第十話:捨てる命に希望を見ること
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 階段の先に扉がある。
 それを目指して走っていた。あたりは真っ暗で、明かり一つない。あるとすれば、扉の下からちろちろと魅惑的に揺れている、僅かな光だけだ。
 扉をあければ、光が満ちる。
 確信していたから、縮まらないその冷酷な距離を克服するために、進みつづける。
 ――どうして?
 家族の待つ家に続く、一番優しい扉に、何故か届くことが出来ない。
「父さん、母さん、梨花!!」
 助けを求め叫ぶ。扉の中にいる者達の名こそが、全てを救ってくれる術だと信じていた。
 走る、遠ざかる、すこし近づく。そしてまた遠くなる、気が狂うような繰り返し。
 身体が徐々に冷たくなって、諦めかけて、やっと扉に指が触れた。
 触れれば触れたで怖くなる。それが指の隙間からこぼれていきそうで。恐怖を覚えながらもノブを握り締め、そして開けた。
「う…うあぁぁぁ!」
 広がっていたモノ。
 それは骸の山。



 朱金の翼は苦戦していた。
 シャラシャーン要塞の要塞砲に、幾度となく攻撃を阻まれ、かなりの損害が出ている。二年以上前のシャラシャーン攻防戦時よりも防衛があがっていることは、覚悟していることでは合ったが。
 膨大な被害を恐れ、前回の要塞戦では朱金の翼は撤退した。
 だが今回の戦いで撤退するつもりはユシェラにはない。被害は覚悟の上で、シャラシャーンを落とすつもりでいる。
 何度目かの攻撃が繰り広げられた後、戦場は静かなる夜を迎える為の夕焼けの中に埋没しようとしていた。
 青年が臨時の滑走路の上を歩く。
 汗が目に入るのを防ぐ為なのだろう、蒼い色の鉢巻を額にしている。短く刈った薄い金髪を、癖なのか右手でぐしゃぐしゃにかき混ぜていた。覗くブルーグレーの双眸は猛禽のように鋭く、彼の激しい気性を如実に現している。
 青年が進む先には銀色に鈍く輝く戦闘機――彼の愛機疾風(ときかぜ)の姿がある。
 どうみても日本にゆかりのなさそうな青年の戦闘機の名は、彼がつけたものではない。作った日本人技師が名づけたものだ。
 名前を変えないのは、彼が名前に一々頓着しない性格だからとか、彼の専用機としての疾風を作ってくれた技師に敬意を表しているのだとか言われている。青年が黙っているので真実はわからなかった。
「風がいいな、今日は」
 ぼそりと呟いて、彼は夕焼けが始まった天を仰ぐ。
「師団長! レヴィア師団長!」
 元気の良い声が響いて、呼ばれた青年――青の空戦部隊師団長レヴィア・カッシュは面倒そうにタラップに右足をかけたまま振り向いた。
「一体どこに行くんですかー? 今日夜襲かけろっていう命令、聞いてませんよー? 抜け駆けするの、なしですよ! 命令違反は、銃殺刑ですからね!」
 レヴィアが振り向いた視界の先で、息を激しく切っている癖に叫びながら走ってくる少年がいる。呆れたように青年は首を振った。
「ふん。俺に対してそんな口をきく上に、ふざけた言葉使いだ。殺されるとは思わないのか? スツーカ=フェルナンディ?」
 強く睨み付けてレヴィアは言ったが、凄まれた少年はけらけらと笑い出す。
「師団長は、背を向けた敵は撃てないような人ですよー。むかついただけで、味方を殺せる人じゃないって事くらい、もうばればれなんですから、悪ぶっても無駄ですからねぇ」
「……悪ぶってる、ねえ」
 付き合いきれなくて溜め息をついた。
「それで? レヴァンス将軍に俺の様子でも見てこいっていわれたのか? 今日あたり、無断で何かしでかしそうだからって?」
「あれぇ、良く分かりますねえ。あ! レヴィア師団長って、ご自分の目茶苦茶な所、しっかり分かってるんですね。格好いい!」
 ぱちぱちと手を叩いて、にこーとスツーカは笑う。
 レヴィアは緊張感にかける自分の副官の言動に毎日の事ながら呆れていたが、怒ってはいなかった。スツーカを殴るかわりに悪戯っぽい仕草で手を上げて見せる。
「なんとかして、早くシャラシャーンを落とさなくてはな。敵の要塞砲の死角を必ず見つけ出してやる。こんなふうに持久戦に持ち込み、敵が疲れるのをまつだなんて俺には向いてないんだよ」
 軽く言いいながら、レヴィアは慣れた動きで、ひらりとコックピットに乗り込む。
 スツーカは慌てて手をぶんぶんと振ると、疾風から二百メートルばかり離れたところに置いてある爆撃機へと走りだした。
「こらっ! 爆撃機で付いてこようだなんて思うんじゃない!」
 慌ててレヴィアが叫ぶと、スツーカはくるりと振りかえり手を振った。
「じゃあ、後ろに乗せて下さいよー! 師団長の役に立ちたいんですからねー! 駄目ってんなら、あれで付いていきますよー!」
「いい加減にしろ! お前なんか乗せたら重量が重くなって疾風が嫌がるじゃないか! 第一、ろくな腕も持ってないくせに、いっぱしの戦闘機乗りのような台詞を吐くんじゃない!」
「そんなのー、師団長が教えてくれないからいけないんですぅーー! あ、もう、待ってくださいってばー!」
 軽快なエンジン音と共に、ろくに滑走せず急激に飛び立った戦闘機の余波に転がりながらスツーカは叫び、悔しげに何度も地面を叩いた。
「言いつけちゃいますからねー! レヴァンス将軍に、レヴィア師団長は、また、勝手に出撃しましたって! もう、馬鹿ー!」
 幾ら叫んでも空の上のレヴィアに届くわけもなく、スツーカはただ悔しがる。
「今日の師団長、なんか思いつめてるみたいでやだったから、付いていきたかったのに。ひどいや」
 ぼそっと呟き、少年は踵を返す。
 無論、ユシェラに言いつける為だった。
 高く天に飛び立っていったレヴィアは、暮れかけた空とくぐもった大気という条件の悪さを苦にすることもなく、正確にシャラシャーンの要塞の上空近くまで来ていた。簡単にやってみせているが、すでに敵の射程内に入っている。激しく火を吹く要塞砲を難なく躱しながらの偵察など、空戦に関して天才の名をほしいままにするレヴィアにしか出来ない芸当だった。
「青の空戦部隊の腕前が、全員俺くらいだったら苦労はないんだよな。まあ、これは愚痴だな。戦争の鉄則は、一番弱い兵士にレベルを合わせて作戦を立てる。だからこそ、死角を見つけなくちゃなんないんだが」
 流石に死角がねぇなと苦々しく呟いて、彼はふと眉を上げた。
 違和感を感じた。レーダーや暗視装置が伝えてくるデータからではなく、彼の鋭い双眸がソレを感じ取ったのだ。単純だが無視できぬことだ。
 シャラシャーン要塞を防衛する人間の数が少なすぎる。
 たしかにシステムやネットワークの力をかりて自動防衛を行うことが可能だ。だがここまで人数が少なくては、効率よく運営など出来ないはず。
「エリクル=カーラルディアの方により兵力を割いていたが為に、人員が少ないのかな。にしてもめちゃくちゃだ。よくこんな人数で要塞を守ることが出来ているよ」
 ちらりと、一つの案が頭を掠めた。
 要塞を守る少ない人員に打撃を与えることが出来れば、要塞の防御システムなどガラクタと化すだろうと思ったのだ。
「とはいってもな。どうやって打撃を与えるか、だ」
 赤の陸戦部隊を欠く地上部隊は、現在要塞に近づくことさえ出来ないでいる。青の空戦部隊も、要塞の滞空射撃によって進路をはばまれ、空爆の効果はあがっていない。
 近寄れないのならば、攻撃は不可能なのだ。―――不可能?
「俺がいるのは、どこだよ?」
 呻くようにレヴィアが唐突に呟く。
 ここにいた。シャラシャーン要塞に近付き、空襲をかける事の出来る人間はここに居る。
「だが、幾らなんでも帰還は……」
 無意識に作戦を考えようとしてしまって、レヴィアは慌てて首を振った。
 していいわけがない。帰還の見込みの少ない事など。「ばかばかしい」と苦く自分自身を嘲笑ってみたが、否定の言葉がやけに空虚だ。
 レヴィアには、最も敬愛し、認めて欲しいと願う人物がいる。
 けれどそれが叶わない現実に焦る自分が居た。世の中が平和になれば、戦争でしか役に立たない自分は忘れられていくだけだと思えば、怖くなる。
 けれど、今考えたことを成せば―――不安から永遠に開放されるのだ。
 自分が忘れ去られることもなくなる。この行為は、あの人物の。ユシェラの心に、自分の消えない功績と怒りと追憶を刻み付けるだから。
 ひどく魅力的で――甘美すぎる誘惑。
「……レヴァンス将軍」
 たった一つの望みと希望が叶わないのならば、いっそ。
「なぁ、疾風」
 兄弟にでも問い掛けるように、レヴィアが己の愛機に向かって囁く。
「俺を軽蔑するか? こんな手を取ろうとしている俺を。だけど一石二鳥なんだ。これをやれば、簡単に要塞は落ちる。俺はレヴァンス将軍に認めて、覚えていてもらえるようになる」
 疾風は返事をしない。ただ、エンジンを強く唸らせただけだ。レヴィアは唇を歪めて笑い、機体に加速をかけて大空を急旋回する。
「お前がいれば、俺に恐いものなんてないさ!」
 叫びが、狭いコックピット内に響く。
 そして彼は帰還していった。



「レヴィアが、また勝手に出撃をした?」
 少しだけ呆れた声で言いつけに来たスツーカの報告を受けて、ユシェラは苦笑していた。驚いた様子がないのは、レヴィアの単独行動など今に始まったわけではないからだ。
 血気盛んなレヴィアの子供じみた気性を気に入っているが、命の危険に晒される状況が起きたらどうするのか。能力を信用しているので、レヴィアの無断行動によって軍自体が危険に陥るのでは、と心配することはない。
 ユシェラはは昼夜交代で攻撃を行う部隊に指示を下し、そのまま司令室を出た。
 暮れ行く空にふと光を感じた。誘われるように振り向く。はかない光だった。まるで自分を必死に呼んでいるような切ない光。
「……フィア?」
 名が自然と唇を付いて出た。口に出してしまったことで、帰ってこない声に喪失感を覚え、一瞬蒼い瞳を曇らせる。
 だが感慨を打ち破る、天を切り裂く音がした。疾風のエンジンの音だ。
「レヴィアか」
 不安を振り払う為に首を振り、ユシェラは顔をあげた。蒼い瞳には、もう曇りはない。
 天使が舞い降りるような優雅さで疾風は着陸し、すぐにキャノピーが開く。
「れ、レヴァンス将軍」
 いつものようにヘルメット外し小脇に抱え、降りようとした所でレヴィアはユシェラに初めて気付いた。ばつが悪くて、思わず頭をかきながら、本当に言いつけやがったなスツーカの奴、と心で罵声を飛ばす。
 それでも礼儀正しく膝を付こうとすると、ユシェラの声にやんわりと止められた。
「叱りにきたわけではない、レヴィア。一つ確認したい事があるだけだ」
「何か? 将軍」
 ヘルメットを小脇に抱え直して尋ねる。
「今までの戦闘で、不思議に思った事はなかったか?シャラシャーン要塞の上空で気付いたことは」
「なにか気にかかることでも?」
「一つだけな」
 ユシェラが目を眇めた。風が吹いて、彼の漆黒の長い髪を緩やかに靡かせる。
「あの要塞からは人の匂いがしない。防衛の作戦の取り方もそうだ。こちらが仕掛ければ応戦する。だが、向こうから仕掛けてくる事はない。おかしいと思わないか? それとも、やはりあそこの要塞は、死んだはずのロステムが、冥界から亡者達を引き連れて、防衛しているとでもいうのか」
 生きているか死んでいるか分からない男の名をちゃかすように言って、ユシェラはシャラシャーン要塞を睨む。戦争は人と人との間に起こるものだ。にもかかわらず人の気配を感じない戦いに、珍しくユシェラは困惑しているようだった。
「確かにシャラシャーン要塞の上空から偵察した所、ひどく人が少ないことには気付きました。そこで、明日一つ試してみたい作戦があるのです」
「なんだ?」
「偵察に行って気付いたのですが、どうもあの要塞の防御システムには死角があるようです。ですから、明日は陸戦部隊で正面から攻撃をしていただき、注意を向けさせたところで、空から奇襲を掛けたいと思います」
「死角が? そんなものがあったというのか。正面から敵を引き付けるというのは構わぬし、その指揮を私がとっても良いが」
 言葉を切って、ユシェラは訝しげな視線をレヴィアに投げる。
「なにか隠していないか? 私は最初から無駄に犠牲が出るように想定された作戦は、いくら確実であっても好みはしない」
 淀んだ世界では希な美しい瞳。全てを見透かす蒼い色。
 一瞬、その瞳の命令してくるままに、考えた作戦を明らかにしようとした自分を叱咤して、レヴィアは居を正した。ここでばれるわけにはいかない。この瞳を今はだましきらなければならないのだ。
「犠牲を計算に入れているわけではありません。安心してくださいよ、将軍」
 晴れやかな表情で言い切ったレヴィアを、まだ疑っている顔で見つめながら、ユシェラは一つ息を吐いた。
「分かった。陽動部隊の指揮は私が取ろう」
 ユシェラの言葉に、レヴィアが楽しそうに笑う。
「嬉しいですね! 将軍と二人で作戦の指揮を取るのは久しぶりですよ。最近は、サラザードと組むのが多かったから」
 胸に溢れてくる思いに言葉が詰まりそうになるのを必死に押さえ、レヴィアは高らかに笑ってみせる。
「じゃあ将軍、前祝いしていいですか?」
「それは後に取っておけ。油断は敗因につながる。まあ、一人でするのはかまわんが」
 最後の台詞は囁きかけるように小声で言って、ユシェラは踵を返した。決まった事は神速をもって行う。その為に去っていく後ろ姿を、レヴィアはずっと眺めていた。
 ユシェラの名をもう一度呟いてから、技師達がいる舎の方に歩いていく。
 簡素な扉を開くとすぐに重油の匂いがする部屋があって、その片隅に疾風の生みの親である老技師が腰掛けていた。レヴィアに気付いたらしく手を上げてくる。
「どうした? 疾風をどこか壊したか? お前さんは腕はいいくせに時々無茶をするからな」
 砕けた口調で老技師は言って、レヴィアの肩を叩いた。
「疾風を壊すわけがない。頼みがあるんだ」
「頼み? お前さんの頼みなら聞かんこともないが」
 言葉を切った老技師が、疑いの眼差しを向けてくるので、レヴィアは拗ねたように腕をくんだ。やけに子供っぽい仕種だ。
「命は大切にすると儂に誓え。こんな時代だからこそ、才能有る若者が死ぬのはいかん」
「死ぬつもりなんてないさ。どうしたんだよ、突然? それに頼みだって簡単なことさ。疾風につけてる爆弾をさ、もっと強力なものにして欲しいんだ。爆風が激しくても、重い奴でもいい。俺が操縦するんだそれくらいどうにかしてみせる」
「疾風に? まあ、お前さんの腕なら、多少の無理はきくだろうが。一体なにを企むつもりなのだか。判っておる。今晩中に仕上げておいて欲しいのじゃろ?」
「ああ。すまない」
 軽く笑って言うと、レヴィアはすたすたと入って来たドアを出て行く。それを見送っていた老技師が、ふーと溜息をはいた。
「ああいう目をして出ていった奴は、二度と戻ってこなかった」
 頭髪の少ない頭をつるりと撫でて、老技師は寂しげに呟く。


 太陽がやっとのことで顔を出し始めた時刻に、地鳴りのような激しい音と、巻き起こる砂煙が砂漠の大地を押し包み始めていた。
 シャラシャーン要塞への総攻撃が開始されたのだ

 先陣を斬る部隊に将帥旗がはためく。朱金の翼の総司令官ユシェラ=レヴァンスが前線に出てきている事を示していた。
 攻撃の激しさを横目で見つつ、レヴィアは配下の者達に指示を下す。
「今日中にシャラシャーン要塞を落とす。指示したとおり、発見した死角を俺が再度確認する。決められた合流地点で合図が出るのを待て。その後総攻撃をかける」
 反論など許さぬ強さで言いきり、レヴィアは部下に背を向けた。口を挟む者など誰もいない――にもかかわらず、ばたばたと走る音が背後からした。
「またお前か、スツーカ」
 辟易して、レヴィアが冷たく言う。
「!ひっどーい。またはひどいですよレヴィア師団長! レヴァンス将軍からの伝言を持ってきたのに」
「将軍から? なんだ?」
「生きて戻ってこいって。それだけ」
 簡単な伝言に数秒呆気に取られて、すぐにレヴィアは笑い出した。
 おかしかった。勝ってこいとユシェラがあえて言わないのは、自分を信頼しているからだろう。勝つのは当然。だからこそ彼は言う。生きて戻れと。
「死んで得た勝利は勝利じゃない。人を率いる者は死を選んではいけない、か。生きて生き抜いて、戦争が終わった後に世界を率いてこそ意義がある」
「それ、レヴァンス将軍の言葉ですか?」
「昔、俺が将軍の為なら死ねますと言った時に、将軍が言われた言葉だ。あれは何年前、だったか……」
 レヴィアは遠い目になった。
 フィラーラが朱金の翼に来る前は、紺碧の炎と朱金の翼の実力は伯仲していた。だから危険を承知に作戦を立てざる終えなかった事は幾度もあった。
 主力が集まる前に攻撃を受け、一か八かの作戦に出たあの日の光景が、脳裏に蘇ってくる。地図に幾つかの印をつけて指示を下すのは、二年以上前のユシェラだ。
「サラザードは敵の右側面を叩け。アフィーカは敵の背後を。レヴィア、お前は私とともにぎりぎりまで敵を引き付ける。兵力を多く割く事は出来ない。なんとかサラザードとアフィーカの奇襲が始まるまで持たせる」
「しかし、危険ではありません? いくらなんでも、将軍御自身が敵の主力を引き付けておく囮の役目をなさらなくても」
 心配げに眉をひそめて言ったのは、紅一点のアフィーカ=カークスだ。それから三ヶ月後の三大師団結成後、翠の海戦部隊を率いる事となる苛烈な女性。現在はユシェラ不在時の本土防衛を一手に担っており、前線には出てきていない。
「いや、餌はなるべく魅力的でなくてはな。罠かもしれないと考えてもなお、食いつきたくなるような」
こつこつと机の端を指ではじきながら、ユシェラがそう断言する。その姿に何を言っても無駄だと感じたのか、アフィーカは一つ溜息を吐いてからすっと姿勢を正し、
「分かりました。必ず生きて再びお目にかかる事を天と地に盟約し、来るべき勝利をレヴァンス将軍にささげましょう!」
 腰の軍刀を抜いて、それを天に掲げる。サラザードは黙ったまま銃を手にして空砲を高く天に向けて撃った。――出陣前の縁起担ぎのようなものだ。
「では、行く。レヴィア?」
 去っていった二人を見送ると、ユシェラはレヴィアに目を向けた。
 普段ならばうるさい程にサラザードやアフィーカに食って掛かっている彼が黙っているのを、すこし不思議に思っていたのだ。
「将軍」
「なにか?」
「将軍のお命は、かならずお守りして見せます! この俺の命に代えても! 必ず!」
 突然叫んだレヴィアに面食らいながら、ユシェラは苦笑を形の良い唇に浮かべる。
「命に代えるのは上策ではない。お前は単なる一兵卒ではない。一軍を率いる将だ。多くの人々の命を預かる立場だろう。お前の行動一つで、従う者達の命をも左右する。それは忘れるな」
 ゆっくり言うと、ユシェラはレヴィアに視線を向ける。
「死に花を咲かせるのは美しい事かもしれない。だがたとえ美しくなくとも、後世蔑まれようとも、生き長らえて成さねばならぬ事がある。それが分かれば死をもって見つけるのではなく、生きて得られるものが見えるようになるさ」
 そう言うと、ユシェラはレヴィアの肩を軽く叩いて笑った。
「俺は、将軍を裏切っているのかな」
 ぼそりと、現実の時の流れ戻ったレヴィアが呟く。と、
「死ぬのはなしです! 師団長!」
 突然スツーカが叫んだ。
 大きな声だったので、レヴィアは目を白黒させて耳を押さえる。
「お前、俺の鼓膜を破る気か! たく。誰も死ぬだなんて言っていない。そうだな」
 シュッと軽快な音を立てて、レヴィアは愛用の鉢巻きを外し、スツーカに放った。
「それはレヴァンス将軍から貰った鉢巻きだ。お前に預けておく。なくすなよ」
 不敵に笑って、彼はコックピットの人となった。スツーカはぎゅっと渡された鉢巻きを握り締めたまま、レヴィアを……疾風の姿が天に吸い込まれていくのを見つめ続けている。――なにも出来ないままに。
「ったく。勘のいい奴ばかりで嫌になる。将軍にまでばれてたりしたら、洒落にならんな」
 辟易したように呟いて、レヴィアはさっと機内をチェックした。同時に敵のレーダーに引っ掛からないように地面すれすれの低空飛行に切り替える。シャラシャーンの要塞が目前に迫った時、一気にレヴィアは疾風を天高く上昇させた。
「将軍、俺は、三大師団の師団長の中じゃあ、やっぱり一番の天の邪鬼ですよ!」
 高く天を駆ける疾風を、レーダーに補足した要塞砲が吹く一斉射撃を華麗によけつつ、レヴィアは一瞬、地上を見た。
 全てを網膜に焼き付けるために。
 人生そのものと言っても過言ではない尊敬する人。願うことならもう一度見たかった。
「疾風! 行くぞ!」
 叫び声を一つ残し、疾風は空に溶ける。
「レヴィア?」
 ユシェラは天を仰いだ。
 喪失感がある。なにかが手のひらからすり抜けて行こうとしている、そんな感覚。
 見上げた天に見つけたモノ。
 それはそこにあってはならぬもの。
 天を駆ける戦闘機。疾風がただ一機、編隊も組まずに真直ぐシャラシャーン要塞に向けて加速して行く姿!
 衝撃に目を見開く。髪を留めていた紐が切れて、漆黒の髪が空に舞った。加速を更にかける戦闘機。その先にあるのは天ではない。金属で覆われた要塞!
「まさか。誰が死を許した! レヴィア! 特攻など必要ない! 要塞など陥落して見せる! レヴィアー!」
 思わず右手を広げて、彼は叫んだ。
 死ぬなと、特攻など無意味だと。
 ユシェラ=レヴァンスが人前で、しかも兵達の目の前で感情を露わにし、叫ぶなどありえないはずだったというのに。
 けれどユシェラは確かに叫んでいる。自殺行為で全てを解決しようとする愚かな部下の為に。理想を叶える為ならば、たとえそれが大切な存在であっても犠牲にする覚悟はあった。実際そうした事もある。けれどそれは、本当に犠牲にしなくては何も解決出来ない時だけだ。
 考えて、可能性を判断して。
 それでも犠牲を出さなくてはならないと判断した時だけ、ユシェラは冷酷になる。 
 決して常に誰かを犠牲にし、何かを成し遂げようと考えているわけではないのだ。
 もう一度叫びかけて、声を飲み込む。………もう、遅い。
 目の前で視界が赤く染まっていく。
 冷酷な現実を見せ付けて。
 漠炎の炎。シャラシャーンを飲み込む紅蓮の赤。手を握り締めて、唇を噛み、泣き叫んでしまいたい衝動を必死に押さえてユシェラは眼差しを上げた。
「全軍要塞に突入! この機会を逃すな!」
 叫びと共に、朱金の翼の兵達は次々と迎撃システムが機能を失い、静かになった要塞の中に突入していく。
 まだ誰も知らなかった。
 誰がこの要塞に戦闘機ごと、しかもかなりの爆薬をつんだまま突っ込んでいったのか。
 そして。老技師は酒瓶を落とした。
 スツーカは鉢巻きを握り締めた。
 ユシェラは心の中で、泣いた。

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