第十六話:落ちてくる空
目次

 大気圏と成層圏を突き抜けて核が落ちる。
 地表に辿り着くと同時に全てを消滅させ全てを無に帰さしめる破壊の象徴。
「……え?」
 はるか遠くの山の上で、大気圏に突入する核を目撃した男は、呆然とした面持ちのまま顔を上げた。
 核が大気圏を突破し姿を現してから、攻撃に移るまでの時間が一瞬でしかない。死を受け入れる心構えなど当然出来ていない人々が、現実を拒否するように堅く目を閉ざし、叫び声をあげた。
 その中で、冷静なのか、それとも呆然としていたのかは分からぬが、天を見上げていたままの人々が、唐突の出来事を目撃した。
 天に亀裂を走らせた閃光。
 地平線の彼方から沸き起こったと思う者がいれば、突然太陽が発生したと考えた者もいた。――人々が共通に理解したのはただ一つ。
 核が消えた。
 熱と光と暴風の中、圧倒的な力をもって人々を消滅へ導くはずだった核弾頭が、音もなく崩れ去ったのだ。だが助かったと安堵する暇はなかった。続けて大気圏を越えた核が、すぐに姿を現す。対して奇跡を巻き起こした光は力を失いつつあった。
 奇跡の行方を息を呑んでいる人々の預かり知らぬ場所で、苦痛をもらした者がいる。
 その声に呼応したのか、一旦は終息しかけた光が再び力を増した。
 空を覆い込み、光のヴェールが頭上高く織り上げられる。
 美しい光景だった。破壊をもたらす核と、それを防ぐ奇跡とが、争いを繰り広げている。命の帰趨を象徴する光景だからこそ、それは桁違いに美しかった。
 核は光のオーロラに遮られながら、狂乱の炎を巻き起こす。
 熱風は気流を巻き込んでとぐろを巻き、光の内側から空を見上げる人々の目を焼くようだった。熱の嵐が、生々しくうごめき、熱した風が大地を吹き荒れる。
 それでも星はまだ、光に守られていた。


「ユシェラ!!!」
 最後に青年が聞いたフィラーラの声は、自分を呼ぶ絶叫だった。
 核が地上に直撃する一瞬前の事。振り向いた彼の腕の中に、少女が倒れこんでくる。懸命に苦痛に耐えているような、悲鳴と苦痛をあらわにしながら。
 すぐにユシェラは理解した。――奇跡が起きた理由。そしてフィラーラが倒れた訳を。
「フィア!?」
 ぐったりとする少女を抱きかかえて、ユシェラは叫ぶ。
 皮膚の中、肉の中、臓腑の中。全てが暴れまわっている感覚の中で、フィラーラはその声を漠然と聞いていた。
 今、自分がどうなっているのかが分からなかった。声が聞こえているのに、誰の声なのかが分からない。苦い鉄の味が口の中でする。激しく自分は咳きこんでいるようだった。赤く、命がこぼれてゆく色が、唇からこぼれだして止まらない。胸が焼け付くように熱かった。
 分からない。何をしているのか。何を懸命になっているのか。
 辛くて、苦しくて、力が抜けかける。そうすれば楽になれるような気がした。
「フィア!!」
 ――声。
 はっと少女は気力を取り戻す。思い出した。自分が何をしたかったのか。
 そうだった。止めるわけにはいかない。
 死なせたくない人がいる。死んだら、泣いてくれる人がいる。死なせたくも、泣かせたくもない人がいる。
「フィア! もう止めろ!」
 滅多に叫ぶ事などしないユシェラの声が聞こえた。
 大丈夫だと答えたいのに、それが出来ない。
 口を開いて、目を開けて。それだけの事をする余力すらどこにも残っていない。
 ばたばたと誰かが走ってくる音。――足音?
「ユシェラ! なにがあったの! 空が赤い。なのに地表は静かよ。碧い光が全てを包んでいる。まるで守るみたいに!」
 叫んで飛び込んできたエリクルの声に、ユシェラは妙に静かに振り向いていた。
 先程までは血を吐くという動作ではあったが、確かに動いていた腕の中の少女が、ぴくりとも動かない。
 エリクルはどきっとした。そんなユシェラの顔を見た事がない。悔やんでいるというよりも憎しんでいる色だ。誰を?自分自身を?何故?
 改めてユシェラを見直して、はっとする。
 彼が抱いているものが、人形のように動かないフィラーラだと気付いたのだ。
「フィラーラ?」
 迂闊だった。フィラーラが特別な力を持っている事も、優しい子だということも知っていた。敵である自分を助けようと庇ったり、街を救う為に傷ついている身体で力を行使した少女だったというのに。
 そんなフィラーラが、力を行使しないまま世界が滅ぶ様を見ているわけがない。けれどそれは彼女の限界を超える事だったのだ。
 だから少女は動かない。
「そんな、まさか……」
 恐ろしい予感に身体が凍る。ユシェラが内面の激情を隠した静けさで首を振った。
「違う。死んではいない。だが最低限度生きているという状態でしかない。世界中を包み込んだ光を保つ為に、フィラーラは余分な部分に使っていた力を遮断した」
「……!? 余分? 余分ってなに!? 自分が生きていく為に必要なエネルギーが余分だっていうの?」
 冷静なユシェラの声に腹をたてて叫ぶと、惺に止められた。止めないでと言いかけて言葉を飲む。今一番辛いのは誰だと、惺の瞳は尋ねていた。
「だって……だって、そんなのって!」
 否定したくて首を振りながら、ユシェラの側に駆け寄る。投げ出されたままの少女の手を取って、熱を失った冷たさを感じた。
「将軍、駄目です! 一撃目は静まりましたが、第二撃がきます。おそらく一時間後に」
 絶望に震える報告に、ご苦労だったと答えて、ユシェラは少女を抱え立ち上がった。
「フィア。世界を守りきったとしても、お前は命を失うだろう。ならば、お前が死ぬ必要がどこにある?」
 喉の底から絞り出された小さな声。初めて聞いた弱音が余りに悲痛で、エリクルは実感としてやっと理解した。ユシェラもまた、普通の人間なのだと。
 自身の才覚のみで朱金の翼を作り上げ、行使し、世界を行く末を見詰めた彼。
 不意に惺に手を取られた。やけに思いつめた顔をしている。
「なに?」
「一時間後に核が落ちてくる。そして核攻撃から世界を守る手段は、あの力だけだ」
「なにを言ってるの、惺。無理に決まってるわ。最初の一撃から世界を守る為に、フィラーラは全ての力を出し切ってしまっている。あの状態では、辛いけど次の攻撃に耐えられるとは思えないわ」
 怒ったように言うエリクルを、惺は強く見据える。
「だが、他に方法があると思うか? たった一時間で人々を避難させ、その後の世界で生きて行ける対策を立てる事が出来るか? そんなものあるわけがない。フィラーラの持つあの力だけが世界の鍵を握っているんだ。どうにかして利用しないと」
「惺、フィラーラをなんだと思っているの? おかしいわよ。惺がそんな事をいうなんて。彼女は機械じゃないのよ。早坂っていう科学者の事と、フィラーラが人工生命体だったって話を聞いてから、変よ。惺」
 エリクルは哀しげに目を細めた。惺はそれに気付かないふりをして話を続ける。
「世界を救えるのはそれだけだ。この地下に真夜が使っていた研究室があるときいた。殆ど壊されたらしいけど、少しは残ってるはずだ。その環境があれば、なんとかフィラーラの力を利用する手段を見つけられるはず」
「惺! フィラーラをもう一度科学の中に漬け込もうっていうの? それだけは駄目よ! あの子は人なのよ! 機械じゃない!」
「だがそれしか方法がないんだ。このまま座して死ぬ事をエリクルは選べるのか?」
 穏やかな惺の目が哀しかった。
 こんな方法しか見付ける事の出来ない己を責める哀しい色だ。それにエリクルは気付きはしたが、だからといって納得できるはずもない。ただ首を振る。
「考えてくれ、エリクル。このままでは一時間後にはみんな死んでしまう。何もなくなるんだ。それでいいと思えるか? 方法はあるのに、行わないで。死んでしまっていいのか?」
「それは……」
 思わず惺の言葉に同意しかけてしまって、エリクルは慌てて否定した。
「惺、生きていたいって言ったのは私。だけど、それは誰かを犠牲にして良いっていう意味じゃない。違うのよ、惺。奇麗事だとは分かってる。でも、私。フィラーラの事好きなの。親友みたいに思ってるの。だから!」
 さらに叫ぼうとして、エリクルは驚愕に目を見開いた。
「せ…い…?」
 途切れる息の間についた溜息のような言葉。
 身体が床に崩れ落ちていく奇妙な浮遊感。
 ゆっくりと惺は周囲を見渡した。
 多くの人々の喧騒で満ちていたはずの部屋が、今は静かだ。先程までたっていたはずの者達が全て床に倒れ伏している。――そう、エリクルさえも。
 惺は崩れ落ちたエリクルを抱えて、壁に寄りかからせてやった。頬にかかった金色の髪を払いながら、彼女に優しい微笑みを向ける。
「たとえどんな罵声を受けてもいい。君が生きていられる世界を守れるなら」
 誓うように告げて、惺は立ち上がった。床に投げ捨てたのは空のカプセル。予防薬を口に含んでいる者以外を一瞬にして眠りに突き落とす薬品の結晶体が入っていたもの。
 誰も、惺がそんな危険なものを持っていたとは思っていなかった。
 静けさの中に落ちたフロアを進んで、惺は小さな――けれど無視できない異変に目を見開く。神経を狂わせる強力な薬品を浴びながらも、意識を保ち、自分を睨み付けている者がいた。彼は殆ど麻痺して動かない腕に必死に力を込めて少女を抱きしめていた。激しい瞳は、まるで闇夜を貫く烈火の炎だ。
「…き……さま…っ!」
 途切れ途切れに吐かれた憎しみの言葉。惺は首を振る。
「流石だよ。ユシェラ=レヴァンス。なんて意志力だ。これだけの量の薬品を浴びながら意識を保っているだなんて。でも、動く事は出来ないはずだ」
 告げながら溜息を吐く。どうして眠っていてくれなかったんだと、不当な怒りと苦々しさが惺の心にはあった。青ざめた顔に怒りを湛えて、ユシェラは彼を睨みつけるだけだ。
「世界を救う。その為だったら利用できるものは何でも利用する。それを俺に教えたのは貴方だ。俺は俺の大切なものを守りたい」
 言葉だけは勇ましく、けれどユシェラの目を直視できないまま告げて、惺は仮死状態に陥っているフィラーラを奪い取った。
「……フィアKつ! 滝月…惺……っ!」
 フィラーラの名を呼ぶ切なさと、自分の名を吐き捨てる狂おしさが痛いほど伝わってくる。だから惺は、振り向かないで走り出した。
 ユシェラの目を見ないですむように。
「すぐに効果は切れる。後遺症はないよ」
 いつまでもいつまでも。怒りと憎しみと哀しみの込められた視線を背に感じながら。
「俺は。でも、決めたんだ…」
 呟きは誰に向けられたものだったのか。


 デアリードは呆然と天を見上げていたが、ふと、音を捕らえた。
 振り向いて、眉をひそめる。なにかが振動するような音だ。近い、と思ってさらに耳を清ますと、扉の奥から聞こえてくるのが分かる。
 誰かが、扉を中で叩いている? 
 助けを求めているのだろうかと鉄の扉に飛びついたが、びくともしない。舌打ちをして人を探し、サラザードを見つけて声を張り上げた。
「サラザード! サラザードのおっさん!」
「何かあったのか? デアリード君」
 重厚な雰囲気を持つ赤の陸戦部隊師団長サラザードが返事をすると、少年は無言で扉を指差した。
「この扉の向こうの部屋に確か司令室を設置したはずだよな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「開かないんだ。それに変な音がする」
 デアリードの言葉に、師団長の鋼色の瞳に緊張が走る。彼はそのまま大きな手を扉にかけ、開かない事実を確認すると、胸部のポケットから何かの容器に入った物質を取り出してそれを扉に付けた。
「下がっていろ」と、低いサラザードの声にデアリードが従うと、鼓膜を脅かす轟音が続いた。
「げぇ! 爆弾!? なんて物騒なものをあっさり使うんだよ! 心の準備が欲しかった……」
 少年のぼやきを無視して、熱を抱く扉に体当たりをかける。鈍い音と同時に扉がずれ、空気が内部に流れ込んだ。同時に微かな声が聞こえてくる。サラザードが顔色を変えて中に飛び込んでゆく後ろ姿をみながら、デアリードは眉をひそめた。
 ――変だ。
 なにかがおかしい。
 張り詰めた神経が訴える。空気がおかしいと。どこか重くて、肌を刺すような感触。異変を知らせようと顔を上げて、デアリードは息を飲んだ。
 サラザードに身体を支えられているのが、ユシェラ=レヴァンスであると分かったからだ。
「一体なにがあったんだ!?」
 混乱に叫んだ彼を制し、サラザードはユシェラの口元に耳を近づける。青年の唇が僅かに動いた。
「……フィラーラ様が?」
 その名前に、デアリードが動揺した。
「ちょっと待て!! なにがあったんだよ、フィラーラになにかあったのか!?」
 一瞬ユシェラは、激しさを宿しつづけている視線を少年に向けてから、短く指示を飛ばす。封鎖した地下区域に兵を向けること。核以外の攻撃を警戒すること。軽く頭をさげて去っていったサラザートを見送ってから、顔を少年に向ける。
「デアリードだったな。君はなにがしたい? フィアに何かあったことを知って、どうするつもりだ?」
「な、なに言ってんだよ!! 何かあったんだったら、助けにいくに決まってんだろ! いいから教えろよ、なにがあったんだ!」
 今にも掴み掛かってきそうなデアリードに、ユシェラは一つ息を吐く。
「フィアは人間ではない。連合政府の科学者が、生体実験で作り出した人工生命体であり……分子を操る生物兵器だ。その事実を知っても、君は、態度を変えないと誓えるのか?」
 ――フィラーラが、人間じゃ、ない?
 一瞬言葉の意味が分からなくて、デアリードはきょとんとする。
 けれど納得してから、すぐに怒りを覚えた。一体なんの意味があって、フィラーラが人間ではないと兵器だと強調するのかと思う。
「馬鹿にするなよ! そんなもん、関係ないじゃないか!! フィラーラの生まれの謎なんて、本人には何の罪もない! 第一兵器であったとしたって、俺は、俺は!!」
 憤りながら思い出してみる。アレナの死に唇を噛み締めてくれたこととか、街を救おうとしてくれた事とか。激情から、自分を救ってくれた事とか。そういった事実が頭を過ぎって、心を満たす。フィラーラの正体など何でもよかった。
 たとえ兵器でも人間じゃなくても。フィラーラがいてくれれば、自分は嬉しい。それだけでいい。
 そんな少年の様子に瞳を和ませて、ユシェラは彼の肩に手を置いて立ち上がった。
「フィアは、滝月惺によって地下の研究所に連れてゆかれた。おそらく、研究所に残されたデータと機材を使って、再び地球を救った光を発生させるつもりだろう。どういう手段を取るつもりなのかは、分からんがな」
「そんな、まるで人を道具のように!!」
「科学者にしてみれば、人工的に作り出された命は、道具にすぎないのだろう。人は利用できる道具を使うことに、疑問は持たない。それと同じだ。だが、それを許すわけにはいかない。フィアは決して道具ではない」
 静かに言いきったユシェラの中に、渦巻くような悲しみと怒りを感じて、デアリードは目を伏せる。理解してしまった。ユシェラがどれだけフィラーラが大切なのかを。かなわないのかなあ、と思いかけて首を振る。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。
「とにかく、地下にいこうよ。動けないんだったら、肩でもなんでも貸すからさ。フィラーラは、うん。あんたが行ってやんないと、笑わないんだ。だから、助けに行こう。地上の様子が心配なんだろうけどさ、でも、今一番あんたが手を差し伸べてやんないといけないのは、フィラーラだよ」
「……分かっている。そのつもりだ」
 僅かに笑って、ユシェラは一歩足を進める。それが朱金の翼の指導者として、常に相応しい行動をと心がけていた青年の、おそらく初めての我が侭、だった。


 癖は存在してしまうんだ、と走りながら惺は思っていた。 
 所詮人に作られた物には、作り手の意識が込められてしまう。システムにも、建物にも人の癖が出るのだ。だから惺は確かに感じていた。この研究所は、たしかに真夜が作り上げたものだと。
 惺と真夜は長い付き合いというわけではなかった。三日間だけ同じ研究をし、意見をぶつけた過去を共有しているだけだ。けれど真夜のことがなぜかよく理解できたし、仲良くもなれた。
「……確かにここは真夜の場所だ。だが信じられない。あいつが本当に――」
 眉をひそめながらも、彼はユシェラやザナデュスが見つけることの出来なかった通路やシステムを利用して、さらに最奥部に進んでいく。手に取るように分かる。この研究所の構造が。
「本当に死んでしまったのか、真夜。俺の疑問の答えが出ることはもうないんだな」
 真夜が死んでしまったと確認するのは、ひどく心の痛む作業だった。
 フィラーラを受け入れることが出来ないのも、フィラーラが真夜を殺した事実があるからかもしれない。
 真夜の研究によって生み出された少女が、生み出した真夜を殺した。
 それはまるで飼い犬に手を噛まれたようなものだと思う。だからどれ程真夜は悔しかったのだろうかと、考えるのを止めることが出来ない。
『科学者の目だよ』
 フィラーラの指摘は、正鵠を得ていた。
 元々科学者が本業の惺には、純粋にフィラーラを人間だと認識することが出来ない。
 ぐるぐると駆け巡る思考を追い払うように首を振ると、惺はトラップを一つ解除した。目の前の壁が左右に分かれ、暗かった今までの通路とは一目で異なっていると分かる部屋が開ける。光をうまく利用した、ガラスに囲まれた植物園がそこにはあった。その奥に一つだけある扉の前まで歩く。
 人の体温に反応して床から支柱が出てきた。光がきらきらとちりばめられたそれは恐らく鍵なのだろう。
「DNA判定による、許可システム、か」
 ぽつりと呟きながら、惺は息を呑み込んだ。この手のシステムは、許可された以外の人間が触れると、容赦なく攻撃を仕掛けてくる。彼はこの研究所が真夜が作ったものだと確信しているし、自分が許可されているリストに入っていると信じてもいる。
 確かに真夜は言ったのだ。別れ際に、いつか再会しようと。だから全てを惺が使えるようにしておくと。だがパネルに伸ばす手は震えていた。
「大丈夫だ。真夜が俺を許可していないはずがない」
 触れる。思わず目は閉じた。
 衝撃はこなかった。変わりに光が手を包み込んで、消える。情報をスキャンしたのだろう。遺伝子を照合し、判断する為の。
 知らず知らずの内に、冷や汗が額を伝う。
 そして。扉は、静かに開いた。


 白濁した意識が戻りつつあると、彼女は思った。まだ自分は半分夢の世界にいるのだとも分かる。そっと額に触れてくる手の感触。誰だろうと思った。こんな時には、かならず側にいてくれる人の手の感触ではない。
 ――惺。あなたはどこにいるの?
 ぼんやりと思った瞬間、意識が一気に覚醒した。勢いよく身体を起こしすぎて目眩を起こす。差し伸ばされた手。
 惺ではない。
「クォーツ?」
 ゆっくりと見上げて、相手を確認する。隻腕の男は皮肉げに笑って、水が入ったグラスを差し出していた。それを素直に受け取って、唇を湿らせる。続けて噛んだ。
 惺の目を思い出したのだ。いけない、と思う。確かに死にたくなどない。一人の犠牲で全てが救われるのならばそれも確かに仕方ない事でもあるのだろう。
 けれど、惺の心には人の命を犠牲にするのだという罪の意識がない。使い捨てて当然の機械を使用するという意識しかない。
 惺はフィラーラを人と思っていない。
「クォーツ。私、いくわ。惺をとめなくちゃならない。命は大切なものよ。それをアレナが私に教えてくれた。だから」
 クォーツの眼差しを見つめようとした。けれど悲鳴が聞こえて、そちらに顔を向ける。
「なに!?」
 エリクルの声に、すぐにクォーツは反応して、外に飛び出していく。
 伝令兵の声や、情報を担う人々の叫ぶような声が、クォーツに答えるように響いていた。
「なんだっていうのよ!」
 早く惺のところに行かなくちゃいけないのに、そう思って舌打ちしながら、エリクルもベッドから飛び降りた。眩暈を僅かに覚えたが、それは無視する。両足に力を込めて、部屋を飛び出した。
 部屋の中で眠っていた時には忘れていた緊張感が外を支配していて、エリクルはすっと冷めていく己を知った。
「なにがあったの?」
 周囲にいるのは朱金の翼の兵であるので、命令は出来ない。それでも状況を知りたくて彼女が問うと、意外にあっさりと兵はエリクルを確認し、敬礼をしてきた。
 末端まで、きっちりとユシェラが紺碧の炎を認めるといった言葉が浸透しているのだ。エリクルは背筋が伸びる気持ちを味わっていた。
「核の第二撃が訪れる前に、将軍の指示で、近隣の市民をシャラシャーンの地下シェルターに収容するべく動いていたのですが。突如砂中より、自動兵器にて構成されていると思われる兵団が現れました」
「自動兵器?」
 エリクルが首をかしげると、クォーツが助け船のように言葉を挟んでくる。
「あの悲劇が起こる前に、連合政府が整備しようとしていた兵器だけで構成された兵団のことだ。人間を必要とせず、目的のプログラムのみを行使する。が、結局細かい指示や判断能力を与えるまでは出来ずに、闇に葬られた兵器だよ」
「闇に葬られた、ですって? そんな便利なもの、簡単に放棄するとは思えないけど。なにか、理由があったの? 葬らなくてはならない、理由」
「あるな。奴らは世間的にはテストもせずに計画を撤廃したと言っているようだが、真実は違う。テストは行われたんだ。生身の兵を相手にな」
 どこか苦々しげなクォーツの声にエリクルは首をかしげたが、黙って続きを待つ。
「自動兵器は、体温に反応して敵を攻撃する。そもそも機械に、敵と味方を判別させる方法なんてなかったのさ。だから政府は、特殊な電波をだすものを兵に持たせた。敵の電波作戦を無効にさせるための機能を兵器につけていたことなんて、綺麗さっぱり忘れてな。馬鹿をみたのは兵たちだ。敵兵を想定してつくられた、体温を発する人形を排除する様を、隣でみればいいと言われていながら。その実……」
「ま、さか。……そのテストの結果って」
「ああそうさ。エリクルの考えた通りだ。テストに使われた兵達の持っていた電波発生装置など意味を無くして、虐殺が始まった。嘆いても、叫んでも、決してそれを認識しない自動兵器によって。見渡す限りの死体の山、血の海だけが後に残った。こりゃあ駄目だと、いくら政府でも思ったさ。なにせ自動兵器は、どんな停止命令もきかなかった。最初に与えられたプログラムの通り、体温を発するものを殺戮し尽くして、そんでやっと止まったんだからなあ」
 そこでクォーツは、ぽんっと、肩を叩いた。彼が永遠に失ってしまった、かつては腕があったその場所を。そう。惨劇のテストの際に、クォーツは右腕を失ったのだ。
「そんな顔をするなよ、エリクル。俺は生き延びたんだからな。仲間の死体に埋もれた事と、片腕が切断され際の出血で、体温が異常低下した為に、自動兵器は俺を認識しなかったんだ。結局、機械は機械だな」
 笑って、彼は肩をすくめる。
 自分が狂ってしまった悲劇と似た、いやもしかしたらそれ以上の悲劇の中、狂わずに生きてきた男の顔をまじまじと見詰めて、エリクルはぎゅっと手を握り締めた。
 強くならなくてはならない。強く、そう、自分の周りの人に負けないくらいに強く。
「ねえ、じゃあ。教えて。どうして紺碧の炎に味方してくれたの? 連合政府に味方していた私たちは、クォーツにとって希望にしたい場所じゃなかったはず。どちらかというと、朱金の翼のほうが向いてたでしょう? なのに、なぜ?」
「……そうだな。お前達が、死にそうなほど思いつめた目で、馬鹿みたいな理想を真剣に言ってたから、かな」
「え? なによ、それ」
「こんな時代に。夢を見れる人間ってのは、貴重なんだよ。それに朱金の翼には、優れた将が当時から沢山いたからな。ちょっと不公平だったろう、って思ったまでさ」
 皮肉に笑うと、クォーツはそのまま眼差しを前方に向けた。
 焦った人々の姿が、そこにはある。どうやら指示系統は生きているのだが、それを下す人間がいないらしい。
 おそらく、とエリクルは思った。
 ユシェラは行ってしまったのだろう。フィラーラと惺を追って。
 だから指示を下す人間が、今ここにいないのだ。
 エリクルが考え込んでいると、それを見透かしたように、クォーツが肩を竦める。
「んで、どうする。エリクル。おそらく自動兵器は、核の第一撃が防がれた際を想定されて準備された亡霊の作戦の一つだろうさ。じきに殺戮が始まる。殺戮と核の第二撃がくる恐怖が同時にくるんだ。ユシェラがいない。そんな状態の中で、人が目の前の危機にまとまって立ち向かうとは思えないな。おそらく自暴自棄になって、ばらばらに逃げ、ばらばらに戦う。そしてばらばらに殺されていく。そんな状態になってしまうだろうさ。それでも、行くか? 惺のとこに」
 人間として。試されている気がするとエリクルは思った。
 本当を言えば、行きたい。彼をとめたい。けれど。
「いいえ。私は、私の出来ることをしなくては駄目なのよ。ユシェラがいない今、朱金の翼が動いてくれるかどうか分からない。でも、指導者である人間が、ここにもう一人いるのよ。実力なんてないけど、でも名前がある。少なくとも私は、紺碧の炎の女神と呼ばれた人間だわ。引くわけにはいかない。クォーツ、お願い、朱金の翼の司令官格の人間を呼んで来て。幾らなんでも、私一人では無理だわ。参謀がいないんだから」
 それが一番痛いと思った。
 作戦を考えてくれたのは、いつだって惺だ。なのに彼はいない。参謀長を必要とせずに作戦を考案していったユシェラもいない。そんな中で、どう戦えばいいのか。
 分からない。けれど、やらなくてはいけないとエリクルは思った。

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