第十八話:狂気に落ちた現実
目次

 地上を押しつつもうとする狂気の現実は、奇妙なまでの静寂を伴って進行しつつある。コンピューターのみで制御される悪夢の兵器は地下より次々と姿を現し、攻撃態勢を取りつつあった。
 攻撃が開始されるまでの時間は長くない。
 朱金の翼のユシェラ=レヴァンスが行方をくらましてしまった今、指揮をとる人間は自分しかいないと判断したエリクルは、はっきりとした苛立ちを端正な顔に潜めて、声を張り上げていた。
「兵の様子はどうなっているのっ!」
 彼女の声に答えるのは、ユシェラ直属の部下だけあって、動揺を見せていない情報官たちである。だがエリクルの指示の届かない実戦部隊の兵達が、忍び寄る絶対の破滅である核攻撃と、目の前の危機である自動兵器の登場によって混乱状態に陥り、指揮系統が崩れているだろうことは想像に易かった。
 ユシェラ=レヴァンスがいない。それが痛手になっている。
 紺碧の炎の人間だけであるのなら、エリクルはどのような危機に直面しようとも、兵を整然と指揮するだけの自信がある。それが一人の人間を信じきって作り上げられた妄信的な組織の強いところだ。だが逆に、その一人を失った場合は、強かった面は極限まで脆く、弱い部分になりはてる。
 ――私に、ユシェラをかいた朱金の翼を指揮することが出来るの?
 出来るわけがない。本当はそれが答えだった。
 けれど諦めることは許されていない。どうにかして朱金の翼の面々を纏め上げねばならないのが今の自分の役目だと、彼女は思っている。
「動揺は大きい模様です! 自動兵器の攻撃を防いだとしても、核の第二攻撃がくることを兵は察知しています。レヴァンス将軍が姿をあらわさないことで、冷静な思考が出来ない模様!」
 武装を放棄し、逃げ出そうとする者。自動兵器を前に、祈り出し、死を待ってしまう者。発狂し、暴力に走る兵がいれば、取り乱して泣く者がいる。
 あまりに想像通りなのよと、エリクルは呟く。
『カリスマによって支えられた組織は、カリスマによって滅ぶんだよ』
 昔そう告げた惺の言葉が、痛いほど蘇ってくる。 
 それを現実として理解した。ユシェラとフィラーラ。この二人のカリスマによって作られた強固な軍もまた、脆いヒトの集団に過ぎなかったのだと。
「でも、戦わなくちゃいけない。核に滅ぼされるとしても。絶対的な終焉が訪れるその瞬間まで、私たちは生きる為のあがきを捨ててはいけないのよ」
 核の第二撃が落ちてこようが、こまいが。生き残るあがきを捨ててはならないと、この場に生きる者達の心に訴え、なんとしても信じさせるのだ。
 エリクルは混乱と自暴自棄に落ちていない、紺碧の炎の兵に戦闘体制を取るように支持を下すと、即座に走りだした。混乱下にある者達を戦場に向かわせるならば、まず最初に自分こそが、そこに赴く必要がある。
 ユシェラではなく。自分こそが指導者であると覚えこませるために。
 けれど走りながら想う。
 ――私に、なにができるの?
 煽動することは出来る。いや、しなくてはならないと決意したばかりだ。
 兵を立ち上がらせて、銃を取らせて。迫り来る死の恐怖を忘れさ扇動させて、戦いへと赴かせるところまでは出来るのだ。だが。
 ――作戦を、考えることが出来ない!
 滝月惺が作戦を一人で取り仕切っていた。作戦が成功すればエリクルが褒め称えられ、作戦の立案者は忘れられる。逆に敗北は作戦のミスだと兵たちに思いこませた。そうすることで、彼女のカリスマは傷つけられることなく守られてきた。
 だからエリクルは常に紺碧の炎の女神であり続けた。
 人為的に作られ守られた、偽りの虚像。
 兵を指揮するのは出来よう。だが、指揮するために必要な参謀はいない。朱金の翼では、ユシェラが一人で処理してきた。 
 ――ねえ、惺。私、どうすればいいの?
 握り締めた拳に汗を感じるのは、恐いからだった。涙が出そうになる。眦をつりあげ、くぐもった天を睨み付けても、涙が急激に瞳を潤し始めて、頬を伝って行きそうでひどく悔しい。
 ――どうすれば、どうすればいいのっ!
 これほどに無力を痛感したことはない。
「………!? あれは!」
 轟音が響いた。それこそ鼓膜を突き破るような激しい音。エリクルの髪は激しく天に巻き上げられ、慌ててそれを押さえる。一点を睨んだ。
 戦闘機。
 鈍色に光る、大空を支配する兇器。
 彼女の家族を全て、死に至らしめた象徴!
 意識をしなくても、足が震える。復讐に身を焦がす自分は消えたけれども、家族を奪われた恐怖は消えてはいない。
 がたがたと膝が泣いてしまう惨めさにエリクルが唇を噛み締める中、戦闘機は神業にも似た見事な飛行を見せ付けて、兵が集合していた場所のど真ん中に、着陸して見せた。
 兵たちの間で、ざわめきが生まれている。
 あれほど見事に戦闘機を操縦できる人間は、レヴィア=カッシュしか居なかったはずだ、と。けれど、レヴィアはシャラシャーン要塞に戦闘機ごと特攻をかけた。この世にいるはずがない。
 いまだに震える膝を叱咤しながら、エリクルは舞い降りた戦闘機を必死に睨み付ける。彼女の視線を感じ取ったようなタイミングで、キャノピーが開いた。
 肩で切りそろえられている鮮やかな黒髪が、空を舞う。
「まさか!! そんな、だって貴方は!」
 エリクルの驚愕と、兵の動揺をよそに。
 かつ、と戦場には不釣合いなヒールの音も高く。
 姿を現した女が、周囲を睥睨した。
「翠の海戦部隊師団長! アフィーカ=カークス!?」
 誰もが想像もしなかった人物の登場だった。


 ――消えて、しまう。優しかった…過去、が。
 閉ざされた瞼から一滴の涙をこぼし、少女は瞳を開いた。
「名前は……」
 与えられたものだったんだ、と心で呟く。
 誕生を望んでくれた人がいて、その人は名前をつけてくれた。
 自分はその人が大好きで、その感情が、機械が持ちうるはずもなかった自我を育んできたのだ。
「ずっとずっと、忘れて……いた」
 ゆっくりと置きあがる。
 呆然と立ちすくんだ惺が視界に入り、永遠の眠りについた、かつて大好きだった人を認めた。複雑な思いに瞳をくもらせると、ふいに惺が口を開く。
「……もう真夜は逝ってしまったよ」
「殺したんだ。この人を」
「……そう……だな」
 覇気のない返事を一つすると、惺は抜け殻のような眼差しを周囲の機械に向けて、現在の置かれている状況を確認する。
「核が落ちてくるんだ。もう時間がない」 
 合成音声のように、感情の抜け落ちた声音だった。
 惺は理想のために手を汚せるような人間ではない。幽閉され研究を強要させられていた為に、滅びへと向かい続ける世界がもつどろどろとした現実を彼は知らなかった。世間知らずな温室育ちだったが為に、子供っぽい理想家であり、独特の優しさを持ち続けたといえるだろう。
 その彼が。かけがえのない親友だった早坂真夜を手にかけたことで、精神を壊してしまったように見えた。
 惺が一見正常な行動を取っていられるのは、世界が危機に落ちている為だろう。エリクルが生きている世界を守りたい。その確固たる意志だけが拠り所となって、彼の精神崩壊を防いでいる。
 人が最も必死になれる時。 
 誰かを守ろうと願う心こそが、もっとも人を強くするのだと改めて理解して、フィラーラは息を付く。そして画面に視線をやった。
 地球に向かって落ちてくる数字の群が、核の脅威だ。では地上のシャラシャーン要塞を囲もうとしている数字はなんだろうか?
 フィラーラの疑問を感じ取ったように、惺が指でディスプレイを弾く。
「殲滅作戦は完璧だな。シャラシャーンを占拠しようとしているのは、自動兵器だ。データベースによると、連合政府が開発した機械だけによる戦闘集団らしいよ。君のように高度な知能や自己判断は保持していないにせよ、同じ殺人兵器というわけだ」
 優しい性格の持ち主の惺らしくない、刺のある言葉。
 フィラーラは反論もせずただ目を細めた。惺の優しさは人間に向けられるものであって、機械に向けられるものではないと知っていたからだ。
「反論もしない。認めているわけだ。殺人の為に作られた機械なのだと」
「一々うるさいんだ。君にわざわざ確認してもらう必要はない。誰が否定しようと、僕は、僕が兵器であることを認識している。忘れてはいけないことだから」
 冷たく実りのない会話を交わし、しばし双方ともに沈黙する。
 先に肩を落としたのは惺だった。攻撃的な態度を取ることしか出来ないでいる状態の、彼。
「とにかく対処する必要がある。自動兵器は、朱金の翼にユシェラがいるのだから、なんとか地上軍を使って撃破するだろう。だが核はどうしようもない」
 首を振りながら惺が言う。
 フィラーラは胸がちくりと痛むのを感じた。
 惺が地上に現れた自動兵器は、ユシェラが朱金の翼の軍を使って撃破するから大丈夫だろう、と言った為だ。確かに大丈夫だろうと思う。ユシェラは世界の行く末を本当に考えていた。手を汚すのも厭わず、改善策を探し、あらゆる手段を講じてきた。
 その彼が、目前に迫る永遠の終焉に悲嘆し、現在の危機を回避する努力を怠ることはないだろう。立ち上がり、そして指揮を執るはずだ。
 神にもなりうる類希な才能と、意志で人々を支えて。
 だから、ここにユシェラはこない。
 そう、分かっていた。
 けれど苦しい。分かっているのにユシェラに来て欲しいと願っている自分がいる。今この場に現れて、手を差し伸べてくれる未来を望んでしまう。
「地球を包んでいる光は消えてしまった。あれは、君が発生させたものだろう? あの力を再度使えば、核の第二撃を防ぐことも出来る。体力を消耗しきった状態では不可能だったろうが、運よく真夜が君の機能を回復させておいてくれた。だから問題はないはずだ。君だって一度は世界を救ってみせたんだ。それを無駄にして、星が破滅に回帰するのは望まないだろう?」
 ――うるさい。
 なにを言い続けているんだろう、この男は?
 彼は一体なにを勘違いしているのだろう?
 人を兵器だと、感情のない作られた機械なのだというくせに。自分に世界を救う優しさを求めている。滑稽で、あまりに矛盾ではないか?
 ――僕を機械だという。けれど人の情として。世界を救うことは求めてくる。
 なんて傲慢な、人の望み。
 世界を救いたい気持ちなんて持っていない。
 先程力を咄嗟に使ったのは、隣にユシェラがいたからだった。彼は世界を守ろうとしていた。だから世界の終焉を見せたくなかった。必死すぎて、忘れていた。力の使いすぎは、死が訪れるほどの衝撃が与えるものであることを。
 惺はまだ、壊れたオルゴールの単調さで世界を救う術を語りつづけている。
 うるくて、わずらわしくて、吐き気がする。
「世界を救う。それで一体なにがいいたい?」
 彼にとっては唐突で心外なフィラーラの言葉に、惺は目を見開いた。
 裏切られたとでも思ったのかもしれない。彼自身は、フィラーラを機械だと断言しつつ人としての感情を求める矛盾に、まったく気付いていなかったから。
 フィラーラは惺の困惑に答えを与えようと思わないので、踵を返した。
 ユシェラに会いたかった。彼女は無条件に信じていた。彼が、ここに来れないことを苦しんでくれていると。だから来れない彼の代わりに、自分が行けばいいと思った。そうすれば死ぬ瞬間まで、側にいることが出来る。
 それでいいはずだった。どうせもう、全ては終わってしまう。
「待て!」
 痛いほど腕を掴まれて、フィラーラは眉をしかめた。
 鬼気迫った表情で、惺は少女に詰め寄っている。人間は極限まで追いつめられるとこんな顔にもなるのだと、フィラーラは思う。
「君に、僕を引き止める権利などないはずだ」
 機械だというのなら。機械を演じてやってもいい。
 表情を落して。目の輝きを消して。虚ろな顔で言ってやればいいだけだから。そして淡々と語れば良い。いかに自分が人で在らざる者であるかを。
「僕は殺人兵器として作られた。でも、知能と感情を保持する為に、特定の制御が施されているんだ。僕が僕の意志で必要以上の機能を使わないように。誰かが勝手に命令を下せないように。僕に命令できた人間は、死んだ早坂技師であり、真夜であり、妹の梨花であり……ユシェラだけだ」
 思い出してみれば、確かに自分は命令を下すことが出来る人間が側にいた時のみ、より強大な力を生み出していた。逆に側にいない時に力を使えば、必要以上に体力を消耗した。とっさに使うことも出来ないでいた。
 ――だから。やはり、兵器なのだ。
 自分が人間ではないと思い知らされる事実ばかりで、心が痛い。惺は必死の形相で、小柄な少女の体を激しく揺さ振った。
「なにを考えている!? 核が落ちてくるんだぞ! 灰燼の中で全てが無に帰ってしまう。守りたくないのか?それを。何もかも、死んでしまうんだぞ! 命令がなければ、出来ないっていうのか!? けれど一度目は、ユシェラの命令がなくともやったはずだ! なぜそれをもう一度出来ない!?」
 惺が叫ぶ。エリクルが死なないですむ世界、それを守る為の手段を失わない為に。彼も必死なのだ。それは分かる。分かるけれど。
「機械に……」
 強く腕を掴む惺の手を払って、フィラーラは初めて眦を釣り上げた。
「ご都合主義すぎるんだよ、君は! もうほとんど力なんて残ってない。にもかかわらずそれを無視して力を使えば、確実に僕は死ぬんだ。それはいいんだろう。君にとっては。世界を救う為に必要な道具が一つ壊れるだけなんだからさ! でもね、壊れて死んでいくことを強要される僕に、世界を救いたいと思わないのか、なんて都合のよい感情を期待するな! おかしくない? 矛盾してない? 僕は君にしてみれば兵器なんだろう? その兵器に感情を求めるなんて、おかしくってっ」
 一旦言葉を切り、フィラーラは目を細める。
「機械なんだろう? 僕は。君に取っては、それでしかないんだろう」
 震えを必死に押さ訴えるフィラーラの姿に、惺は呆然と立ち尽くした。
『君が一番フィラーラを…』
 真夜の声が惺の脳裏に蘇ってくる。
 誰よりもフィラーラを人と思っていた真夜。
 親友が作り上げた少女を人と思っていない自分。 
 フィラーラはなぜこうもかたくなに、惺が自分を機械扱いしてくる本当の理由を感じとっていた。
 ――惺は人殺しをしたくないのだ。
 フィラーラがもう一度力を使うことは、死を意味すると惺は気付いているはずだ。だから彼は意固地になって、フィラーラが人であると認めない。機械なら使って壊れただけ、の一言ですむ。けれど人間相手に死が訪れることを分かっていて力を使うことを強要するのは殺人だ。
 それが滝月惺の弱さだった。
 手を汚すことが出来ない。必要な犠牲を強いる事も出来ない。ただただ綺麗な理想での解決を望む、我が侭な子供と同じ。
 フィラーラは冷笑を浮かべていた。
「……機械は万能じゃないんだ。悪いけど、核を止める手段なんてどこにも残っていないんだよ。言ったろ? 命令を受けていない状態での力の行使は、ひどく体力を消耗するって。五感の機能が薄れてきているのが僕には分かる。おそらく、目も、耳も、感覚も、筋力も、一時的に全ての機能を停止するだろう。それは時間がたてば回復するものだけれど、回復を待つ時間が世界には残されていない。今このチャンスを逃せば、僕はユシェラに二度と触れることが出来なくなるんだ」
 ユシェラの元に帰りたかった。薄れていく視力が完全になくなってしまう前に、彼をみて、感覚がなくなる前に彼にふれて、喋れなくなるまえに言いたかった思いを告げて、彼の言葉を聞いて……そして世界の終焉を待ちたい。
 それさえもが、機械にはすぎた望みだというのか?
 惺は絶望を宣言したフィラーラを直視することが出来ず、震えていた。
 闇の中に突き落とされた気分だった。
 自分がしてきたことは何だったのか?
 ユシェラからフィラーラを奪い、エリクルに哀しい思いをさせ、そして真夜までも死なせてしまった。にもかかわらず、得たのは絶望の再認識だけ。
 道化だ。
 悔しさに手を握り締める。と、異物感に気付いた。手を広げると、小さなマイクロチップがある。
「……あの時」
 そういえば、正気を認めた真夜が息を引き取る寸前、なにかを渡してきたのだ。
 もしかしたら絶望を打開する方法が示されているかもしれない。惺は研究室から出て行こうとしたフィラーラを無理矢理拘束して、手早くマイクロチップの解析にかかる。
「離せ!」
 必死のフィラーラの声に耳も貸さず、惺は解析されていくデータに目を奪われていた。真夜の研究の全てと、一つの研究の成果がここにはあった。
「なんだ? これは」
 呆然とする惺の目の前で、天才生物学者早坂真夜が生み出した研究の全過程が、画面上でシミュレーションされていく。最初に現れたのは地図だ。沈んでしまった大陸には斜線が、大陸として存在する場所は明るく表示されている。
 各地に点在する赤い光と線。
 全てはこのシャラシャーンの地下研究所を中心にして広がっている。
「まさか。これは全部、ここの情報を共有しているネットワークなのか?」
 惺が息を呑むのも仕方なかった。
 余りに規模の大きな話だ。早坂真夜というたった一人の人間が、一体どのようにして全世界にネットワークをつなげたというのだろうか。全てが崩壊し、ほとんどの施設を失ってしまったこの世界で。
 感動と、真夜の才能に嫉妬心を抱えたまま惺がキーに触れると、機械音を鳴り、手元のモニターに文字が走った。
 浄化システム。最初に現れたのはその文字だった。
 フィラーラが持つ浄化の力を分析、解明することで、世界中に設置してある各端末がそれを再現できるように設置してある。それらに一斉に命令を下すと、光は成層圏に向けて照射され、光の幕が星を包むのだ。この光の幕は、大気圏外からの核攻撃を無力化させる能力をも持つ。光は一時間ほど星を包み込み、その後、光の粒子を含んだ雨が地上に降り注ぐ。
「その雨が……浄化を、完成させる」
 夢のようだった。
 当面の危機だけではなく、このシステムは根本的な危機をも回避してくれる。
「……凄い。真夜、お前はやっぱり星を救おうとしていたんだ……」
 自分だけが知っていた、親友の本当の優しさ。惺は急いでシステムを起動させるために必要な事項を探す。
 けれど。
「……失敗!?」
 いったいなにをして失敗と最後に断言させているのか、その理由が惺に分からなかった。理論的にも物質的にも全てが完成しているのに、なにが失敗というのか?
 その質問に答えるように、解説が続いてゆく。
 フィラーラという生命体は、偶然から生みだされた、という言葉から始まっていた。
 失敗が続き、どこを改善すれば良いのか分からない中で、真夜と彼の父は、いわば適当に実験を繰り返す中、ある生命体の核――コアを作り出した。青い宝石に似た小さなそれを、いわば気まぐれに誕生前の生命体に埋めこんだという。
 この偶然の産物であるコアこそが、フィラーラに人間と変わらぬ自我と、あらゆる物質を再構成し、穢れなき遺伝子を保持する物質に生まれ変わらせる能力を与えたのだ。
 そして。
「だから、失敗と真夜は言ったんだ…」
「――結局」
 不意に声がした。
 慌てて振り向くと、フィラーラが蒼白になっていた。彼女の視線はちょうど惺の頭を超えたあたり、ようするに今惺が読んだ一文のところだ。
 世界を浄化するシステムの稼動を命令するのに必要不可欠なもの。
 それがフィラーラの中に取り込まれ、心臓の一部となって存在しつづけている青いコアそのものであったのだ。けれどそれを取り出すことは――。
「真夜は探していたんだ。別の方法がないかと。探して、探して、見つからなかったから失敗と言った! 俺はともかく、あいつは本当に君の事を大切に」
「うるさい! 真夜がどう思っていようと真実は一つだ。コアは僕の中にある。それがあれば浄化システムが完成し、稼動を始める。コアを取り出すには、コアが寄生している部分が完全に死滅しなければいけない。死滅すれば、自然とコアは分離を始め、光と共に外に出てくる。寄生している部分……心臓が死滅すればね!」
 怒りに震えながらフィラーラは手を握りしめ、そして画面を睨んだ。
「世界を救われるためには、僕が死ななくちゃ駄目って事だろう」
「……それは」
 悲痛な叫びに、フィラーラを機械だと言いきっているはずの惺がうつむく。
 世界を救う為に、壊れる道具があっても仕方ないと惺は考えている。考えているはずなのに、コアを渡せと言うことが出来ない。機械のようにしていたフィラーラが、今あまりに人だ。瞳に宿るのは違えようのない命の輝き。
 だから言えなくなってしまった。心臓に同化しているコアを渡してくれとは。星を救う為に死んでくれとは。
 黙り込んで画面に視線を落としてしまった惺に、フィラーラはため息をつく。惺の心境の変化を簡単に読むことが出来た。
 まだ、手を汚したくはないのだ。だからフィラーラが自ら犠牲になると言い出すのを待っている。
 惺の考え方はエゴイストのようだが、人としては当然かもしれなかった。機械を壊すことをためらう人間がいないように。他人に死を強制することに怯えない人間もいないだろう。
 黙りこんだ惺から視線をはずし、フィラーラは永遠の眠りについた早坂真夜に視線を向ける。かつて大好きだった人。創造主であり、絶対的な存在だった彼を。
 どうしてこんな物を残した? と、許されるなら叫んで取り乱したかった。世界を救う術がなければ、きっと静かな心のまま滅びを待つことが出来た。なのに、彼はわざわざ小さな希望を世界に残した。
 世界を救う術。フィラーラ一人が死ぬだけで、世界が救われるそんな残酷な現実。
「僕は……どうしたらいい。自分で死ぬなんて、そんな――」
 呟きながらフィラーラはぐっと唇を噛んだ。
 泣きたくなかった。膨れ上がってきた涙を打ち消すように天を仰ぎ、フィラーラはその目に地上の光景を焼き付けようと目を上げる。
 ユシェラの姿をただ見たくて、フィラーラは徐々に霞んでゆく目を必死に凝らす…。



 戦闘機から降り立った女を、エリクルは無意識に睨みつけていた。
 というのも、二十代後半だと想われる艶麗な美女は、とても友好的とは思えない激しい雰囲気をまとっていたからだ。
 この女が、朱金の翼幹部の紅一点。翠の海戦部隊師団長、アフィーカ=カークスだ。
 しかし何故この女が、ここにいるのか?
 アフィーカは、ユシェラより朱金の翼の本拠地を守るように指示を受け動いていた。その距離は遠く、シャラシャーン要塞まで簡単にこれるような距離ではない。
 そして確認したことのない戦闘機。戦場で使用されたことはないはずだ。鋭利なフォルムの美しい機体は、未使用を裏付けるように傷一つない。
「あれは……レヴァンス将軍の命令で、レヴィア師団長用に開発が進められていた疾風・改のはず。完成していたのか?」
 小さな呟きが後ろから聞こえて、エリクルは眉をひそめる。
 死んだはずのレヴィアが、地上の危機に気付いて黄泉から舞い戻ってきたのか?
 そんな夢のような事を考えてしまって、エリクルは自嘲気味に笑った。
 死者が蘇るはずがない。爆弾ごと突っ込んでいった男が、生きているわけがない。
 生きていればと、願う人の気持ちが天に届くなら。世界がこんなにも悲しみに満ちているわけがないのだ。
 ぎりっと拳を握り締めて呟くエリクルを余所に、アフィーカは降りたばかりの戦闘機のパイロット席に向かって何事かを喋りかけているようだった。
 当然だが視線が集まる。誰が操縦しているのか、誰もが気になっていた。
 最初に人々の目に入ったのは、レヴィアが愛用していた青い鉢巻の色だった。
 誰もが違うと分かっていながら青の空戦部隊師団長の生還を切に願う視線さらされて、コックピットから立ち上がったのは年若い少年だった。
 青の空戦部隊師団長の、根拠のない自信に溢れた姿とは、あまりに違う。
 立ち上がった少年は、自分に向けられていた痛いほどの希望が、落胆と悲嘆とに変わってゆくのを肌で感じながら、涙を必死にこらえていた。
 心でそっと、語りかける。
 分かりますか、と。貴方が捨ててしまった世界が…どんなに貴方を必要としていたのか。レヴァンス将軍のことしか考えていなかった貴方を、貴方自身を見つめていた人間が居たことを。
 人は特別な存在が出来た時、最高のエゴを見せるのかもしれないと少年は思う。
 レヴィアが少しでも周りを見てくれていれば、特攻など決意できなかったはずだ。こんなにも泣く人間がいることを知っていたら、捨てられなかったはずだ。
 死を決意したレヴィアに気付いたのに、それを止めることが出来なかった。残された悲しみと、寂しさと、寂寥感に、かつてレヴィアの副官であったスツーカ=フェルナンディは心で泣いている。
 それでも。戦ってみせると、少年は空に誓う。
 レヴィアが育てた青の空戦部隊は、そのまま残っているのだ。
 大空に舞いもせず、滅んでいく戦闘機ほど滑稽なものはない。そんな事を、空を愛していたレヴィア=カッシュが望むはずがない。
「青の空戦部隊師団長所属、スツーカ=フェルナンディ。翠の海戦部隊、アフィーカ=カークス師団長をおつれ致しました」
 指示を、と望む。
 戦う為に。目前に迫り来る絶望に負けない為に。生きる誇りを失わぬ為に。スツーカは信じていた。レヴィアが力を貸してくれていると。そうでなければ、疾風をあんなに上手く操縦できるわけがなかったのだと。
「まだ泣くな。スツーカ」
 突然声をかけられて、スツーカは体を強張らせた。
 空に還ってしまった人の言葉のように思えた。けれど彼がいるわけはない。変わりにいるのは、レヴィアを弟のように扱っていたアフィーカだ。
「泣くのはいつでも出来る。とにかくこの自動兵器をつぶさないことには、話しにもならないからね。あの世で、勝手に死を選んだ奴を笑い飛ばしたいだろう?」
 軽く少年の肩を叩いてから、アフィーカは視線を落ち着きを欠いた軍勢へと移した。とまどい、どこか卑屈な色を瞳に宿した人々の群れ。これが精鋭と謳われた朱金の翼だと信じることが出来ない。情けない、と彼女は呟く。
「お前達は、このまま座して死にたいのか?」
 一歩足を踏み出して、高圧的にアフィーカは言った。
 誇り高い、理想を目指し戦っていたはずの軍勢に。兵に。人々の心に。
「レヴァンス将軍がいなければ、戦えもしないような弱者など我が軍には必要ない。それほど核が落ちてくるよりも早く死にたいのならば、我が翠の海戦部隊の艦砲射撃で殺してやろう」
 冷たい宣言。
 三大師団中最も苛烈だとされている女性の断定に、動揺とは異なるどよめきが人々の間に生まれる。それを見定めて、アフィーカは演技がかった動きで天を指し示した。
「確かに今、我々は滅びに直面している。人間一人の力ではどうしようもない、そんな危機にね。それに滅ぼされるのならば仕方あるまい。講じる手がないのだから。だが、人の手によって作られた機械ごときに滅ぼされるのは無意味だろう? 抵抗する術もある。戦う力もある。にもかかわらず、殺されていくだけの存在に成り下がることなど、わたしは望みはしない。ただ死を受け入れる愚直な人間にいつからなった? 紺碧の炎は戦おうとしているのに」
 凛としたアフィーカの断言に、兵の視線がエリクルに集中する。
 紺碧の炎の女神である少女は、それに意図的なものを感じて眉をひそめた。
 わざとだ。アフィーカは故意に、兵の注目をエリクルに向けさせようとしている。
 ――しかし、何故?
 何故、アフィーカが紺碧の炎の指導者であるエリクルに、軍の意識を向けさせようとする?
 アフィーカはエリクルの疑問には答えず、ただ薄く笑う。そして高い靴音を響かせて、彼女はエリクルの元へを歩き出した。
 何をするつもりなのか、それがエリクルには分からない。
 アフィーカは激しい眼差しのまま。
 いきなり。エリクルの目の前で膝を折った。
 ――え?
「建前を取り繕う余裕は私たちにはないのでね。レヴァンス将軍がいない今、誰かに導かれることになれてしまった朱金の翼は戦えない。ならば現在直面している危機に対応する方法は一つだ。新たなるカリスマを持つ貴方に、朱金の翼を動かしてもらう。その代償として……」
 それはまるで、一つの誓い。
「わたしの全才能をかけて。自動兵器と戦う戦略の全てを捧げよう」
 アフィーカは静かに言う。そして、腰にはいている儀礼用の剣を少女に捧げた。
「……師団長?」
 動揺にざわめく兵達の声が聞こえる。
 当然だろう。いかに紺碧の炎の存在をユシェラが認めた事実があるとはいえ、まさか傘下に組み込まれて戦うはめになるとは思っていなかったはずだ。だからこそ、いかに扇動するか、それをエリクルは考えていたというのに。 
 エリクルが答えるより早く、人々を制する声が響く。
「レヴァンス将軍不在時の決定権は、赤、翠、青、三大師団長の決定に移行される。わたしもまた、朱金の翼の指揮をエリクル=カーラルディア殿に委譲することに同意しよう。将軍は、核攻撃を防ぐ方法を探しておられる。今我らが成さねばならぬのは、当面の危機を排することだ。わたしと、赤の陸戦部隊とはこれより、エリクル=カーラルディア殿の手足ともなろう。残る青の空戦部隊も同じ意見だ」
 ユシェラ=レヴァンスが姿をくらませた原因を尤も知っている男、赤の陸戦部隊師団長、サラザード・アル・ゼゼンの重厚な声と、背を押されて出てくる少年。
「次なる師団長の任免がない今、青の空戦部隊の指揮系統は副官である自分が臨時に持ちます。よって、赤の陸戦部隊、翠の海戦部隊の決断に我が師団も従います」
 信じられないような光景だった。
 赤、翠、青。朱金の翼の誇る三大師団。幾度となく戦い、その強さに苦汁を舐めたことが幾度あったか。その相手が今。目の前で指示を待っている。
「……了解した」
 エリクルは、多くの言葉を口にすることは出来なかった。短く、答えるのが精一杯だった。感動しているわけではない。ただ胸があつかった。
 時代をまきこむ、人の心を、奔流のような風を感じていた。
 わずかに震える手を押さえて、彼女は全指揮権の統括を象徴するアフィーカの剣を手に握り締める。そして強く、それを天に捧げ持った。
「わたしをいきなり信じろとは言わない。ただ」
 死ぬなと思う。
 空から核が降ってきて、すぐにでも世界は滅びようとしている。それでも生きたいと望むべきだ。簡単に死を受け入れるなど、許さない。
 望みを捨てなければ、奇跡は起こるかもしれないのだから。
「私たちは生き残る為の努力をしよう。死んでいった人々に胸をはれるように。奇跡を待つのではない。奇跡を招き寄せる強さを持とう。わたしは戦う。理想も、組織も、今はなんの意味も持たない。ただ生きるために私は戦う」 
 視線がエリクルに集まってくる。それを十分に感じながらエリクルは一度まなざしを閉じ、そして、ゆっくりと開いた。
「全軍戦闘配備!」
 それを待っていたかのように、砲撃の音が響く。
 自動兵器が攻撃態勢を整えたのだ。アフィーカは情報に目を走らせ作戦を指示し、サラザードは陸戦部隊を動かせる為に走る。スツーカもまた、戦闘機へと踵を返した。
「青の空戦部隊は、核が大気圏に突入してくる寸前まで、自動兵器に対して空爆を! 赤の陸戦部隊は修が理必要な戦車を一列にとめ、放棄せよ。簡易バリケートの変わりとする。空戦部隊の空爆の後、正常な車両にて戦車砲を一斉正射。一般兵は自動兵器と距離を取りながら、海岸線に撤退! 翠の海戦部隊の艦砲射撃の射程内に自動兵器どもを引きずりこめ!」
 死んでこいと、かつて兵に死の進軍を命じたエリクルの唇が、生き残る為の作戦を叫ぶ。彼女と、それを支えるアフィーカら朱金の翼の首脳部を守るために、紺碧の炎の軍勢は集まって、己が身を盾とした。
「クォーツ、死ぬな! 無意味に死んではならないのよ!」
 エリクルが叫べば、紺碧の炎に唯一残された将格の隻腕の男は笑って手を振って見せる。
 滅びを目前にした戦いが始まろうとしていた。
 核に殺されるか。それとも自動兵器に殺されるのか。それとも奇跡が起こるのか。
「知らない。でも絶対に生き延びてやるんだから!」
「エリクル!」
「……え!? この声、デアリード!?」
 狂気のままに焼き払ったヴェストの街で、死の眠りに落ちながらも自分を心配してくれた娘――アレナの義弟であった少年の声に、エリクルは驚いて目を見張った。デアリードはフィラーラに恋心を抱いている。だからこそ、ユシェラと共に惺を追ったと思っていたのだ。
「どうして!? 惺を追ったのではなかったの!?」
「俺は、現実を告げに来たんだ。ユシェラはここには来ないって。でも、今更いらなかったみたいだな。軍がまとまってる。俺の言葉は不要なものだったわけだ。エリクル、じゃあな!」
 矢継ぎ早に言うと、銀髪の少年は再び走り出そうとする。
「待って! 行くのね、地下に! フィラーラを追って!」
「当たり前だ! いくら世界が危機に瀕してても、フィラーラを殺してしまえばいいって考えることなんて、許せるもんか! エリクル、止めるのかっ!?」
「……いいえ。止めない。だって」
 ――本当は惺のところに行きたい。
 言えない言葉を必死に飲み込んで、エリクルは前方を指差す。
「私は戦うわ。今、人々をまとめるには、嘘でもいいから自分を信じろって叫ぶ人間が必要なのよ。ユシェラはその役割を放棄した。惺が、フィラーラを機械として使おうとしているからよ。だからこそ、私はユシェラにかわって嘘吐きな指導者を演じる必要がある。義務があるわ。惺をとめたい。とめたいけど、それは出来ないのよっ!」
 愛している人を何故追わないのか。
 死ぬかもしれない。もう二度と会えないかもしれない。地下に走れば、たとえ地上の人々が死に絶えようとも、会うことは出来る。けれど。
「私は、私自身の安っぽい感情を満足させる為に、走るわけにはいかないのよ」
 血がにじむほど強く手を握り締めて、エリクルは叫ぶように声を張り上げる。
 世界に奇跡が起きた時、それはフィラーラが死ぬ時だとエリクルは知っている。
 エゴだ。自分たちが生き残りたい為に、一人の少女を殺そうとしている現実。だから、やめろと叫んでいいのは、殺されようとする少女を助けようとする者達だけで、自分と世界との生存を望む者にその権利はない。
「デアリード。私の我侭を聞いて。私は地下に行かない。あなたを止めることもしないわ。でも、お願い。ユシェラが惺になにかしようとしたら。この一言を、伝えて」
 荒れる激情を隠して、エリクルはそっとデアリードに耳打ちする。途端に、デアリードは真っ青になって、眉を吊り上げた。
「そんなこと、俺に言えるわけがない!」
「言ってっ」
「嫌だ! そんな状態になっていたら、俺だって冷静でなんていられるもんか! なのにそれを、俺に言えだって!? 卑怯だよ、そんなの!」
「知ってるわ。私が卑怯だってことくらい知ってるわ! でも、言って。言ってくれなかったら、私は一生貴方を憎むわ! 一生よ!」
「……ふざけんなっ!」
 泣きそうな顔でデアリードは叫ぶと、そのまま駆けさっていった。  
 小さくなって行く後ろ姿を、エリクルは必死の眼差しで見つめる。
 ――お願い。
 背に向けて、願いを向ける。
 その時がきたら、どうか言ってと。
 出来ることなら泣き叫びたかった。 
 惺がいない。それが寂しくて、寂しくて、仕方ない。
 滅びを前にして、世界よりもユシェラはフィラーラを取った。惺はエリクルの為に、他人の犠牲を選び取った。
「悲しい」
 誰も悪くない。誰の願いも、切実過ぎて血を吐きそうなほどだ。
 誰かを愛することが、誰かにとっての最大の裏切りをよんで、悲劇を招いている。
 ――必死に生きるしかない。
「例え、自分の存在が誰かに苦しみを与えるものだとしても。生まれてきた以上は、生きることを放棄なんて出来ない。私が私を生かす為の世界を、守ってみせる!」
 小声で叫び、エリクルは顔を上げて指示を告げた。
 激しい戦闘が容易に想像できた。

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