第七話:楽園で出会った少女
目次

 煙が高く天を焦がしていく。
 ヴェストの街の有力者レゼン=フレスタと、反乱を起こした民衆達の間に発生した争いも、さらなる展開を求め激しさをみせていた。
 戦況は最初こそレゼン側が有利であったが、防備の要であった外壁をザナデュス=オルクとテュエ=トゥースによって破壊されてからは、一気に情勢が変化し、反乱軍側が勝利を収めている。
 銀の髪に赤い布を鉢巻きをなびかせ、デアリードは人々の血を大量に吸いこんだ大地の上で、みじめに震えているレゼンを見下ろしていた。鋭利なセラミックの刃で、相手の急所を的確に押さえている。
 部下を見捨て、レゼンは逃げようとしていたところを捕らえられていたのだ。
「何か最後に言いたい事でもあるか? 命乞い以外なら聞いてやってもいいんだぜ?」
 上ずる声を押さえながら、低くデアリードが言う。
 レゼン=フレスタは震えていた。唇をだらしなく開け、よだれを流している。目は恐怖を宿しながらもどこか虚ろで、正気を失っているのは一目瞭然だった。
「自分がやっていた事の報いを受けてるんだ。せめて、最後まで正気を保ったまま、その報いを受けろっていうんだ! ふざけてんなよ!!」
 怒りに打ち奮えながら叫んで、デアリードは狂人には用は無いと剣を一閃する。鈍い音が響き、ごとり、という音が続いて何かが落ちた。
 落ちたソレが、砂上にどす黒い染みを作り行く光景を見定めた後、歓声が沸き起こった。レゼンの太い首を落としたのだ。
 歓声に答える為にレゼンの首を高く掲げる。その行為に再び周囲が沸いた。
 踊り立つ人々の間を抜って、アレナが飛び出してきて、少年に飛びつく。
「勝ったんだね、私たち! デアリード、やっと念願がかなったんだ!」
「そうだよアレナ! もう、あいつはいない。俺達を見下していたあいつはもういないんだ! アレナは仇を取ったんだよ!」
「うん。そうだね。きっとあいつも喜んでるわ。自分も参加できなかった事、きっと悔しがってる。死んじゃったこと悔しがってるわよ」
 不意に言葉をつまらせたアレナが、前の襲撃で死んだ恋人を思っていると分かるので、デアリードは黙ったまま高く天を見すえた。
「アレナと一緒にここにいられないこと、悔しがってるんだろうな。あいつ、どうしてアレナをおいて死んだりしたんだろ」
「気の早い奴だったからね。何でも一番じゃなくちゃ気に入らないの。だからって、一番早くに死ぬ事もないのに。あれ?」
 デアリードと同じように天を見上げ、アレナは目を見開かせた。くぐもった空の中央に、何か青く光るものがあった気がしたのだ。
「え? 消えた?」
「どうしたの、アレナ?」
「今、光が見えたのよ。とっても奇麗な青い光よ。ほら、よく母さんたちがいってたじゃない。空と海は奇麗な青い色をしてたんだって。私もうっすらと覚えてる。そんな感じの青い色だった」
 ぱちくりとオレンジに近い色の目を幾度も瞬きさせて、困ったようにアレナは首をかしげる。デアリードは彼女を見てから、走り出した。
「ちょっとどこ行くのよ! デアリード!」
 驚いて叫んだアレナに向かって、デアリードは手を振った。
「見に行ってくるだけだよ!」
「そんな物騒なものも一緒に持っていく気なの? 置いて行きなさいよ、首なんて!」
「首? ああ、首ね。じゃあアレナ首はグレスに渡しといてよ! 一応、グレスが俺達のリーダーなんだしさ。これから後の厄介事なんて、俺には処理できないからさ!」
 剣の先に突き刺していたレゼンの首をポイと放って、デアリードは彼女にくるりと背を向ける。はあ、と少年の行動に溜息をついたのはアレナだ。
「普通、女の子に人の生首放ってみせるものかしらね」
 飽きれたように言いながら、足元に転がった首をこつこつと蹴飛ばす。しばらくデアリードが去って行った方向と、首とを交互に見ていたが、決心したように走り出した。やはり心配だった。グレスに後はよろしくと叫んでおいた。
 ただ、途中分かれ道になっているところで、アレナは間違えてデアリードが向かった場所とは違うところに行ってしまっていたけれど。
 デアリードはというと、短く刈った銀の髪を揺らせて、青い光へと走っている。
「なんだ、あれ?」
 青い光に包まれて、それは宙に浮いていた。
 小さな球の形。
 光の玉の周りは、デアリードが見たことのない大きなものが、大地から聳え立っていた。直感的に"樹"ではないかと思う。
 昔、母が生きていたころに、絵で書いて見せてくれたことがある。綺麗で、優しくて、大地と空気を潤していた樹という存在。
 生い茂る枝葉を押しのけながら、デアリードは慎重に歩みを進めた。意外に広い空間を形成する木立の中に、とんでもない物を見つけて頓狂な声をあげる。
「水がある!?」
 優しく広がる緑の色彩の中、ひそやかに眠っている碧い泉。
 それはあまりに現実離れした美しい光景で、デアリードは何度も確かめるように頬をつねって痛みを感じながらも、恐る恐る泉を覗きこんでみた。
 消えたりはしない現実の泉は、小さかったがひどく深いようだった。
 泉の周りに、見たことも無い花は草立ちが、美しさを誇って茂っている。
「凄いな。水って、色があったんだ」
 日々を生きるために、必死になって手に入れていた僅かな水では気付かなかった色。
 幾重にも折り重なった水が作り出す色に、デアリードは見とれている。
「水は昔湖とか、海とかみたいに普通に大地の上にあったっていうけど、これがそうなのか? 水溜りは見た事はあったけど、こんな色じゃなかった。もっと黒くって、濁ってて、喉が渇いたやつが耐え切れずに飲んだら、あいつは血を吐いて死んだんだ。でもこれは、もしかして」
 恐る恐る手を伸ばして、水に触れてみた。ひやりとした感触が指先から体に染み込んでくる。ぬめりともしていなかったし、刺激も無い。ただ穏やかで優しかった。
 デアリードは一つ肯いて両手をお椀の形にして水をすくい、口に含んでみる。
 疲れが、すべて癒されていくようだった。
 甘い、とデアリードは思った。精製されただけの水にはない甘さが、身体を形成する細胞の一つ一つにしみこんで行くような気さえする。
「そうだ! みんなにも此処の事を教えてやらなくちゃな!!」
 慌てて走りだそうとして、はたとデアリードは止まった。
「あれ? でもなんで突然こんなのが? 今までここにこんなのはなかった。それに俺はなにをしに……。あ、そうだ、光を追ってきて!」
 驚きすぎて本来の目的を失念してしまった事を思い出して、デアリードは慌てて空を見上げる。
 確かめにきたのは、青い光のこと。
 高く聳え立つ樹と並ぶように、それは空中で青くきらきらと輝いている。
 そこに何があるのかが全く分からない。けれど何かが浮いているような気もした。
「困ったな、あんな高いところ、どうやって確かめればいいんだ? うーん」
 ぼやきながら腕を組んで大木に寄りかかる。観察する為に周囲を見渡して、大木の幹から沢山でている枝を見る。そして、ぽんっと手を叩いた。
「あれであそこまで行けるな。そうだよなこれだったら取っかりもいっぱいあるし、レゼンの所の壁に登るよりも簡単か。よしっ」
 朱金の翼から物資援助だといって、ザナデュスから渡されたブーツを脱いで木に取り付いた。初めての木登りにもかかわらず、抜群の運動神経を発揮して危なげもなく登っていく。ともなく、デアリードは宙に浮く青い球のすぐ側まで来ていた。
「と、これで見える、かな。……えっ?」
 細くなってきた枝に負担をかけないようにしながら、少年が覗き込んだ青い球の中に。
 一つの幻想がそこにあった。
「お、女の子?」
 青い、の中で。夢の中の光景のように。
 眼差しを閉ざして、少女が眠っている。
 まさか人がいるとは思っていなかったデアリードは驚いて大声を出していた。
 ――と。
 ふっと少女は目を開けた。
 漂う髪と同じ色の碧い瞳が開かれて、デアリードを見る。すると突如彼女の小さな身体を包んでいた光がはじけて、浮いていた少女の身体がゆれた。
 危ない!、と思った時には、デアリードは反射的に手を伸ばしていた。
 少女の手をつかみ、もう片方の手で木の枝ではなく幹をつかむ。細い枝では、自分達を支えきれないと思った。
「と、どうやっておりようかな」
 咄嗟に掴んだまではよかったが、はたとデアリードは困惑する。
 右手には少女。左手は幹。両足も幹にしっかりとからませて、なんとか木の上に留まったのはいいが。これでは降りられない。
「あああああ、降りることまで考えてなかった!」
 後先考えない己の行動を怨みながら、それでも諦めずに考える。何度も深呼吸をして、右手の力だけで少女の身体をひきあげて抱きとめた。そしてゆっくりと慎重に、降り始める。みしみしと嫌な音を木が立てるたび、正直背筋が凍った。
「はあ、はあ、な、なんとか降りた……」
 我ながら良くやったと威張りたい気持ちを必死に押さえて、デアリードは抱えた少女を草の上に寝かせてやる。先程確かに目を開いて、一瞬だが自分を見つめたはずの少女の瞳は固く閉ざされている。その上、ぴくりとも動かない。
 死んでしまったのかと本気で心配になって、デアリードは手袋を外して少女の唇の上に掲げてみた。すると僅かだが、指に少女の吐息が触れる。
「良かった。死んでなかった」
 安心して肩を落し、 失礼なこととは分かりながら、まじまじと少女を見詰めた。
「まるで人形みたいだな。これじゃあ」
 驚くほどに少女は本当に綺麗だった。
 夢物語に出てくる妖精や、精霊だと言われたほうが多分納得できる。透き通るような白い肌とか、華奢な体とか、桜色の唇とか。そんな形容詞を付けることが出来る人間がいるとは思っていなかった。
 しばらくデアリードは天から降ってきたこの少女を、ただ見つめ続けていた。
 だから、彼は気づかなかったのだ。
 ずっと自分達を見ている者が居た事に。
 その人物が薄い唇からひどく冷たい声で、
「やはりな。随分と巧妙に姿を変えていたものだ。だが、もう見つけた」
 と、呟いた事も。
 男の周りには幾つかの不思議な機械があり、それらを使用した形跡もある。
 くすっと小さく男は笑って、その場を後にした。


 一方、デアリードとは異なる方向に走ってしまったアレナは、煙が立ち込める建物の背後の丘向こうの岩の近くに、一人の娘が倒れているのを見つけていた。
 その時、もしその娘が身につけている物が滅多に手に入らない高価な洋服であると気づく事ができれば、アレナも娘を無視しただろう。だが、娘が着ている服は炎にまかれてぼろぼろになっていたので、アレナにはそれが高価な服であるとわからなかった。
 娘は建物の爆破に巻き込まれて気を失い、朱金の翼と紺碧の炎との激突の際に不在であった、エリクル=カーラルディアその人だった。
 アレナにとって、エリクルはレゼンと手を組んだ憎い相手ということになる。
 だがアレナはエリクルが敵だと判断する情報を保持していなかったので、別のことを考えていた。娘は綺麗過ぎた。砂漠と無情の太陽に晒されてきたとは思えない、そばかす一つない肌とか、ふっくらとした手とか。別に娘の美しさに嫉妬したわけではないが、少し変だ。
「この子、何者? まさか放っておくわけにもいかないし。でもこの子が軽いとしても、むこうまで抱えてくのは無理だなあ」
 肩に少しかかる程度の髪をかきあげて、アレナは何か良い方法はないかと悩む。
 せめて日の当たらない場所に移してやりたいと思って、アレナはエリクルの腕を取って自分の肩に回して、立ちあがった。意識がないのに、娘は片手で抱え込んだ箱を放そうとしない。何を持っているのだろうと、不思議に思う。
 五十メートルばかり歩くと、日よけのついた建物にたどり着く。そこに娘を座らせて、ハンカチで顔に付いた煤を払ってやった。それがくすぐったかったのか、娘は一瞬身体を震わせる。
 目を開けるかなと思ってアレナが娘の顔を覗き込むと、唐突にエリクルは目を開けた。ばっちり目が合ってしまって、気圧され何度もアレナはまばたきを繰り返す。
 視界の中に自分を見つけた娘は、怪訝そうな顔で彼女を見かえしていた。
 先に口を開いたのはアレナだった。
「――大丈夫? なんだってあんなところで倒れてたりしたの? このあたりは危ないから戦闘に参加しない者は東に避難しておくようにって聞かなかった?」
「戦闘? 避難?」
 エリクルは形の良い眉をひそめ、アレナの言葉を繰り返す。
 眠っていた思考回路が急激に活動を再開して、空の一点を凝視しながら状況判断に勤める。エリクルの瞳にやどる光は、人を殺してでも生き延びてきた人々と同種のもので、だからアレナは理解した。
 エリクルが確かに、同じ時代を生き抜く、同じ人種であるのだと。
「大丈夫?」
「……大丈夫。ねえ、戦闘っていったわね?私この町にきたばかりで事情がよく飲み込めないの。突然歩いてたら近くにあった建物が爆発して、気が付いたら貴方がいたわ。助けてくれたんでしょう、ありがとう。だから助けついでに教えてくれない? 一体何があったの?」
 尋ねながら、エリクルは腰まであった髪が焼けこげている事に気付いて、腰のベルトに挟んでたナイフを抜いた。舌打ちをして、迷いはみせずに髪をばっさりと断ち切ってみせる。
 思いきりの良い行動に驚いたアレナの前で、何事もなかったかのようにエリクルは静かな顔に戻っていた。
「私の名前はエリア。生き別れになった兄を探しているの。この町にいるっていう噂を聞いて。だから、もし戦闘があって、それに兄が巻き込まれていたらと思うと心配で。だから教えて欲しいの。おかしい?」
 咄嗟に偽名を使ったのは、反乱を起こしたと思われる民衆側の人間だろうと目星をつけたからだった。
 なにせアレナは、レゼンから水や食料の供給を受ける事の出来た者には見えなかったし、彼女が今来ている衣服からは硝煙の匂いがしている。
 エリクルの嘘を見抜く術はない。最初こそエリクルに不信を覚えていたようだが、兄を探しているのだと聞いて、アレナの目が和んだ。咄嗟の嘘が効果を示したのだ。
 アレナは小さく笑って、エリクルの金色の髪にかかる砂を優しく払ってやる。
「おかしいなんて思ってないわ。ちょっと吃驚しただけ。エリアだっけ? 私はアレナ。この町がヴェストという名前で呼ばれる前にここで生まれて、それ以来ずっとここに住んでいたの。この町はね、ずっとレゼンという男の天下だったんだ……」
 目線を合わせるように、アレナはエリクルの隣に腰掛けた。
「レゼン? 誰、それ?」
 勿論知っているのだが、しれっと尋ねてエリクルは隣を見る。
「この町の権力者よ。二十年前に核がアジア地区の方に落ちて、それから世界の汚染が始まった。けど、あの男は事前にそれを知っていて、地下にシェルターを作り、そして食料生成のためのプラントや水を生成するものとかを作って篭ったわけ」
「水や食料の心配はなかったの? 羨ましいわね」
「そうだったらどれほど良かったか。現実は全然違ったからね。あいつは水も食料も一人占めして、決して渡そうとはしなかった。あいつが渡すのはそれ相応の品を渡せる奴だけ。あたしたちは指を咥えてみてるしかなかった。――今まではね」
 いわくありげに言葉を切ったアレナを、エリクルは首を傾げて続きを促す。
 するとアレナは立ち上がって大きく伸びをした。
「レゼンには勝てなかった。あいつは私兵を沢山貯えて、武器も沢山備えてた。幾度か挑んだ事もあったけど死者が出るだけだった。悔しかった。何も出来なくて。でもね、それも終わったのよ。朱金の翼って知ってるでしょ? その組織の人がね、援助してくれた。レゼンに勝つ術を与えてくれた。そしてあたし達は勝った。他人の手を借りた事にはなるけどさ」
 天を見上げて晴々しく笑ったアレナは、その場でくるっと身体を回転させて、胸にかけていた指輪に軽く口付けをしていた。
 死んだ恋人がアレナに唯一残したもの。
 幸せに暮らせるようになったら。結婚指輪にしようと約束しあって、持っている大事な形見。
 エリクルはアレナの恋人が死んだことは知らなかったが、指輪に口付けるアレナの前に、いない筈の誰かがいるみたいだと感じていた。
 けれどそれ以上に、頭の中で朱金の翼に援助されたという言葉が駆け巡っている。
 折角手に入れた武器を失ったのも、物資を補給する術を失わせたのも、この娘と、娘と行動を共にしている者達だったのだ。
 だが、今はまだ不思議と怒りはない。
 呆然としているからかもしれなかった。
 怒りが沸いてこない確かな理由が分からなかったので、思い直すように首を振ると、エリクルはアレナに一緒に付いて行っていいかと尋ねた。情報が欲しかったのだ。アレナは仲間達の中に自分の兄がいるのではないかとエリクルがが思ったのだろうと勝手に理解して、笑って肯く。
「いいわよ、どうせ行く宛てもないんでしょ? 行ったら、お風呂にも入らせてあげるわよ。あなた綺麗なんだもの、煤に汚れてたら勿体無いわ」
 アレナの言葉に改めて自分の格好を見て、エリクルは赤くなった。鮮やかな青い色をしていた洋服も、煙と煤に汚されて、一体どんな色をしていたのかも分からない。裾の部分は焼けこげて、足がむき出しになっている。
 怪我一つないのが、奇跡のようだ。
「エリア、行きましょう。立てる?」
 気遣って伸ばしてくれた手を取って、エリクルは微笑んでいた。
 こんな世界の中で、優しさを失わないでいるアレナの存在が嬉しい。
「大丈夫、立てるわ」
 元気に答えて立ち上がる。その拍子に胸に当たったのは、気を失ってもなお離さないでいた箱だった。ヴェストの町程度ならば、軽く焼き尽くす事の出来る超火力のナパーム弾が入っている。
 エリクルはそれを持ち直すと、アレナの後を追って歩き出した。捨てられなかった。
 しばらくすると騒ぐ声が聞こえてくる。
 人々の姿だ。大声で笑う人、嬌声をあげる者、隣の人の手を無理矢理取って踊っている者、とにかく色々な人々が居た。共通しているのは、皆が笑っているという事くらいだ。
「あちゃあ。なにやってんだか、みんな。いくら嬉しいからって、これはねえ。羽目をはずすのも仕方ないとは思うんだけど。レゼンを倒したんだからね。かなう事などないって思ってたことが現実になったんだもん。でも、これはちょっと騒ぎすぎかな」
 馬鹿騒ぎの様子にぽりぽりと頭をかいて、アレナは頬を赤く染めて弁明した。エリクルはくすくすと笑っている。
「大丈夫よ、一緒に騒いじゃえば、恥ずかしくなんてないわ。ここで真面目な顔したまま、私知らないって顔してたら、そっちのほうが可笑しいもん」
 言って、アレナの手をエリクルは引っ張る。
 そうねと返事をして、アレナは人々をかき分けて中央へと進んでいった。群衆の中に目指す人を見つけられなくて首をかしげる。
「おかしいなあ、まだ戻ってきてないのかな、デアリードは。グレス、デアリードまだ帰ってきてない?」
 丁度目の前で、レゼンの倉庫から奪った食料を均等に配ろうと指示をしていたリーダー格のグレスに尋ねる。彼は振り向いて首を振った。
「いや、レゼンの首を取った主役はまだ帰ってきてないぞ。なんだアレナと一緒だったんじゃなかったのか? ――おや?」
 アレナの後ろに立つエリクルに、グレスは頬骨の浮き出る顔を不審そうにゆがめた。
 どこかで見た顔だと思ったのだろう。エリクルはそれと察知して、先手を打って笑顔を浮かべると、アレナの前に出てグレスに一礼する。
「はじめまして、グレス……さん? 私、エリアっていいます。兄を探して、この町に来たんですけど戦闘に巻き込まれて。アレナさんに助けてもらって、ずうずうしいとは思ったんですけど、つれてきてもらったんです。私、何か問題ありますか?」
「いや。誰かに似ていると思ってな。気のせいだったかな?」
 アレナは首を傾げるグレスを無視すると、エリクルの手を引っ張って戦利品が大量においてある部屋の中に入っていった。そして戦利品を物色しはじめる。
 何を探しているのかわからないエリクルは、きょとんとしてアレナの横に座って、頬杖をして彼女を見つめていた。
「あった! これ、これがいいわ!」
 頬を上気させてアレナが見つけ出したのは、薄い空色のツーピースの服だった。スカートの丈は短くも長くもないといった中間程度で、フレアーになっている。服を渡されて吃驚しているエリクルの背を押して、今度は地下に降りる階段を進んで行く。
「ねえアレナ、どこまで連れて行くの?」
 長い階段に辟易したのか、不安にでもなったのか。抱きかかえた箱の上にのせられた服を落とさないように押さえているエリクルが振り返っても、アレナは悪戯っぽく笑うだけだ。
「いいから、目的地はすぐそこよ。みんなには内緒にしてある場所があるの。ちょっと待っててね」
 ウインクをするとアレナはしゃがみこんで、床に触た。床の一部の色が変わって、操作用のコントローラーの様なものがでてくる。
「アレナって、機械に詳しいのね」
「まあね。独学でいろいろ勉強したから。残ってる工学とか、コンピューターの本とかよく読み漁ったわ。二度と使う事なんかないって思いながら。でも、勉強したかったのよ」
 エリクルの感嘆した声にアレナは笑って答えて、最後のキーを押す。
「あ……っ!」
 驚いてエリクルは眼を見張った。
 突然壁だと思っていた目の前が、扉のように開いたのだ。
 豪奢な部屋が広がる。
 地下だからなのか、ひどく巧妙な窓の絵が壁に書いてあり、中央に黄金で出来た裸身の女神像がおいてある。趣味が悪いと思いながらも、そのまま背中を押されて奥の部屋に入れられていた。
「あっ!」
「ふふ、驚いたでしょ? これ私が見つけたの。お風呂だよ、シャワーつきの。しかもちゃんと使えるの。悔しいわよね、あの白豚親父、こんなの持ってただなんて」
 アレナは幾枚かのタオルをエリクルに放りながら言って、軽くウインクをして外に出ていった。
 一人残されたエリクルは、さてどうしようかと悩んだ。けれど結局持っている物を外に置く。十九才のうら若き乙女である彼女に、お風呂に入れるという誘惑を断ち切る事はできなかったのだ。
 早く入っちゃえばいいよねと言い訳をして、シャワーの水を全開にする。水が火照った肌を冷やし、心地よさに彼女は目を細めた。しばらくそのまま水の感触を楽しみ、渡されたタオルで水気を取って服に袖を通した時、会話が聞こえてくる。
 別に小さな声で話されているわけではないので、聞き取るのは簡単だった。アレナと、もう一人は知らない男の声だ。
「それで、紺碧の炎の軍は壊滅したっていうの? 負けただけじゃなくって、壊滅? すごい。朱金の翼って強いのね」
「町の外に偵察にやってた奴の話だと、最初は朱金の翼の方が劣勢だったらしい。煙幕とか落とし穴とか、まあいつの間にしかけたのか、準備万端だったみたいだからな。朱金の翼も、最初は翻弄されて、壊滅寸前だったらしい。けどな。突然動揺が収まったんだ。指揮官がなんかしたらしいけど、何をしたのかは分からない。そして、逆に紺碧の炎の方が統制を乱してしまって、そのまま壊滅したらしい」
「生き残りとかはいないの?」
「生き残った奴は捕虜とかになったみたいだな。紺碧の炎のリーダー格の人間の生死は分かってないけど、戦死した所を見たって奴もいる。正確な情報が入ってこないから分からないけどな」
 ぼそぼそと、話し声は続いている。
「――惺?」
 濡れた髪に当てたタオルを落として、エリクルは呆然と呟いた。紺碧の炎が負けた。その言葉が頭の中を反芻する。自分が気を失っている間に、朱金の翼と紺碧の炎が激突する可能性があるという事をエリクルは迂闊にも失念していたのだ。
 惺がヴェストの町の外に防衛線を張ろうとしていたのは知っていた。準備をしていたのも知っていたる。
 少し考えて、エリクルは首を振る。
「準備が終わっていたわけがない。朱金の翼が来たから、戦うしかなかった。そして負けた? リーダー格の人間が戦死? 私はここに居るのよ。まさか、そんな――惺が死んじゃったってことなの?」
 身体から血の気が抜けていく。ざあっという音すら聞こえてくる気がした。膝の力が抜けて、その場に座り込む。
 信じられなかった。
 信じたくなかった。
 二年前、ああも無残な姿をさらして死んでいった家族と同じように、惺が自分を置いて死ぬなどという事があるなどと、考えたこともなかった。確証など何一つないにもかかわらず、エリクルは信じていた。惺だけは自分のそばに居てくれると。
 ずっとずっと一緒にいられると。
 それを失ったもしれない。そう考えると、心が凍った。恐ろしかった。
「私もいれば、軍の崩壊を食い止める事も出来たかもしれないのに。惺は私の統率力を高める為に自分の功績を隠してきた。それは逆に惺自身の統率力を奪っていくものだったのに。私は、惺が自由に軍を動かせるように、絶対彼の側を離れてはいけなかったのに!」
 心の中で叫んで、エリクルは頭を抱えた。
 ――誰かが囁いてくる。
 目を上げると自分が居た。
 二年前、家族を失った当時のままの姿で彼女は立っていた。返り血を浴びて呆然と佇む少女の頃の自分。それが前方を指をさし、口を開く。
『そんな状況に追いやったのは、だあれ?』
 ―――朱金の翼。
 声はまた聞いてくる。
『何故惺と行動を共に出来なかった?』
 ―――ヴェストで蜂起した者達が居るから。
 声が笑った。
『朱金の翼に尻尾を振り、紺碧の炎の物資を焼き、貴方を足止めし、紺碧の炎を敗北に追いやったのは? 彼らに罪は? 朱金の翼の保護を受けて生き延びようとする者達は許せるの? ユルシテモイイノ?』
 反芻する声。声。声……。
『ユルサレルノ? ユルスノ?』
 エリクルは顔を上げた。
 そこには先ほどまで確かに存在していた、無邪気さも優しさもなくなっていた。眦を吊り上げて、ゆらりと立ち上がる。
 復讐に刈られる心に歯止めをかけていた惺を失う恐怖が、彼女の中にあった猛々しい怒りと悲しみを容赦なく呼び起こして行く。
 復讐を駆り立てるのは自分。
 恐怖を支えきれない自分を守るために抱いた憎しみ、恨み、そして復讐の情熱。
「許せない。私を邪魔する奴も、私から全てを奪っていく奴も、惺に危害を加える奴も、朱金の翼も、朱金の翼に荷担をする者も! 許さないっ!」
 エリクルは唇を釣り上げて笑った。足元の箱を開け、武器の各パーツを手際よく組み立てて置く。それから銃を構え、ドアに手をかけた。
「復讐してやる! 全ての者達に死を! みんな――みんな消えてしまえっ!」
 口に出して叫び、ドアを開けた瞬間、銃は立て続けの咆哮を放った。
 赤。
 広がった色はただ一色……。

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