番外編
目次

 頭上を覆う空は、遠いはずだがやけに近いように見える。空が青い色ではなく、重く圧し掛かり、押しつぶしてくるような色をしているからだろう。
 灰色と黒。汚れきった大気と、行き場のない塵芥が頭上で滞留している。
 今日は太陽が照っていなかった。ゆえに頭上を押しつぶす色は、かつては雨を降らすはずであった雲の塊であるのだろう。
 平たい大地の上に、ぽつぽうと仮説施設が立ち並んでいた。どの建物の前にも、すすにまみれた顔をしている兵士が佇んでいる。ある者はブリキの缶を持ち、ある者は大切そうに武器を抱き込んでいた。
 軍だろう。独特のオイルの匂いが、灰色の空に良く似合っている。
 唸るようなエンジン音が響いて、男たちは顔を上げた。中でも一番早くに反応して立ち上がった若者は、くすんだ金髪に、炯炯とした鋭い眼差しをしている。
「将軍」
 短く口に出して、金髪の若者は若々しい仕草で歩き出した。
 エンジン音を響かせて、一台のジープが駐屯する軍の一角に滑り込んでくる。
 艶のある黒髪が流れて、軽やかな仕草で青年がジープから降りる。すぐさま駈けて来た金髪の若者に気付いた。
「レヴィア、変わったことは?」
 金髪の若者。レヴィア=カッシュは、ユシェラによって見出され、師団長に抜擢された青年なのだ。
「こちらでは何も。赤の陸戦部隊が駐屯するエリアでは、戦闘があったようです」
「被害は?」
「こちらの霍乱が目的であったらしく、本格な戦闘には至らなかったようです。報告するほどの被害はなかったと」
「そうか。なら良い」
 目を細める。おそらくここで黒髪の青年は笑ったのだろう。
 黒髪の青年は、名をユシェラ=レヴァンスという。連合政府軍を把握していた父の声望を譲られ、それを自らの力で確固たるものにした後に、政府に反旗を翻させた男だ。
 信頼が根底にある眼差しでレヴィアはユシェラを見た後、ふとジープの上に視線を投げた。見慣れない顔がそこにあり、ふいと眉をしかめる。
「将軍? あれは一体」
 青い。
 青い色彩が揺れていた。
 どんよりとした、人の希望も心も押しつぶす空を背景にすると、余りに似合わない色だ。さらさらとした音を立てるように、空の上を滑っている。
「ああ、見つけて来た」
 声を受けて振り返ると、ユシェラは助手席側の扉を開けた。それで初めて、青い色彩が人の髪の色だとレヴィアは理解する。性別の判別のつけにくい、なにか作り物めいた印象を与える子供だった。
 本能的にレヴィアは嫌悪を感じて、ひどく不愉快な表情を浮かべる。
 理由はわからないが、彼が彼であらしめる精神部分が、人形のような他人を拒絶している。
 一歩下がったレヴィアに気を止めず、ユシェラは車に乗ったままの人物に声を掛け、降りるようにと促した。僅かに頷いて降りようとする所を見ると、それが人形ではなく人間であるのだと分かる。
 青い髪。そして――碧い瞳。
 吸い込まれるような色に、吐き気を催してレヴィアは息を呑んだ。将軍の帰還に集まってきた他の兵士たちからは、感嘆の意味をこめた溜息が漏れる。
 何故だとレヴィアは思い、短い呼吸を繰り返した。周囲の反応が信じられない。
 ほっそりとした体をしていた。肩には届かない程度の青い髪が、涼しげに揺れている。大きな瞳は碧で肌の色は恐ろしいほどに白い。
「……海……」
 兵士たちの中から、老兵の声があがった。聞き慣れぬ言葉に、自然一同の視線が集まる。注目を浴びた老兵は震えながら、一歩、一歩、前に進み出る。
 ユシェラが静止する様子がないので、レヴィアは道を開けた。老兵はよろけながらも歩みを進め、無言で降り立った青い子供の前に立つ。
「海の色じゃ」
 老兵の瞳に涙が浮かんだ。膨れ上がったソレは、急激に大きくなり皺のよった目尻から溢れ出す。見守る人々は海という言葉に驚いて息を呑んだ。
 無反応に、青い子供は老人を見つめていた。おお、と言葉にならない声を漏らし近づいてくる老人に節くれだった指先から逃れようともしない。
 すべらかな頬に、すべらかではない乾いた指が触れた。
 青い子供が目を伏せ、あまり力のいれていない動きで左手を持ち上げた。丁度老人の指先を振り払うのに丁度良い手を持ち上げた為に、見守る人々が身を硬くする。
 振り払うのか、それとも振り払わないのか?
 疑問に揺れる視線にさらされながら、子供は持ち上げた手は老人の腕を通りこし、さらに上へと持ち上げられた。手の先が動き何かを指差す仕草をする。
 子供の指は、はっきりと空を指差していた。
 人々の瞳が移り、老人が不思議そうに目を細める。
 刹那。
 閃光が周囲に走った。
 足元から風が吹き上がる。青い光は老人と子供を取り巻き、まるで蒼に包まれていく二人は、透明に消えていくような不安定さを見る者に与えた。
 冷めた気持ちで成り行きを見つめていたレヴィアが、険しい表情を浮かべた。
 まるで、これでは何かの儀式のようだ。
 何が起こるのか分からない不安を人々に与え、それを煽っているような気がする。探るように見やったユシェラが、作戦を成功させた時の眼差しをしているのに気付いて、レヴィアは気付いた。
 ―― 一つ噂があった。
 よどみきった世界に、浄化をもたらす者がいると。その者は美しい空を招き、水を戻し、そして自然の恵みを人々の手に戻すのだと。
 誰もが信じなかったその話を、一人ユシェラが信じていたことをレヴィアは知っている。
「将軍。まさか」
 心臓が早鐘のように打ち響くのを自覚しながら、レヴィアは尋ねた。ゆっくりとユシェラが振り向いて、眼差しだけで頷く。その端整な顔立ちの半分が、全てを飲み込むほどに強大で激しい光に飲まれた。
 


 頭上を光が貫く。
 青い、美しいかつての海の色を宿した光が。
 空が割れ、全てに覆い被さる穢れの色が駆逐されていく。
 あ、と。誰かの声が漏れた。
 信じられないとも声が漏れ、盛んに首を振る者も現れる。
 子供に指先を伸ばしていた老兵は、膝を落とし。そして。
 雨が降り始めた。
「これで軍にいるべき場所代は稼いだな」
 ユシェラの呟きを、一人、レヴィアは聞いていた。 
 奇跡を起こす子供なのだと、誰もがこの瞬間に知った。



 兵の目の前で、フィラーラにいきなり雨を呼び寄せさせたユシェラは、前線から下がり後方に戻っていた。
 ざぁざぁと音がする。
 汚染された空が頭上を支配していたころには考えられなかった、静かな雨雲が天上を覆っていた。そこから大粒の清らかな雨が落ちてきている。
 雨の中、簡易建物を目指して、雨に体を晒しながら女性が歩いていた。
 朱金の翼、翠の海戦部隊師団長のアフィーカ=カークスだ。今は後方支援の全指揮権を一手に引き受けている。
「将軍」
 赤く塗れた唇で言葉をもらし、アフィーカは扉をノックした。「入れ」とすぐに声がして、アフィーカは明かりの消えている暗い室内に滑り込む。
「明かりをつけないのですか?」
 僅かな笑みを含みながら尋ねる。将軍と呼ばれた青年――ユシェラ=レヴァンス は視線を紅一点の師団長に向け、目を細めた。
「透明な雨が降る光景は、美しいものだと思ってな」
 アフィーカはずっと昔、まだユシェラが小さい頃から使えている。だから、答える青年の言葉に若干の照れが含まれていることに気付いていた。
 けれど何も問わず、ただ書類をユシェラの前に差し出す。
「将軍、残念ながら植物が再生した気配はありません」
「そうか」
 ユシェラは淡々と答えると、アフィーカが差し出した書類に目を通す。
 ――奇跡を起こす少年がいる。
 碧い瞳に、青い髪。荒廃した時代にそぐわぬ色をもつ彼は、水をもたらし、浄化をもたらし、そして植物を蘇らせることが可能なのだ。
 実際、フィラーラを発見し保護したエリアでは、植物の再生を確認している。
「雨は降ってはいるが」
 振り返って、ユシェラは雨を見つめた。
 雨の水は、地下にある研究施設に解析させたところ、汚染物質は一切確認されずと報告があがってきている。まさに浄化の水なのだ。
「本人がためらっている可能性は考えられませんか?」
「ためらっている?」
 アフィーカの言葉に、ユシェラが耳を傾ける。
 ヒールの靴音を高くあげて、アフィーカは主である青年の隣に立った。腰に手を当て、飾りの軍刀の柄をもてあそぶ。
「この時代です。再生・浄化能力を持つというのは、危険な事実であったでしょう。――奪い合いが発生したことは容易に考えられます。実際、彼が緑と水を与えた村は残忍な行為によって踏みにじられた」
 目の前で妹が焼け死んだのだという。
 水を与える能力を持ちながら、村を閉ざした壁を破ることが出来ず。ただただ死んでいく妹を見守っていたのだと。
「辛いだろうと思いますが。使うべき場所にきて、使わない事実には憤りを感じますね。この時代です。誰もが苦しみ、悲しんでいる。自分だけが可哀相だなどともし思うのなら」
 艶麗な唇をアフィーカが吊り上げる。ユシェラは無言のまま続きの言葉を待った。「ひっぱたいてやりますね。私でしたら」
「やりかねないな。たしかアフィーカ、君は軍に入れたばかりのころのレヴィアを引っぱたいていたな」
「ええ」
 澄まして頷き、
「才能を認められて軍に招き入れたというのに。反抗期の子供よろしく、わめいていましたからね」
 さらりと髪を流して微笑む。
 ユシェラは何も答えずに、アフィーカを置いて歩き出した。
「将軍?」
「少し話してくる」
「一つ、お願いがあるのですが」
「言ってみろ」
 扉のノブに手をかけた状態で、ユシェラは足を止める。
「将軍が今回話しても、まだ再生能力を発揮しないのなら。私、あの子供を叩きますよ」
「好きにしろ」
 答えて、ユシェラは扉から外に出た。


 
 雨が落ちる。
 地面を水の色に染めて、雨が落ちる。
『空から雨が落ちてくる光景って大好き』
 両手を広げて、ごく僅かに降らせる雨に、いつも両手を広げていた。
「……リーア」
 唇から名前がこぼれる。このまま雨の中に立っていても、手を広げてくるくると回って笑ったりしない……妹の名前。
「フィラーラ」
 名前を呼ばれて、フィラーラはゆっくりと振り向いた。
 水に髪を濡らした黒髪の青年が佇んでいる。
 ――復讐もしないのか? と、自分に言ってきた青年。ユシェラ=レヴァンスだ。
「何か?」
 無視をするのもためらわれ、一応尋ねた。ユシェラは沈黙を破らず、ただゆっくりと歩いて来てフィラーラの隣に立つ。
「何を保証して欲しい?」
「……保証?」
 いきなりの言葉の真意が分からず、困惑した声をあげた少年に、ユシェラは何も答えなかった。変わりにゆっくりと歩き出す。フィラーラが歩き出さないので、一度だけユシェラは振り向いた。
 付いて来いというのだ。
 無言でしばし悩んだ後、走るようにして後を追う。ユシェラは坂になっている荒野を歩き、途切れた場所で足を止めた。
 眼下に、枯れきった大地が広がっている。雨がいかに降り注ごうとも、それを受け止め潤うことが出来ない場所。――砂漠だ。
「かつてここは農業地域だった」
「……ここが?」
「ああ。縦横に水路が走り、稲穂が揺れていたらしい」
 目を細め、ユシェラは見たことのない光景を網膜に描こうとする。
 フィラーラも真似をして、少し、光景を思い描こうとした。
 金色の揺れる稲穂は、太陽の光を受けて、美しい黄金色に染まるのだろう。
「君はどうして、雨しか降らせようとしない?」
 想像を打ち切らせる威力を持つ言葉に、フィラーラは息を呑んだ。顔を上げ、高い位置にある青年を睨みつける。――無意識に、体が小刻みに震えた。
「――。別に……」
「違うな」
 精一杯、否定しようとした少年の言葉を真っ向から否定する。
「君が恐れるのは、蘇らせた自然とそこに集まった人を滅ぼされる事だろう。今までにも、似たことが何度もあったのだろう? 人を救い、救ったことで多くの人が集まり、そして強奪が始まる。恵みは血に汚れ、人が死に、結局は何も変わらなかった。そういうことだろうな」
「――るさい」
「なんだ?」
「うるさいんだよっ! そんな……当たり前のように語られたくなんてない!」
「だが、事実だろう?」
 冷静に言い返してくる青年が煩わしかった。
 今まで何回の殺戮の光景を見てきただろうか
 どんなに隠れていても、必ず自分の噂を聞きつけてくる者が居た。そして今にも死にそうになっている者が不憫でならなくて、つい水を与えて――血の雨が降ったこともある。
 隠れていようと思った。
 もう二度と誰にも”自然を復活させる力”を見せまいと思っていた。
 なのに結局やさしい人たちに出会えば悲しくなって、つい、水と緑を復活させてしまう。――悲劇を呼びよせるのは、いつも自分だ。
「……結局」
「結局、なんだ?」
 震える声を絞り出したフィラーラに、ユシェラは冷静に続きを促す。
「悲しい思いは消えたりしない」
「なるほどな。……フィラーラ」
 名前を呼ぶと、ユシェラは細い少年の肩に手を置いた。反応をしてフィラーラが顔を上げる。
「前線から軍を後退させた。あれが我が軍の誇る赤の陸戦部隊だ」
 指先を持ち上げて前方を指し示す。
 素直に示された場所を見やると、かつて農業地域であったという砂漠の奥に、土煙を上げて向かってくる一軍が確かに見えた。
 いくつかの戦車と、戦闘使用のジープ。幾つもの滞空ミサイルや対地ミサイルを搭載しているものもある。
「朱金の翼が、連合政府の正規軍を母体にしていることは知っているだろう?」
「――知ってる」
「連合政府は、地下に作った核シェルターに軍施設も作りこんだ。そのシェルターを入手している我々は、地上ではロストしてしまった兵器を製造・使用することができる。とはいえ――」
 少しばかり目を細める。なんとなく笑ったのだと気付いて、フィラーラは首を傾げた。
「何がおかしくて笑っている?」
「笑った? 私がか?」
 尋ねられて、特に表情を変えた自覚のなかったユシェラは怪訝な声を出した。フィラーラは自らの言葉を撤回せずに静かに肯く。
「笑っていた」
 重ねて言われて、今度は本当にユシェラは笑んだ。
「たとえ地下に施設を保存し、かなり高度な技術を残しても、使えていない現状がおかしいと思っているな」
「使えない?」
「それを作るだめのコンピュータを動かすもの、メンテナンスをするもの、そして部品も資源も足りん。おかげで今使用しているのは、百年以上昔の戦争で使われていたものばかりだ」
「そうなんだ」
「ああ」
 会話を続けている間に、赤の陸戦部隊はみるみる近づいてくる。その内の一台のジープが部隊から離れ、佇む二人の元に向かってきた。
 赤の陸戦部隊師団長、サラザード・アル・ゼゼンだ。
「将軍。帰還命令を実行し、只今完了いたしました」
 重厚な雰囲気の男は、車を降り、ユシェラの前で恭しく敬礼をして報告する。それから上官の傍らに佇むフィラーラに気付いて目を細めた。
 サラザードにとって、フィラーラは知らぬ人間だ。
「ご苦労だった。今後半年間は、全軍でこの地域の防衛にあたる」
「全軍でございますか?」
 ユシェラの声に我に返り、命令に不思議そうな声を上げる。民主主義政権の保護を叫ぶ紺碧の炎の台頭を懸念していたのは、ユシェラ自身なのだ。
「付け焼き歯で民衆の指示を勝ち取ろうとするより、効率の良い方法が入手できたからな」
「効率の良い方法?」
「民衆に昔の生活を取り戻させる」
「とおっしゃいますと?」
「衣食住の安定だな」
 さらりと言い放ち、ユシェラは肩に手を置いていたフィラーラの体を前に出した。
「サラザードの所にも噂は流れただろう?」
 ――世界を浄化する子供がいる。
「……。では、空戦部隊の目の前で雨を降らせた子供というのは」
 現実に、今、彼らに降り注いでいるのは浄化の雨。
「そうだ。彼だよ」
 静かに答えたユシェラの言葉を受けて、サラザードは恭しくと膝を突いた。
「他の組織ではなく、我ら朱金の翼にいらした事を感謝いたします。今後は、必ず我らがお守りいたしますゆえ、お心を休められますように」
 多少演技がかっているサラザードの言葉に、聞きなれる単語を聞いて、フィラーラは首を傾げた。
「……守る?」
「そうだ。今まで、何度も悲劇を目撃してきたことだろう。それは、秩序を守る力と、外敵から身を守る術がなかったからこそに他ならない。たとえ行動が優しく、倫理に従ったものだとしても。全てを守る”力”がなければ意味をなさない」
 水を与えられ、最初は喜んでいた人々。だがやがてそこには人が集まる。彼らを満たす為に大々的に力をつかってしまえば、軍事力を持った何物かが浄化されたエリアを手に入れようと現れ――血が流れるのだ。
 そして、結局妹までも失ってしまった。
「僕は……」
 ユシェラの言葉が正しいことを痛いほどに理解してしまって、フィラーラは悔しくて唇を噛んだ。
「だったら何で僕のこの力を持ってるんだよ。最初から、あんた達みたいに力があって、人を守ってやれる奴が持ってればよかったじゃないかっ!」
 なんで、と八つ当たりの言葉を叫んで口をつぐみ肯いた。燦燦と雨が降り注いでも、それを貯蓄できない枯れた大地。そこに涙の跡が幾つも加わった。
「資格を選んで与える存在が有るわけでもあるまい。如何ともしがたいよ」
「どうしようも……ない」
 涙を頬に伝わせたまま、フィラーラはじっとユシェラを見つめる。戯言に似た慰めは口にしない青年は、眼差しだけで肯いた。
「過去は変えられぬ。変わるのは常に、現在と未来だけだ」
 強い言葉で一端言葉を切り、
「私が約束できるのは、君が恵みをもたらす大地と、そこに暮らす人々を守るということだけだな」
「朱金の翼が?」
「ああ。君のこともな」
「………」
 伺うように視線をさまよわせてから、フィラーラは肯いた。一歩前に足を出し、かつての農業地帯を一望する。
 ――黄金に満たされていた場所。
 想像する。その美しい光景と、そこで暮らしていただろう人々の幸せを。眼差しを伏せ、そっと両手を天に向かって広げた。
「将軍?」
 サラザードの声が、未知なる事態を予感して奮える。ユシェラは冷静なまま、少年の動きを見やっていた。


 雨が降る。
 フィラーラが伸ばす、指先に合わせて。
 光りが降る。
 奇跡の色に包まれた、少年の呼吸に合わせるように。
 

 まばたきを終えると、そこは既に緑に包まれていた。
 息を呑んだサラザードを置いて、ユシェラは少年の側による。自ら起こした奇跡に特別な感慨は抱いていない様子のフィラーラの頭に、青年指導者はいきなり手を置いてくしゃりと撫でた。
「良くやった」
「……」
「どうした?」
 ぱちくりと瞬きをされると同時に、やけに驚いた顔をしているのに気付いて、ユシェラは僅かに怪訝な声を出す。
「いや……こんなこと、するようには見えなかったから」
「おかしいか?」
 少年の頭を撫でた自らの手を、軽く見やる仕草をしたユシェラをフィラーラは見上げた。
「いや、別にそんな事はないけど……いや、違う」
「ん?」
「意外だった。でも、そういうのって嫌いじゃない」
 小声で告げると、フィラーラは笑った。
 朱金の翼に来て、それが初めて見せた少年の笑顔だった。

人気投票をした際に、フィラーラが一位になった記念に書いた小説です。
フィラーラが、エリクルが、朱金の翼と紺碧の炎に訪れてから本編開始まで二年の空白があるわけですよね。
どういう風に生きてきたのか。それが少しでも伝わると良いな、と思います。

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