第十一話:様々な真相
目次

 こぽこぽと小さな音が響いていた。
 水の中に空気の泡が出来る時の音に似ている。
 ――ここは?
 薄く、怠惰な眠りを貪っていた意識が僅かに浮上する。
 何故か、不思議なほどの懐かしさが意識を包んでいた。暖かい。だが、その中に恐ろしいほどのおぞましさが潜んでいる。
 ――なにがあるのかは、分からない。
 何故?と思って、ふと気付いた。
 無意識に目蓋を硬く閉ざしていた。その為に、何が側にあるのかが分からないのだ。
 恐らく、覚醒しようと思えば、出来るのだろう。
 理解はしたが、目をあけたいとは思えなかった。開けては行けない、と思う気持ちが確かに心にある。
 危険だ、と思うのだ。無論その気持ちに、核たる根拠などはない。けれど自分は観察されていると思う。おぞましい気持ちになるのは、恐らくそのせいだ。
 ――え?
 ふと、閉ざそうとする意識の中に、声が響いた。
 ひどく悲しい声だ。失う必要のない者を、失ってしまった者の悲痛な叫び。助けることの出来なかった怒りと、救えなかったことを悔いる心にそれは満ちている。
 違う、と叫びたくなった。
 それで初めて気付いた。誰が苦しんでいるのかが。
「ユシェラ!」
 衝動のままに叫ぼうと口を開いて、どっと流れ込んできた液体に驚愕する。気道に滑りこんできた液体に横隔膜が震えて、また何かが入りこんでくる。
 水。違う、水の成分とは異なるものだ。
 ――成分?
 自分が考えたことに驚く。身体に触れてくる液体を調べたわけでもないのに、何故水ではないと断定したのかが分からない。
 思案しようとして、振動を感じた。どうやら何かが動いているらしい。緊張に身体がこわばって、液体が離れていくのを感じた。
 液体が離れて、初めて気付いた。腕に、首元に、足首に、大体部に。何か透明な管のようなものが付けられている。生理的な嫌悪を覚えて、身をよじった。それを見計らったかのように、管が離れる。
 閉ざしていた目蓋を開けて、初めて自分が置かれていた状況を知った。
 部屋の中央に寝台。左右に透明な壁があり、天井部分が開いて両端に収容されている。
 どうやら培養液に満たされたカプセルに、自分は寝かせられていたらしい。ご丁寧に、体内に必要な栄養と酸素を補給する医療器具を取り付けられた状態で。置きあがろうとして――また激しい敵意を感じる。
 怖かった。目に見える位置には誰も居ないが、それは絶対に嘘だ。自分を見ている何かがいる。冷たい、実験体を見る冷徹な目を向けてくる誰かがいる。
 逃げ場を求めて部屋の中を見渡し、大きな布が掛けられた自分よりも背丈のある物を見つけた。殺風景でなにもない室内で、それだけがひどく浮いている。
 気になった。それがひどく。惹かれるままに手を伸ばし、布を払う。
「……っ!」
 あまりの光景に、膝が力を失う。
「なんだよ、これ――」
 唇を震わせて、現実を否定する為に目前を睨んだ。
 そこには少女がいた。
 神と、悪魔と。両極端の存在に、それぞれに愛される為に作られた綺麗な人形。精巧すぎて、嫌味を感じるほどだ。
 頭痛が響く。逃げるように後退すると、鏡の中の少女も怯えた顔で後退した。
 同じ仕草、同じ表情。
 認めたくない認識が、否応なく襲ってくる。
 ――これは鏡だ。
「嘘だ!!!」
 叫んだ声は高い。知らない鏡の中の少女の声。
 くつくつと、喉を鳴らして笑う声が背後から響く。部屋の一部が隠し扉になっていたらしく、そこから男が姿を現したのだ。
「おもしろいね、君は。なにをしても覚醒を拒否していたのに。突然目覚めて。興味深いね。君は主人を見つけていたのか。そうか、その主人が呼んだから、君は目を覚ました。そういう事か」
 やけに事務的に男は喋っている。声はひどく低く、抑揚がない。まるで台本を棒読みしているような、感情の消えた声だ。けれど少女には分かる。声に潜んでいる狂気が。男が隠している暗い情熱が。――憎しみの炎が。
 振り向くことさえ出来ないのは、はっきり恐怖を感じているからだった。身体がすくんで逃げることさえ出来ない。肩を男に掴まれて、全身が総毛立つ。
「何を怯える? 何が恐い? 君が生まれた場所に良く似たここにいる君は、まるで母の胎内にいるのと同じじゃないか。一番安心できるはずの胎内。なのに、なにを怯えているんだ? なあ、フィラーラ?」
 男が囁くと、薄暗かった部屋の中が一斉に明るくなった。眩しさに震えた少女――フィラーラの首筋に男の手が伸びて、明かりの元に晒された鏡から目をそらせないように力を加えてくる。
「思い出したかい? フィラーラ。本当の自分の姿を。作られた退廃的な美しさを」
 陶酔するように男は囁いてくる。
 聞きたくない。分かりたくもない。――心からそう思うけれど。 
 否定を許さない現実がそこにあって、現実逃避すら許してくれない。
「違う! そんな事が、あるわけないじゃないか!!」
 否定して叫ぶ言葉がどこか寒い。
 鏡に映っているのは、自分と、冷たい目をした男と、無機的な部屋だけ。
 だから理解してしまう。この女は、自分以外の何者でも有り得ないのだと。
「嘘だっ。こんなこと人に出来るわけないだろう! なのに、どうしてっ」
 否定したい。夢だと思いたい。だから叫ぶ。
「やっと思い出したのかい? なら覚えているだろう? 私の名を。早坂真夜(はやさか しんや)という名を」
 愛の言葉を捧げるかのように、真夜は少女の耳元で囁いて、くすりと笑った。
 フィラーラは唇を噛み締めていた。身体を震わせたまま、呆然と鏡の中の自分自身を睨み続けた。



 殺風景な部屋だった。机と椅子以外何もない。それも折畳みの机と椅子だ。それに腰掛けている人間が二人いる。
 一人は純金そのものの色の豪奢な髪の娘、もう一人は白に近い銀髪の少年。金色の娘エリクル=カーラルディアは前を睨みすえていた。隣に座る銀色の少年デアリード=ガーズは先程から怒ったような顔で、こつこつとリズムをつけて床を蹴っている。
 ヴェストで赤の陸戦部隊サラザード=アル=ゼゼンに保護という名目で監視下におかれたのは、四時間前のことだ。簡易的に作られた部屋にいれられて、待っていろといわれてからは、どれだけ時が経過したのかわかる術が無い。
 ただ、外が白み始めているので、夜が明けてきたのだという事は分かる。
 こつこつ、こつこつ、まるでその音が時の流れを知らせているかのようだった。
「フィラーラ、大丈夫かしらね」
 エリクルが呟くと、デアリードは顔を上げた。流れていたリズムが消える。
「俺達は、フィラーラを探さなくちゃなんないのに、どうしてこんな事で足止めをくってんだ。情けねぇ」
 舌打ちをすると、デアリードはやるせなさを表現するように、パンッと手を胸の前で強く打ちあわせた。
 彼は悔やんでいた。フィラーラをあの男にあっさりと渡してしまった事を。
 今思えば、フィラーラは怯えていたような気がする。なのに、自分はあの男の底知れぬ迫力に負けて、無抵抗のまま彼を渡してしまった。
「さっき、ドアのところまで来た男が言っていたわ。やっぱり、あいつが言っていた場所に家なんてなかったそうよ」
 ぼそりとエリクルが言う。その声の中にも怒りと悔しさが滲み出ているように感じられるのは、多分錯覚ではないのだろう。
 ふとデアリードは苦笑した。この状況の皮肉さに。
 こうして、アレナを殺し街を壊滅に追い込んだ張本人である娘と親しげにしているなど、とんでもない事だったはずだ。だが殺意はもうない。不思議な魅力を持っている娘。それがデアリードがエリクルに抱いた感想だった。いつのまにか魅了され、こいつの為なら一肌脱いでもいいと思わせる何かを持っていると。
 だからこそ直情的な彼が、仇であるエリクルを受け入れる事が出来たのだ。やっぱりアレナの人を見る目は確かだったねと、心の中で囁く。
 突然部屋の外から声がした。
 誰かがドアの外で話し合っているらしい。重厚な声はデアリードも知っていた。確かサラザードとかいう名前の赤の陸戦部隊の責任者だ。だが、もう一人の声は知らない。エリクルに知ってるかと聞こうとして、驚いた。今まで表情を崩さないでいた娘が、眉根を寄せ、落着かなげな顔をしていたからだ。
「エリクル?」
「まさか、そんな……この声?」
 デアリードの声など聞こえぬげに、かた、と音を立ててエリクルは立ちあがった。
 見開かれた瞳の目の前でドアがゆっくりと開いている。
 焦茶の瞳、同じ色の髪。
 子供っぽさを感じさせる少し大きめの瞳が、さらさらの前髪の下で笑っている。
「エリクル!」
 男は明るい声で彼女の名を呼ぶと、手を広げた。
 エリクルの顔が目にみえて赤く染まる。
 失ったと思っていた人だった。二度と見る事が出来ないと思っていた微笑みだった。差し伸べられた懐かしいその手のぬくもりだって、もう夢でしか感じれないのだと。
「……惺っ!」
 周りに人がいる事も、敵地である事も忘れて叫ぶと、エリクルは惺に駆け寄った。腰を落として彼女を受け止めてから、宙に持ち上げくるりと回し、抱きしめる。
「エリクル、よく無事で。失ってしまったかと思った」
 惺は金色の長いエリクルの前髪をかき分けながら、そっと瞳を覗き込む。
「嫌ね! それはこっちの台詞よ! 貴方が死んだって聞いてどんなに私が苦しかったか分かる? 心が壊れてしまうほど死にたいくらい寂しかったのよ! 馬鹿っ」
 手を惺の頬に添えて、エリクルは涙声になりながら訴える。惺は優しく微笑む。
「それは困るよ」
「なぜ?」
「エリクルが死んだら、俺は誰を愛せばいいのか分からなくなってしまう」
「……惺…」
 エリクルは初めて考えていた。
 惺はこんなに背が高かったんだろうか、とか。自分をすっぽりと包んでしまう暖かな胸をしていただろうか、とか。こんなにも、大人だっただろうか? など。
 涙があふれて止まらない。
 愛していると、はっきりと実感する。
 己を構成する小さな細胞の一つまで自分は彼を愛している。それが分かる。けれど。
「惺、でも、再会を喜んでいるだけではいけないのね? 分かるわ。あなたはサラザードと共にこの部屋に来た。連行されてきたというわけではなく、ね」
 惺の胸に指先を添えたまま身体を離して、エリクルは胡桃色の瞳に挑戦的な輝きを灯してそっと囁く。
 見てられないと顔を背けていたデアリードが、雰囲気の変化に気付いて振り向いた。サラザードが部屋の中に入ってくる。
「さあ、どんな交渉が始まるのかしら?」
 紺碧の炎の女神と賞される娘にふさわしい艶やかな笑みを浮かべ、娘は腕を組んだ。



 ヴェストの街を一望できる禿山の上で、隣に立つ女の顔を見やりながら、僅かな苦笑を唇に浮かべている男がいた。
 ほれぼれするような鍛えぬかれた筋肉を持つ男の名はザナデュス=オルク。左だけ赤い目をした女は、テュエ=トゥースだ。
 フィラーラ=シェアリがヴェストの街に突如現れた事も、ヴェストの街が業火に焼かれ行く姿も、彼らはここから全て見ていた。
「膨大なエネルギー反応を必要とする物質移送装置なんて代物が、まだ残っていたとは思わなかったな。利用したのは雷か?」
 フィラーラが突然青い光と共に現われた不思議な事実のからくりを解き明かして、ふんっと顎を男はしゃくる。
 男の言葉を聞いて、知っている知識はないかと軽く目を細めたのはテュエだ。
「物質移送装置って、確か二十年以上前に、連合政府下の研究所が発明したっていう奴でしょう? でも結局は実用化まではいかなかったていう」
 いつの間に実用化してたんだろう、そんな疑問を潜ませて彼女は言った。
「ああ。結局は生物を移動させる事はできなかったのさ。物質を構成する分子を一瞬の内に記憶し、分解し、他の場所で再合成する。そこまではできた。が、ようするに物は再合成できても、命まではな」
「でも、実験はしたんでしょう?」
「ああ。そして送られてはきたさ。その意味では成功だったろうが」
 唇を歪めてザナデュスが言葉を止める。女が続きを待つように首を傾げた。
「死体だったけどな」
 短く刈り込んだ頭を振って、ザナデュスは苦く笑う。
「事実目の前でそれを使って、街から離れていた場所にいたはずのフィラーラを呼び寄せた奴がいるんだ。誰かがそれを完成させたという事に間違いはない。実際連合政府下で研究を続けていた奴等は、世界が瀕死に陥った後もせっせと兵器の開発に勤しんでいたらしいからな」
「そりゃあ、そんな事が出来るようになったら凄い兵器になるわよね。どんなに防備を固めたって、簡単にそれを抜けて完全武装の一個師団を送り付ける事ができるんだからさ」
 くすくすと笑って、テュエは挑発するように両手を広げた。
「で、どうするつもりなの?」
「何がだ?」
「助け出しに行きたいんでしょ? あのとんでもなく綺麗な子を。ザナデュス、気に入ってるもんねぇ、あの子の事」
「まあな。俺は自分が気に入った奴を、誰かにくれてやる程心の広い人間じゃない」
「どこに連れて行かれたか、分かるの? 残念だけど、相手の顔なんて見えなかったよ」
 テュエの疑問に、ザナデュスは彼女のこめかみを軽く指で弾いた。頭を使えよ、と続けて一流の暗殺者である男は言う。
「言ったろ? やっこさんは物質移送装置なんて言う、とんでもない代物を持ってるんだ。しかもそれを、俺は紺碧の炎でも、朱金の翼でも、ましてや落ちぶれた連合政府の奴等のところでも見た事はない。使用された記録もない。ということはだ」
 顎をしゃくりあげて、ザナデュスは笑った。
「そんな代物を完成させ、持ち出し、使う事ができるっていったら研究者本人だろうが? そこまでの軍事レベルでの研究ができる場所なんてそう残されてない。殆ど朱金の翼に潰されてる。ただ一つを残してな」
「一つ?」
 朱金の翼が手を出せないでいる場所など、どこにあるというのだろうか? テュエの困惑を見ぬいて、ザナデュスは飄々としたまま、はるか南西を指差す。
「簡単さ。シャラシャーン。あそこだ」
 男は轟然と告げると腕を組んだ。
 テュエはただ呆然と目を見開く。
 紺碧の炎の最終拠点に、連合政府配下の研究所が有る。その事実に。



 ユシェラが制圧したシャラシャーン要塞で見付けたのは、不気味なまでに静かなメインコンピュータ・ルームだった。
 薄暗い部屋だ。天井がひどく高い。そして壁の全てにコンピューターの端末やら画面やら、さまざまな物が埋め込まれている。
 丸い円形の部屋の中央に透明な筒上の物が聳え立っていて、中にコンピュータ・ルームにエネルギーを送り出しているエネルギー生成装置が入れられていた。
 ユシェラは巨大な生成装置の前においてある端末に手を置くと、慣れた手つきで、キーワードを打ち込んでいく。
 彼の背後にある壁に映像が映し出された。
 それはいつの光景だろうか?
 映像は昔のものだ。けれど古すぎるわけでもない。映っているのは、一年前にうち滅ぼした連合政府の最高権利者、エーリヒ=オッペルや、紺碧の炎を創立したロステム=マルディノ。エリクルの父ハイリッヒ=カーラルディアなどの権力者達。それと、一人の日本人の姿が見える。
「これは、このシャラシャーン要塞の中で撮られたものか。やはり、ロステム=マルディノは連合政府の関係者か。前々から噂はあったが。やはり真実だったか」
 ユシェラは降ろしたままの黒髪を鬱陶しそうにしながら、呟く。
 映像の中で、人々は何かを決議していた。
「朱金の翼。あの小生意気なリドリ=レヴァンスの子供が起こしたという反乱は、思ったよりも規模が大きいらしいな」
 見事な口髭をもつエーリヒが言うと、恐縮してロステムが頭を下げた。
「何しろ我々が保持していた兵力の約八割方が、ユシェラにつきましたからな。予想外の事でした」
 汗を吹き吹き、弁解している。エーリヒは面倒くさそうに鼻を鳴らし、今度はハイリッヒを見やった。
「何か良い案はないのか? このままでは我々の身が危なくなる。世界が死に瀕していたとしても、我々までが虫けらのような人間たちと同じ目にあう必要はないからな」
 問われて、瀟洒な外見のハイリッヒは、少し考え込むような顔になった。
「ではこういう案はいかがでしょう? 朱金の翼が我々の罪を弾劾し、世界を正す事を掲げるのであれば、こちらも理想を掲げさせた組織を作るというのは。ようするに民衆をうまく利用し、共倒れさせるのですよ。我々は作った組織に兵器や食料などの物資を与え、連合政府に恨みを持たせないようにコントロールする。そうですね、ロステム将軍あたりがその組織の主導者に適任ではありませんか? 本来ならば、連合政府軍を統治するはずであったロステム将軍がね」
 長々と言うと、ハイリッヒがロステムを見る。
 ロステム=マルディノは長年連合政府軍に仕え、実績もありながら、リドリやユシェラが居た為に権力の座につく事が出来ないでいた老将軍だ。エーリヒがどうだとばかりに顎をしゃくる。
「分かりました。確かにその任承ります。民衆共の感情をコントロールし、朱金の翼に対抗させる組織を作り上げて見せます。そうですな、朱金の翼に対抗するのですから」
 ロステムが短く拝命承諾をつげると、場にいる者達の視線が一斉に集まった。
「紺碧の炎。この名は?」
 将軍が提示し、まわりの人間たちが同意を示してさらに重要な何かを言おうと口をエーリヒが開いた、その時。
 ザー。と、音。
 次に響いたのは、微かな舌打ち。
「これは一体なんだ? 単なる記録の為に取っていた映像ではないはずだ。何か重大な事が決議された。その内容を知らしめる為に取った置いた映像のはず」
 ユシェラはさらにコンピュータ・ルームの中を歩いて、さまざまな計器に触れ、何人かのコンピュータ技師達を呼び寄せるように指示をした。
「一体。何を決めたんだ。そしてこの違和感と、焦りはなんだ」
 手を握り締めて、ユシェラは唇を噛む。

目次