第十四話:約束
目次

 がたんっと、激しい音が響いた。
 突然長椅子に座っていた真夜がそこから転げ落ちたのだ。何が起きたのか把握する間もなく、しなやかな身体つきの女が落ちた男の鳩尾に膝をいれて馬乗りになり、手にしている小太刀を相手の首筋にあてがう。
「命が惜しかったら、動くんじゃない」
 人を殺しなれた者だけが持つ、独特の冷たい声で女が言うのと、もう一人の男が右手を一閃させて刃物を投げ、呪縛から解かれ重力のままに落ちる少女を両腕に見事にキャッチしたのとは殆ど同時だった。
 打ち合わせをしたわけでもない。けれどこの状況を見て取れば、どちらがどちらの役を果たすのが最も効果的かは自明の理だった。女には捕らわれ人の戒めを刃物で断つ事は出来ても、落ちてくる少女を受け止め、防御体勢を取ることは出来なかったのだ。だから、男がそちらを担当した。
 冷たい刃物を首筋に正確にあてがわれた真夜は驚きの表情を浮かべたが、不意にくすくすと笑い出す。相手の急所に刃物を突き付けてこんな反応をされたのは初めてだったのか、女は軽く眉を吊りあげた。
 何がおかしいと聞きたい心を必死に押さえて、女は救い出した人間を横抱きにしている男の方を助けを求めて視線をやる。
 真夜はくすくす笑ったままだ。
「ようするに、この子を助けに来たのはお前達って事だったんだね? ご苦労な事だよね。朱金の翼とかいう組織の人間?」
 命の行方を女に握られているはずの真夜は、余裕の表情で言うと、束縛されたまま男を見、それから彼の腕の中にある人物を見やる。
 その視線が嫌だったのか、男は少女を真夜の視界から遮った。
「あいにく、朱金の翼と関係はないんでね。ナイトを気取るつもりはない」
 そう言って男は歩を進め、女の隣に立つ。
「テュエ、こいつが何を企んでるか分からないからな。気を失わせておけ。狂人がすることは手におえない」
「狂人? ザナデュス、それって」
 怪訝な顔つきで組敷いた真夜をテュエが見る。
「普通の人間に、そんな目は出来ない」
 きっぱりと断言しつつ、彼は懐から白い布を出して未だに出血を続ける少女の両腕の傷に応急処置を施した。
「狂人とはひどい言われようだよ。ちゃんと早坂真夜っていう名前があるんだから。君たちなら、私の作った人形を助ける為にわざわざこんな所までやってきた間抜けなピエロさんたちにだったら、名前で呼ばれたってかまわないんだけどね?」
 奇妙な迫力を伴って、真夜が言う。テュエは息を呑み、ザナデュスは眉をひそめた。命乞いをするべき立場の真夜は、ただ静かな顔をしているだけだ。
「でもねえ。人形っていうのは元々おもちゃだよ? それを取り上げようってのは感心しないんじゃないかな? それは私のものなんだし。折角私が探し続けた真実が見つかりそうだったのに邪魔してくれて。可愛い梨花がどうなったのか、私は知りたかったのに。勝手に部屋に入ってきて、しかも人の物を取ろうとしたんだ。それなりの覚悟は出来てるって事だよね?」
 長々と語り終えて、真夜は不意に左の薬指に嵌めてあった指輪を親指で強く押した。僅かな動き。彼を組敷いているテュエでさえ見逃してしまいそうな動きだ。
 大きな変化は、別の所から起こった。
「……えっ?」
 これにはザナデュスまでが絶句した。
 彼が腕に抱いていたフィラーラが、突然目を見開いたかと思うと、瞬時に動いてザナデュスの脇腹に肘鉄をいれてきたのだ。流石に少女を抱えていた力が抜けた。それを見逃さず今度は手を伸ばして男の逞しい肩を掴むと、そこを基軸に少女は高く宙に舞いあがる。
 この間二秒と経過していない。
 人間業とは思えない速さで、それだけの事をやってのけたフィラーラは、空で軽く宙返りをして体勢を整えると地に着地し、隙のない構えを取る。
「フィラーラ?」
 困惑の言葉が口から漏れた。
 ザナデュスが知っているフィラーラは、こんな動きを見せる相手ではなかった。確かに鋭い敏捷性や人の気配を読むところはあったが、こうも軽々と自分から逃れられるような体術を誇ってはいなかったはずだ。
 けれど目の前で低く腰を落とし、隙の無い構えを見せている相手は、間違いなく自分と同じか、下手すると自分以上の実力を誇っている強敵だった。
 触れれば折れてしまいそうな腕も、男に抱きしめられる事こそが最も適していそうな細い体付きも、美しくまたあどけない少女の顔も、戦闘力を持っていると判断するには程遠い。普通なら外見にころりと騙されていただろう。けれど相手が普通ではないのなら、ザナデュスもまた普通ではなかった。人間という動物の限界まで鍛え上げた肉体と技を誇っている。見かけにだまされるほど初心でもない。
 助けに来た人間に逆に襲われているという現実を皮肉って、ザナデュスは笑った。
「一体、これはどういう事かな? こいつはフィラーラだが、俺の知ってるフィラーラではないようだ」
 軽口を叩いてみせながらも、冷や汗が伝っていた。ほんの少しでも隙を見せれば相手に殺される。それが分かる。だからザナデュスも本当は必死だ。
「違うよ。今までが間違っていたんだ。この子は本当の姿に戻っただけ。殺人兵器として作られた人工生命体としての姿にね」
 真夜がご丁寧に訂正をいれるフリをして、ちゃちゃを入れる。
 それが本当なら、フィラーラは操られているのだ。笑えないと思った。助けに来ておきながら、その相手に殺されるのは愚劣過ぎて冗談にもならない。
 ふとザナデュスは思い出した。
 初めてフィラーラに出会った時に感じた、アンバランスな感覚を。
 優しさと残酷さ。暖かさと冷酷さ。二つともフィラーラから感じたことだ。ようするにそれは、フィラーラの人としての人格が優しさと暖かさの感覚を、兵器として作られた無機質さが残酷と冷酷さを与えていたのだろうと思い当たる。
 フィラーラ自身はそれに本能的に気付いて、怯えていたみたいだったな、と思った時、ふとザナデュスは目を見張った。完全な戦闘態勢と殺気を放っておきながら、対峙している少女が今にも泣き出しそうな瞳をしていたのだ。
 けれど殺気を消そうとはしない。その癖悲しんでいる。という事はだ。
「真夜とか言ったな! お前フィラーラに何をした? 兵器としての本当を取り戻したとお前は言った。ようするに、芽生えた人格の全てを消してしまったのかと思ったが、違うな?」
「一体何が聞きたいのか分からないけど?」
 しれっと真夜が答える。
「フィラーラの意識をそのままにして、無理矢理操っているだろうって聞いたんだ。狂人に言葉も通じないかい?」
「君の言葉通りだ、って言ったら?」
 真夜の馬鹿にした返事に、ザナデュスは小太刀を構え直す。
「殺してやる。……フィラーラを殺した後にな。俺が認めたほどの人間を操り、こいつをここまで追い込んだ罪は、その身体で必ずあがなってもらう!」
 静寂が途切れる。
 ザナデュスの殺気が増した事を感じて、先に動いたのはフィラーラだった。彼女は素早く床を蹴って飛び上がり、ザナデュスが投げた小さな針を避ける。少女は空中で身体の向きを変えると、高く足を振り上げ男の首筋を狙った。
 一撃必殺の蹴りを腕を十字にクロスさせて受け止めると、ザナデュスはフィラーラを力いっぱい空中に投げかえす。同時に彼もまた床を蹴り、不安定な状態で投げられた少女の腹部に肩を前にして体当たりをしかけ、壁に叩き付けた。
 普通なら骨が折れて悲鳴を上げるところだ。実際、骨の折れる嫌な音はした。けれど悲鳴はない。変わりに少女は舌打ちをすると、壁に押し付けられた態勢のまま両手を男の両肩に乗せ、腕の力で膝を思い切り跳ね上げる。自分の腹部の下にある肩と、その奥の顔を狙ったのだ。
 それを避けようとザナデュスが動いた隙に、フィラーラは身体を屈めて床を二転すると、男の右足首を狙ってナイフを投げつける。
 それはいつ果てるともしれない攻防だった。
 実力はおそらく少女の方が上だ。けれど場数を踏んできているのはザナデュスなのだ。しかも少女は武器を投げて失った分、男の方が有利だ。
 攻防をただ見守っているテュエは、本当にザナデュスはフィラーラを殺してしまう気だろうかと考えて、不安になる。いっそこのまま真夜を殺してしまおうか、そう考えた瞬間、のどかに真夜はテュエを見やった。
「それは止めたほうがいいな。お前が私を殺そうとしても、次の瞬間この世界から消えているのはお前の方だからね」
 組み敷かれている男が言う台詞ではない。だが、それは間違いのない真実だった。
 真夜の言葉が命令じみたとき、背にテュエは恐ろしいほどの殺気を感じたのだ。いつでも殺せると警告するその視線。だから恐怖した。
 手が小刻みに震える。真夜はテュエを押しのけて立ち上がった。乱れた衣服を正し、面倒そうに二人の激戦の有様を見やる。不意に彼は命令した。
「いい加減遊ぶのはやめて、とっとと片づけるんだな。フィラーラ。殺してくれるのを期待しているのだろうが無駄だ。力を使え」
「……なに?」
 ザナデュスは僅かに目を細めた。目の前に立っている少女が、必死に何かに抵抗しているのが分かる。光を発するピアス。苦痛に歪んだ瞳は何かを訴えていた。逃げろといっている? それに気付いた時にはザナデュスは身を返していた。
 うずくまったまま呆然としているテュエの手を掴み、そのまま駆け出す。
「え? なに、ザナデュス?」
 我に帰ったテュエの質問にも答えず、男はそのまま入ってきた入り口から飛び出した。何の成果も出さないまま尻尾を巻いて逃げ出そうとしているのだと気付いて、テュエが抗議の声を上げかけ、息をのむ。
 こんなにも怒りと屈辱に満ちたザナデュスの悔しげな顔を見るのは初めてだったのだ。うめくような男の声が聞こえてくる。
「逃げたくなどないさ。本気で殺してやろうと思った相手を仕損じたのも初めてだ。だが人間が核兵器と戦って勝てるか? 対抗できるか? 出来るわけがない。だからといって、潔く殺されてやるわけいかないだろう!」
「ねえ、どうして? 突然、だって今まで互角だったじゃない。なのに突然なんで負けるって、かなわないって判断したのよ!」
 訳が分からなくなって、半ば平常心を失いながらテュエが叫ぶ。
「殺してくれって叫んでいたフィラーラが、力を使えと真夜に命令された途端逃げろと訴えてきたんだ。あれだけの支配を受けながら逃げろってな。という事はフィラーラにはもっと隠された力がある。忘れたか、テュエ? あいつはお前の火傷の傷痕を消し去ったり、失った視力を取り戻させたり、雨を降らせ自然を復活させるような力を持っている奴だぞ。その力が元々、生み出すのではなく破壊の為に作り出された力だったとしたら、俺に対抗出来るようなものないってことだ!」
「でも、あんたは自分を負かせる程の相手に出会ったら、逃げないで殺されるって言ったじゃない。そりゃあね、あんたが殺されないで済むってのはあたしは嬉しい。でも、それはあんたの心を殺す事なんだろ?」
 なおも納得できずに叫ぶ。
 ザナデュスは女のしつこさに舌打ちした。
「相手が俺と同じ職業の奴ならそうしたさ。だがフィラーラは泣いていたな。殺したくないって叫んでいたんだ。そんな奴に殺されてやるのは冷酷だろうが! 連れ戻すにしろ殺すにしろ、俺はあいつを救いに来た。余計に苦しめる為に来たわけじゃない!」
 言い切ると同時に研究室のあった場所から閃光が迸った。碧い清浄の光。それがドアを突き破り、障害物を飲み込み消し去っていく。
「消滅?」
 ゆらりと部屋から出てきたフィラーラは、衣のように碧い光を身にまとっていた。
 瞳には冷たい殺気。
「テュエ。俺一人ならどうにかあいつを食い止める事も出来る。お前は先に逃げろ。足手まといだ」
 冷静な男の言葉に今度は素直に頷いて、テュエは音も無く駆け出した。フィラーラの瞳が僅かに動く。女を追おうとして、少女は飛び出した。針が地に突き刺さる。
「悪かったな、フィラーラ。殺してやりたいとは思ってるんだが。まあ安心しろ。お前に殺されはしない。本当に危なくなったら逃げきってみせるさ」
 言いながらも額に伝った冷や汗。本当に殺されないで済むかは分からない。けれど身を支配してくる力と戦い、その為に苦痛を味わっている小さな友人の為にも、自分は死ぬわけにはいかなかった。
「此処だけの話だが、俺はお前の事結構気に入っているんだ。女だったってのは驚きだが、異性の友人ってのも洒落てるからな。もしだ。この場を互いに生き延びて再会する事が出来たら、一緒に飲みたいくらいだぜ?」
 ザナデュスの言葉に、フィラーラが少し笑った気がした。
 泣き笑いのような、そんな笑みだ。それが分かるからこそ、ザナデュスは真剣だった。これ以上兵器にされてしまった優しい少女を苦しめ続けたくはない。
 ――殺してやる。
 小太刀を構える。フィラーラはすっと手を上げて、光を掌中に再び集結させ始めた。真夜はくすくすと笑いながら状況を見守って、機械を手でいじっている。
 一瞬の決着。
 けれどその一瞬に起った出来事は少なくない。光が放たれる寸前にザナデュスが駆け出し、フィラーラの懐に飛び込む。驚いた少女の顔を見やりながら、手にしていた細い針を下から投げつける。同時に消滅をもたらす光を、彼女自身を傷つけるかもしれぬ程の至近距離にも係わらずフィラーラが放った。
 針はパンッという小さな音を生じさせて、命令を下すピアスが弾け飛んだ。けれど既に光はフィラーラの手から離れている。ザナデュスは避けようとしたが、至近距離での出来事だ。覚悟を決めた途端、ふわりと柔らかいものが背を覆い込んでくる。
「テュエっ!?」
 ――飛び出してきた女、発動された光。
 碧い光が部屋を包み込み、己の意志のまま初めて人を消滅させてしまったあの日の光景が、鮮明にフィラーラの中で蘇る。先に逃げたはずの女。いるはずのない人間がザナデュスを庇って消滅の光を受けようとしている?
 あの日と全く同じように。
 直接命令を送り込んでくるピアスが破壊されてもなお、支配の呪縛は精神の中に巣食い残っていた。抵抗を試みれば神経は悲鳴を上げ、痛覚の全てが叫びを上げる。けれど必死に命令に逆らい、発動した力を押え込もうとする。けれど消し去る事は出来ず、力の向かう方向を変えた。
 精神支配の波動は命令をそむいた少女に報復をはかるべく、激しい苦痛をフィラーラに与える。それでも彼女は初めて完全に取り戻した意識を手放さなかった。
 それを支える力は恐怖であり、哀しみであり、再び同じ過ちを繰り返しかけた自分への怒りだった。力は彼女の意志に従い、男とそれを庇おうとした女から離れる。
 ほうっとテュエが息を呑む。ザナデュスが慌てて身を起こすと女の額をつついた。
 勝手な事をするなと言っているらしい。
 失った力は。ある場所に向かっていた。
 体の力が抜け、くずれおちた少女に変わってテュエが叫ぶ。
「光が、あの男を!」
 指差した先で、真夜は己が生み出した生物兵器の力に取り巻かれていた。我に帰って振り向いたフィラーラの目がこれ以上ないほどに見開かれる。
 女と男を襲わなかったかわりに、光は自分が心の奥底で怒りを覚えた真夜を殺そうとしている。彼の父を母を殺してしまったこの力が、最後の一人までもを消そうと。
「だめだ!! こんな、こんな事は!!」
 立ち上がろうとしたが足に力が入らない。
 先程の攻防の際に砕けた骨が悲鳴を上げる。
 その部分に手をやって、動ける程度には傷を治そうとするが、思うように出来ない。
 真夜は感情の消えた薄い笑みを浮かべていた。
「やはり兵器だったね、フィラーラ。君は自分の意志で私を消す。私達が与えたその力でね。君は兵器らしく、一番最も効率よく私を殺せる機会を待っていたというわけだ?」
 光が徐々に己の足から全てを消去して行こうとしているにも関わらず、真夜は楽しげに笑っていた。フィラーラは必死に立ち上がって、光をなんとか消そうとする。
 テュエには何故そんな事をフィラーラがしようとするのか分からない。自業自得だと思うのだ。散々フィラーラを踏みにじり、苦しめた男がどうなろうと知った事ではないと。
 けれどフィラーラは嫌だった。自分の意思で、この危険な力で他人を殺したくない。殺してしまえば――兵器だと認めた烙印を押されてしまう気がする。
 真夜はフィラーラの苦悩を楽しんで笑っている。
「最終兵器。全てを滅ぼす破壊の悪魔。美しい容姿で何もかもをたぶらかす魅惑の少女。私自身もそれに囚われていたのかな? 破壊の魅力は誰に消せるものでもないからな」
 食い尽くす光が威力を増す。最後まで笑い続けた真夜の顔を、今、飲み込んだ。
「ーーーー!!!」
 声にならない絶叫。
 真夜の消滅と同時に精神を縛る支配は完全に消えていった。
 一種の予感を覚えテュエを抱え飛びすさるザナデュス。
 本当は音がしていた。
 誰もいなくなったはずの研究所の奥まった小さな部屋から。まるでその中に誰かがいて、椅子に座ったようなそんな音。けれど誰もそれに気付かなかった。
 誰もが視線を釘付けにされていた。
 巻き起こった、眩しいまでの閃光。
 己を否定し、兵器である事を認めた少女から湧き起こった閃光が触れるものの全てを無に返していく。落ち着けと叫ぶザナデュスの声も空しく光は増していくばかり。
「どうして? あいつがフィラーラを操ってたんでしょ? なのになんでこの力を使う? あいつが死んだ、それだけのことなのに!」
「自分を消そうとしているんだ! 兵器である事を認め、自己を否定してたんだろう。この研究所を道連れに、存在していた全ての事実を消去しようとしている」
 苦々しくザナデュスが言う。光は全てを飲みこむために勢力を伸ばす。このままでは自分達も消されてしまう懸念があった。逃げなくてはならないのだろう。
テュエは首を振り、涙を浮かべて叫ぶ。
「どうして、どうしてそんな判断しか下せないのよ! 消えて、何にもなくなってそれで満足なの? 貴方はあんなにあったかいのに。私たちを助けようとしてくれた、優しい心を持ってるくせに。人が破壊することしか出来ないでいる地球を守り育む力を持っているって事は素晴らしいじゃない! 破壊の力を再生の力に変えて使う事を知っていた貴方のどこが兵器だって言うのっ!」
 テュエの叫びにフィラーラはふっと振り向いた。
 全てを捨ててしまった目がそこにある。碧い瞳は生きる気力を無くし、腕もだらりと垂らされたまま。まるで美しすぎる人形だ。
 ザナデュスとテュエの生きろと叫ぶ声に背を向けてフィラーラは走り出した。光は少女と共に通路を抜け、あたりを無に帰していく。
 その光景を、たった今ここに辿り着いたばかりの男が目撃した。彼が立っているのは長い階段の下。そこからは光をまとったフィラーラが、全てを消去させていく姿が良く見えた。男が知っている少年のフィラーラではない。けれど彼には分かる。目の前の少女こそが、行方不明になり、失ったのではないかと恐れていたフィラーラ=シェアリ本人だ。
「フィア?」
 たった一人、親友と認めた相手を失う可能性が消えたのだ。珍しく性急にユシェラはフィラーラの名を呼ぶと、階段を駆け上ろうとした。
 はっと振り向いて、少女は声の主を見る。無視出来るわけがない力を感じて。
「……ユシェラ?」
 懐かしかった。
 離れていたのはそう長い時間ではない。一週間程度の事だったと思う。なのにひどく長い間会っていなかったような気がする。鮮血に濡れた自分に眉をひそめて駆け寄ろうとするユシェラに気付いて、フィラーラは叫んだ。
「来るなっ!」
 他人にならいざ知らず、友人にそう言われて素直に止まる者はいないだろう。ユシェラは怪訝な表情を浮かべたが、それも一瞬の事だ。すぐに階段を上がってこようとする。
 落着かなくてはならなかった。今自分の周りを取り巻いているのは全てを消滅させる光だ。しかも暴走させてしまった為に止める事が出来ない。という事は、自分の側に寄ろうとしているユシェラを消してしまうかもしれないのだ。
 それだけは、防がなくてはと思った。
 フィラーラにとって、ユシェラは本当に大切な存在だった。
 リーアを失い、もう誰もいらないと思っていた。そんな自分の中に何時の間にか入ってきて、重要な位置を占めるようになっていた人。力を利用する事は考えても、自分を見つめてくれた人。
 殺したくはない。そして何より自分が作られた兵器である事をユシェラにだけは知られたくなかった。否定されたくなかった。
 けれどこのままユシェラを消してしまうぐらいならば――否定された方がまだましだ。
「来るなって言ってる! ユシェラ、来ちゃ駄目だ。この光は自然を再生させる時の力とは違う。全てを滅ぼし、消滅させる負の力だ! 僕はユシェラを消したくない!」
 否定されてしまうような事実を身を切るような思いで叫ぶ。けれど言われたユシェラは表情一つ変えず、そして歩みも止めなかった。
「それで? それがなんだ? フィア」
「それでって。なに言っているんだよ、ユシェラ!」
 どうしようもなく焦っていて、うまい言葉がみつからない。叫びながら首を振る。
 必死に光の勢力圏内にユシェラが入らないように後退する。けれどそんな事はお構い無しに、長い黒髪の青年は少女との距離を詰めようとする。
 どうしたら良いのか分からなくて、フィラーラはただ叫ぶだけだ。
「僕は、人間じゃないんだよ。普通の人間に、性別なんてかえれるもんか!! ただ、あの子が、リーアが僕を兄さんってよんだから、だからその望みを叶える為に構造を変えたんだ。普通じゃない、そうだよ、絶対におかしいんだ、僕は!!」
 否定して欲しくないくせに、口から出てくるのは否定を強要する言葉ばかり。けれどユシェラの表情はかわらない。
「けれど、フィアはフィアだ。それに私がその程度のことで、君を化け物とでも罵ると思っているのだとしたら、ひどい侮辱だな。フィアが少年でも少女でも変わりはない。変わるとすればそうだな。君の恋人候補になる事もある、それくらいだ」
「それくらい? それくらいって……」
 あっさりと言われて、フィラーラは絶句する。
 こんな場合でなければ、なにを冗談を言っているんだと、彼を怒鳴っていた所だ。
「関係ない。私に取って、お前が何者であるかなど意味を持たないさ。居てくれればそれでいい。それでは駄目か? これ以上何を言えば分かってくれる?」
「居てくれればって。あのね、いつ力を暴走させるか分からない僕なんて、危険以外の何者でもないって分かってる!? 僕は兵器にすぎなくて、作られた人形とおんなじだ。だから、いつかユシェラを殺してしまうかもしれない、それなのに!!!」
 真剣になって自分の危険性を上げ連ねて、フィラーラは眉を寄せた。
 それでもユシェラは全く動じない。動じないどころか手を伸ばしてこようとする。
 びくっと、フィラーラは体を震わせて逃げた。
 小さく青年が溜息を吐く。
「お前に私が殺せるのか?」
「……なんだって?」
「私が殺せるか? フィア」
 軍を統括する時の厳しい顔になって、蒼い瞳の青年は少女の瞳を捕らえた。
 逆らうことなど許さない。そんな強さと意志を秘めた激しい目。
「僕自身の意志で殺すなんて無理だ。でも、意志なんて無視するところで。僕はきっと、いつかユシェラを殺してしまうかも………えっ!?」
 叫び終えて、フィラーラは絶句して目を見開いた。
 何という事だろう。
 ユシェラが目の前にいた。彼の青い双眸に、唇を寄せられそうな程、近くに。
「な、なに考えているんだよ、ユシェラ!!!」
 光は、まだフィラーラの周囲を包んでいた。
 けれどユシェラは消えていない。それは分かる、だが。
「無茶苦茶だ、こんなの!! だいたい、ユシェラ! って、わっ!」」
 普段は無口なくせに、放っておいたらどこまでも喋り続けかねないフィラーラの口を手で押さえつけて、呆れたようにユシェラは笑った。
「お前に私は殺せない」
「………?」
 眼差しだけで、フィラーファは疑問を露にする。
「証明は今出来ただろう? お前の意志ではない力の発動でも、私は消えなかった。当然フィアは私の行動が無茶だと言いたいのだろうが」
 口元を押えつけられているので、フィラーラはふてくされたように肯く。
「お前が私を殺すなら。その前に、私がお前を殺していた。フィアに私を殺させて、悔やませるような真似はしないさ」
 きっぱりと言いきって、ユシェラは手を放した。そして笑って、ぽんぽんと年下の親友の頭を撫でてやる。
「でも……」
 囁くような小さな声でフィラーラが言った。
「まだなにか、問題でもあるのか?」
 困ったようなユシェラの声。
「僕が兵器であるのは事実なんだ。今はたしかにユシェラがいるから、力に歯止めがかかるのかもしれない。でも、ユシェラがいなくなったら? 僕の寿命なんて、どれくらいなのか分からないんだよ? もしかしたら、一人で。永遠に生き続けなくちゃいけないのかもしれない。そんな事は――」
 唇を噛み締めて、決して漏らさなかった恐れをフィラーラは訴える。ユシェラは静かな顔で、フィラーラを見つめた。
「私が死ぬ時には、お前を殺してやるよ、フィア」
 はっきりと言いきれるのは、強いからだ。
 ユシェラならば、ためらわずにやるだろう。約束したことを違える人間では決してない。
「約束するんだね、ユシェラ。それを。兵器である僕に」
「お前が兵器であっても関係ないと言っているだろう? 兵器であろうがなんだろうが。お前を生み出してくれたのなら、それにだって感謝してみせるさ、私は」
「……ユシェラ?」
「お前が居なければ、私が普通にしていられる場所はなかったのだから」
 余人の前では決して見せない子供っぽい笑顔で、ユシェラはフィラーラの髪をくしゃくしゃにする。
「例えそれが悪魔に魂を売った者達にであっても、関係などない」
 続けて、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


 そして少し離れたところで女がぼやいた。
「虚しいものがあるわね。結局、あたしたちって道化じゃない」
 笑いながらザナデュスはテュエの背を叩く。
「まあ、相手にとって自分は大切な人間だと断言できるような強さとつながりがなくては出来ないことだからな。普通、全てを消滅させる光の中に自分から入っていく事なんて、そうそう出来る事じゃない」
「まあ、そうなんだけどねえ」
 ふうっと溜息をはいたテュエの顔には嬉しさがあった。そしてこれ以上自分達が係わる事ではないとそこを後にしてしまったので、フィラーラがザナデュス等が居た方に振り向いた時には、もう誰も居なかった。
「本当に、風みたいな人たち」
 呟いて、少女は久しぶりに笑った。
 ほとんど消えかかった研究室の端の部屋から、かすかな笑い声が聞こえてくることにも気付かないで。

目次