは分からないんだけどね、客人と対するときには、主人の方が自分でお茶を目の前で煎れることになっていたのよ。だからここになんでもあるの」
「なんだか、凝ってるっていうか」
「仰々しい?」
 くすりと笑って、エリクルは紅茶葉をティーポットに放り込んでいく。
「朱金の翼って、あまり仰々しくしないものね。後方の基地もそうなの?」
「前線基地よりはましだけど。基本的にはそんなに派手なところはないかもしれない」
「そう。ま、想像できないってのもあるわね。だってフィラーラ、ユシェラが高価な絵画に囲まれた部屋の中でソファに埋まっていたらどう思う?」
 微妙な表情になったフィラーラに、エリクルはころころと笑い出した。
「見栄えが良いんだもの、似合わないことはないわよね。でも嫌よね」
「うん」
「私も惺がそんなになったら嫌だもの」
「でもエリクルなら似合うかもね」
「そう?」
 さらりとウェーブの入った髪をかき上げながら、くるりと瞳を動かした。
「よく考えたら、そんな環境で育ったんだわ」
 忘れていたわと囁いて、エリクルはフィラーラの隣に腰掛ける。
「まだ。三分たってから」
 フィラーラがポットを見やったので、エリクルは澄まして言った。
「ところで、さっきなにか言いかけなかった?」
「――ちょっと聞いてみたいかなと思って」
「なに?」
「エリクルって、紺碧の炎の女神って言われてるだろ? なのに、紺碧の炎を支配しているのはこのシャラシャーン要塞で……ロステムの意志だった」
「不思議?」
「うん」
 こくりと頷かれて、エリクルは悩む。
「フィラーラの感覚で言うと、紺碧の炎の女神である私が、すべての決定権を持っていてしかるべきだと感じるわけよね」
「実際、紺碧の炎に属する兵士たちは、エリクルの為だけに戦っているように見えたし」
「――それよ」
「え?」
 ぽんとエリクルは手をうつ。
「紺碧の炎ってね、朱金の翼が”再生の力”を手に入れてからは、正攻法で人を引きつけることが出来なくなったのよ。狂信的な思いだけが人を引きつける要素となった。――私は傀儡なの。狂信的で盲目な信徒を得るためだけの、飾りの女神」
「飾りって」
「私はそれでいいと思っていたの。復讐が出来るなら、私がどんな人間になろうとも構わないってね」
「でも、エリクルは本当は辛かったんだと思うよ」
「そうかもしれない。だから私は惺が必要で、惺を愛したのかもしれない。彼だけが私に言い続けていたから。――辛くない? 苦しくない?ってね」
「そうなんだ」
「惺がね、フィラーラのことを認めないのが、私には許せないのよ。どうして貴方を……」
 ”作られた兵器”として見なしてしまうのか、と続く言葉をエリクルは飲みこむ。辛そうな表情の娘の前で、フィラーラは首を振った。
「兵器であることは、事実だから」
「でもね、誇って良いことだと思うの」
「兵器であることを?」
「違うわよ。貴方は兵器じゃなくて人よ。優しい心を持った私の友達」
「友達?」
「あら、駄目?」
 悪戯っぽく輝く瞳に紅茶のポットが飛び込んで、「あっ!」とエリクルは慌てた。喋ることに夢中になって、紅茶を注ぐのを忘れていたのだ。
「やだ、苦くなったかも! 煎れかえるわ」
「いいよ、それで。せっかくエリクルが煎れてくれたんだから」
「味が悪くなってるわよ」
「いい。だって、友達が僕のために煎れたものなんだから」
 うつむいてフィラーラが小さな声を出す。照れているのが分かったので、エリクルはただ「ありがとう」と少女の背に手をおいた。
「神様だって与えてくれなかった生きる糧を、貴方がもたらしたんだわ」
「でもさ」
「大丈夫」
 断言して、優しい声をエリクルは続ける。
「貴方の力が暴走することはないわ。だって、貴方の側にはユシェラ・レヴァンスがいるもの。なにかあれば彼がフィラーラを止めるわ」
「エリクル?」
「あなた達の信頼関係って、そうね、私と惺と同じくらい強いと思うの。ねえ、フィラーラ」
 まじまじと顔をのぞき込まれて、碧い髪を揺らして「なに?」と尋ねる。
「あなた達って、恋人同士なの?」
 突然の問いに、口をつけていた紅茶を吹き出しそうになって、フィラーラは激しくせき込んだ。
「だ、大丈夫っ!?」
 慌てて手元に置いていたタオルを手にして、フィラーラに渡す。苦しげに咳き込み続けながら、少女は途切れ途切れに訴えた。
「だ、だって、いきなり……変なこと、言うから!」
「変なことなんて、一つも言ってないじゃない」
「変だよ!」
 なんとか息を整えて、フィラーラは真っ向からエリクルの琥珀の瞳を受け止める。
「あのね、エリクル。僕はつい最近まで、自分が女だったなんて知らなかったんだよ」
「そうらしいわね」
 すましてエリクルは答える。
「だから、ユシェラだって知らなかったんだ」
「そういうことにもなるわね」
「だったら、恋人同士なわけないって分かるだろ?」
 驚かせないでくれと全身で訴えるフィラーラに、エリクルは不満そうに唇をとがらせた。
「リーアがね、僕を”お兄ちゃん”って呼んだんだ。お兄ちゃんってのは男の年上の兄弟を示すものだから。ずっと僕は男だったんだよ」
「でも、そんなの形を取り繕っただけに見えるのよ」
「形?」
「そう。形だけ。たとえば服だけを変えたかのようにね。本質までが変えられるものじゃないと思うの。だって私、貴方と一緒にいて、”少年”の雰囲気を抱いたことってないのよ」
「少年の雰囲気?」
「少女であることがとっても自然って事」
「えっと……」
「分からない? ようするにね、フィラーラは確かに男の子だったけど、それは外見だけで、中身は女の子であり続けたと思うのよ」
「あのさ」
 降参を示して両手を持ち上げると、フィラーラは機敏な動きを見せて立ち上がった。
「中身が女であったとエリクルが言うなら、それでもいいよ。でも、事実として僕はずっと男だったんだから。恋愛対象になりうると、お互いに考えるわけがないよ」
「そう?」
「そうだって」
「じゃあ、これから頑張ってね。応援するわ」
 瞳に生気を取り戻して、エリクルも立ち上がるとフィラーラの肩を掴む。
「言葉遣いをまずは治さないとね。僕じゃなくって、私。あとは、やっぱり服ね」
「エリクル、今ってそういうことを言っている場合?」
「あら、紺碧の炎と朱金の翼が手を組んだのよ。無事にそういうことも考えられる世の中になるわ」
「シャラシャーン要塞を落としたことで、何かが確実に発動してる。それがなにかも分からないってのに?」
「惺ならみつけるわよ」
 自信たっぷりにエリクルは胸を張った。
「すごい自信だね」
「フィラーラだって本当は思ってるんでしょう? ”ユシェラならなんとかする”って」
「まあ、そりゃあそうだけど」
「一つ聞いてもいい? フィラーラとユシェラって、二人でいるときはなにをしているの?」
 体を再びソファに沈めて、エリクルは苦めの紅茶を口にした。
「苦い上に冷めちゃった。フィラーラ、あとで熱いの煎れなおして、惺たちのところにも持っていきましょう」
「僕は紅茶のおいしい入れ方なんて知らないけど」
「教えてあげるから、安心して」
「なんだか、エリクルが先生のように思えてきた」
「お姉さんでもいいわよ」
「……友達の方がいい」
 拗ねたような口調でいわれて、エリクルは目を丸くすると同時に笑い出した。
「フィラーラって素敵ね!」
「突然なにを言って……」
「素直に感じたことを言っただけ。ねえ、それよりも教えて」
「ユシェラと二人でなにをしてるかって? そりゃあ軍事行動中なら、それについての話をしてることが多いけど。特になにもしなくて良いときなら、二人でなにも言わずにただぼーっとしてるかな」
「黙って?」
「うん。――ただ、時が過ぎて行くだけだよ」
「沈黙が苦痛にならない。……それって、一番大事よね」
「エリクルと、彼もそう?」
「喧嘩も多いんだけどね。疲れている時はなんとなく分かるの。そういう時は決まって、一緒にただ座ってた」
「疲れている時に、一緒にいて安心できるのって、貴重だなって思うよ」
「なによりもね。さて、今も一生懸命に頭を働かせている惺たちの為に、紅茶を差し入れにいきましょう」
 フィラーラを促しながら、ふと、エリクルは悪寒を感じて身を震わせた。
 シャラシャーン要塞の中からは伺いしれぬ空の向こうから、破滅が訪れようとしていることを、エリクルはまだ知らない。
 ただ、なにかひどい焦燥感がある。
「フィラーラ」
 唇を付いた言葉が、乾いていた。
 振り向いた少女の、奇跡のような碧い瞳をじっと見つめて、エリクルは言う。
「私、貴方が大好きよ」
「エリクル?」
「なんでもないの。ただ……」
 ――今言っておかないと、二度と伝えられない気がした。
「ただ?」
「ううん。言いたかっただけ」


 エリクルとフィラーラが、二人だけで笑いあって話したのは、これが最後のことだった。

[完]

寒中お見舞い企画第二段、友達部門の同率一位でエリクルとフィラーラです。
女の子同士で楽しくお茶会、ちょっと好きな人のことも話してみたり?という感じがリクで多かったんですが、描き始めてから、本編中ではフィラーラとユシェラが恋を自覚してないことに気づいてしまいました。
IFにするわけにもいかなかったので、最終回前の合間の話ということで、二人ともどんなにユシェラや惺を大切に思っているかを語らせてみました。
投票してくださった方が、少しでも気に入ってくださると嬉しいなと思いながらかきました。
読んでくださって本当にありがとうございます。 以下は、寄せられたコメントの一覧です。
忙しい日々のほんの一時、こんな時間もあったハズ。そんな時にのぼってた会話は一体…?(軍事的な話ではないことを祈る…) (2002/12/14(土) 13:06)
この二人の仲良くお茶会って見たことないので・・・是非是非。何を喋って居るんでしょうか。お互い相棒自慢していたり?【笑】 (2002/12/14(土) 16:40)
女の子同士といえばやっぱり彼氏の愚痴(惚気)では、とかうっかり思ってしまいました(笑 (2002/12/16(月) 08:54)
可愛らしい女の子「達」が好きです。(笑) (2002/12/18(水) 12:59)
好きな人の良い所自慢でも繰り広げてください(笑) (2002/12/30(月) 14:49)
女の子二人で華やかなはずなのに、戦術とか戦略の話をしていたら野郎どもは撃沈して面白いかも(笑) (2002/12/31(火) 16:37)
ついでに双方自覚ナシののろけなんかを聞いてしまって赤面なんかもいいかも……。 (2002/12/31(火) 21:47)

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